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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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「おい!佐波!」


”めいろうあん”の灯りがようやく見えなくなった頃。

自分に近寄ってくる男の存在に気付いて、佐波は立ち止まった。


「あ、ひさめさん」

「”あ”じゃねぇよ。お前今までどこにいたんだ?まさか本気で男でも”買い”に行ったのか?」


愛嬌のあるヒゲ面の長身のこの男は、佐波と同じ主に雇われている用心棒だ。

佐波が三男坊のお付きに手を挙げた時に”仕方なく”付き合ってくれた、気の良い男でもある。

佐波は陰鬱な気持ちを振り払って笑った。


「残念ながら持ち合わせが足りなくて。霈さんは?」

「おう、お前と同じだ。やっぱり皇都は違うな!女の値段が一桁違うぜ」


佐波たちのいる布津は、皇都からすればかなり田舎だ。

隣国と接しているお陰で、貿易や交易は盛んだが、良いものは全て皇都に流れてしまう。

佐波の仕える家も、皇都との貿易を主な収入源としていた。

全ての資源を他州からの貿易で賄っているだけあって、皇都の物価の高さは恐ろしい程だ。

佐波たちのような田舎豪族の使用人くらいの給金では、一星期(一週間)の滞在だってままならない。


だから尚更、佐波にとってこのような機会は滅多に訪れない好機だったのだが…


佐波の顔に暗い影が過ったのに気付いたのか、男は励ます様に大きく笑った。


「まぁ気にするな。なんなら俺が相手になるぜ。まぁ、俺も安くはねぇがな」

「奥さんに言いつけますよ」

「うあ!言うなよお前!ここに来たこともだぞ!?」

「やましい事ないんだったら良いじゃないですか」

「夫婦の間にゃ、常に”誤解”という名の深くて長い川が流れてるって言うだろ?」

「それは霈さんが疑われるようなことを日頃からしてるから」

「だって男だもの~!」


歌う様に叫んで、霈は笑いながら佐波の肩を豪快に叩いた。

い、痛い…

でも霈の気遣いが嬉しくて、佐波も思わず笑ってしまった。

それにしても。


「ところで、来栖くるす様はどちらに?」


主である三男の名を出すと、途端に霈の顔が曇った。


「俺たちも探してるんだ。いくらなんでも、帰る時は一緒じゃないと樋藍ひらん様に怪しまれるだろうしな」


樋藍とは長兄の名だ。もの静かだが少々度が過ぎる堅物で、弟とは別の意味で扱い難い。

今日も奔放な弟に誘われていたのだが、断固として拒否していた。

まぁ、弟からしてみても、遊郭でまで兄の監視下にはいたくないだろうから、誘ったのもただの社交辞令だろう。

佐波たち使用人に弟の監視を厳命したのも長兄である樋藍だ。

もし目を離したと知れたら、切り捨てられるか、それとも王都に捨て置かれるか。

とにかく使用人に明るい未来はない。


「でも確か、昊芽こうがさんが後を付けてませんでした?」


関所で散り散りになった使用人たちだったが、それでもさすがに誰も主に目をつけていなかったとあっては、本当に首を刎ねられかねない。

使用人が散り散りに遊郭に消えて行くのを横目に、ため息をつきながらではあったが、年長者であり一番の実力者でもある昊芽が、何も言わずに三男の後を付けて行ったのを佐波は見ていた。

だから今まで、真剣に三男の行方を探していなかったのだが…

佐波の言葉に、霈の表情が”仕事”に切り替わる。


「それなんだが、どうもきな臭ぇ。あの馬鹿三男坊はともかくとして、昊芽とも渡りがつかねぇ。あいつがそんな無謀をするようには思えないんだがな」

「昊芽さんとも?それは…嫌な感じですね」

「だろ?で、さすがにそろそろ怪しいなと思い始めてたら、お前を見つけたってわけだ」


霈はそう言って、鋭い視線を辺りに向け、急に声を潜めた。


「―――ついでに、お前、気付いてたか?」

「え?」

「つけられてるぞ、お前」

「…っ」


慌てて振り返ろうとした佐波を、霈がまるでからかうような仕草で髪の毛をぐしゃぐしゃにする、という動作で止めた。


「気付いた事を、相手にまで気付かせるこたぁねぇぞ」

「は、い…」

「よし。心当たりは」

「…ここに来るまでの間に、遊郭の監視役の男に目をつけられたようでした」

「ふぅん。それにしちゃあ、数が多いな。お前、何したんだ?」

「な、何って、」


何も―――と言おうとして、ふと先ほどの騒動のことを思い出した。

遊女が客を手引きして、”何事”かを起こした。

その現場に偶々居合わせた、ただそれだけのことだが…


…いや…もしかして、あの二人の男以外にも仲間がいたのか?

まぁ確かに結果的に男達の逃走を阻止したことになるのだけど、まさか恨まれていたり…?


考えて、否、と頭を振る。

自分なら、とりあえず逃げる。仲間は心配だが、ここに居てはすぐに足がつく。

無情だといわれても自分の身が先決だ。


―――だが、もし男達の組織が、佐波が考えているよりもっと大きければ?


―――ここでの失態を、雇い主に知られてはいけないとすれば?


自分のような一介の使用人でも、危険視されたり…するのだろうか?


黙り込んだ佐波に、霈はふーっと息を抜き、


「…まぁいい。お前、俺の前を歩け。相手が誰であれ、こんな大通りじゃ手を出してはこれないだろう。まずは他の使用人を捜して、三男坊が見つかり次第、帰る。相手が渋ろうが最中・・だろうが知った事か。俺たちの雇い主は三男じゃねぇんだからな」


言うなり佐波の肩を掴み、くるりと回転させた。

どうやら進めと言っているようだが、佐波はぎょっとした。


「えっ!こっちに向かうんですか!?」

「そーだよ。俺があっちから順に探して来てるんだから、当たり前だろうが。それともお前、向こうの端から確認してきたのか?」

「…いえ」

「なら行くしかねぇだろう。確かこの先は”溟楼庵めいろうあん”があるんだったな。まさかそこじゃぁねぇだろうが…」

「め、めいろうあん…っ」


またあそこまで戻るのかっ

先ほどまでの喧噪を思い出してゲンナリしつつ、けれど、さすがにもうそれも収まっただろうという思う事にし、仕方なしに歩き始めた佐波の後ろから、霈の足音が続く。

辺りを気にしつつ、佐波は小声で問いかけた。


「…なんで”めいろうあん”じゃないって思うんですか?老舗で有名な遊郭だって聞いてますよ」

「だからだって。いくら豪族の息子でも、所詮は田舎の商家の三男坊。皇帝も自ら足を運ばなきゃ会えない高級大夫だゆうがいる皇都随一の遊郭じゃ、下女一人買えねぇよ」

「皇都、一?」

「ああ。ちなみに溟楼庵じゃあ、両方買えるんだと。知ってたか?」

「両方?」

「女も男もってことだよ」

「ああ、それなら…」


”以織”がそこにいるという噂を聞いた時に知った。

”めいろうあん”は東館と西館に分かれていて、東館では遊女を、西館では男娼が買えるのだと。


ふと友の顔が過って、暗い気持ちになった。

以織は、本当に”めいろうあん”にいるのだろうか。

もしいるならば、西館で、男娼として買われているのだ。


―――”必ず、私を迎えにきて下さると、約束して頂けますか。”


以織は、まだあの約束を信じていてくれているだろうか。

信じてくれていたとして、未だ以織を迎えに行けるだけの甲斐性を持ち合わせていない自分に、失望してしまわないだろうか。

まだ会えるとも決まっていないのに、気持ちばかりが先走り、さらに鬱々とした気持ちになる。


―――いけない。今はこんなこと考えても仕方が無いのに。


どうにか思考を”仕事”に引き戻そうと、佐波はぐっと体に力を入れ―――


「…あ、れ?」

「どうした」

「なんか…この匂い―――」


ハッとした。

風向きと街中に漂う香の所為で気付くのが遅れたが、この焦げ臭さ。間違いない!


「火事です!」

「何ぃ!?本当かよ!どっかでたき火でもしてるんじゃねぇのか!?」

「たき火の匂いじゃないです!この先から―――」


視界にはまだ火の手は無い。だが、この先の軒が燃えているのは確かだ。

ざわり、と波が押し寄せるような人々のざわめきが広がる。


皆気付き始めた。”異変”に。


「おいっ 火事みたいだぞ!あっちの軒じゃ皆出払って火消に追われてる!こっちにも来るんじゃないか!?」

「そりゃ最悪だ!こんな木造、すぐに燃え広がるぞ!」

「本当か!?どこが燃えてるんだ!」

「溟楼庵だ!溟楼庵の西館から火が―――」


逃げる様に散って行く人々の情報を脳内にかき集めていた佐波は、脳天に雷がおちるような衝撃を受けた。


―――”めいろうあん”の、西館…!


「以織…!」


思わず声に出していたことにすら気付かず、佐波は駆け出していた。


「あ、おいっ!おまっ!ちょっ!…ええいくそ!行きゃいいんだろ行きゃあ!!」


付けられている身の上だというのに、勝手に一人で走り出した佐波を、言いたい事は山ほどある霈が頭を抱えつつも追いかける。


何にしても、三男坊もこの向こうだ。

妙なことに巻き込まれてなければいいが―――


こういう時の予感だけは当たるものだと、30数年生きてきて知らない訳がない。

背後から追ってくる幾つかの気配を感じつつ、霈は己の宿命を呪いながら走った。




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