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またもや遅くなりましたし一話でまとまらなかった…|ω・`)
申し訳ないです。活動報告・ブログなどは明日上げたいと思います。
布団を引き剥がし、仄かに熱の残る床板を二人で這う。
掌で触れ、不自然な凹凸はないかと目を凝らすも、僅かな灯り一つで手掛かりを探すのは困難だ。
灯りに背を向けないようにして部屋の隅まで這い回ったが、それらしい切り込み一つ見つからない。
やはりそう上手くはいかないか…と諦観が過った瞬間、「あったぞ!」と声が上がった。
はっと顔を上げて振り向くと、どことなく不敵な笑みを浮かべた梓星が、佐波とは反対の部屋の隅に膝を付いて目配せしている。佐波はその側まで慌てて移動すると、しゃがみ込んで彼の手元をじっくりと観察した。
———したのだが…
「…あの…?」
梓星の手が置かれた場所に隈無く注目し、自らの手で触れてみても、切れ目や仕掛けのようなものは一切見当たらない。
どういうことかと弱った顔で梓星を見れば、彼は子どもが優越に浸っているような表情でニヤリと笑ってみせた。
「俺を誰だと思っている?俺は皇帝家に伝わる九十九の隠し扉の半分を自力で探し出した初めての逸材だぞ。乳母や俺付きの家臣たちも俺の脱走と雲隠れの才能には舌を巻いていてな。いつしか俺は『隠遁皇子』という通名まで手にするまでになったのだ」
可愛い悪事を自慢して胸を反らせて語る梓星に、『隠遁』って…もしかして皇位からかけ離れた存在だという意味の陰口では…と考えてはいけない方向へ思考が及びそうになったが、ぐっと堪えて元の話題へと舵をきる。
「そ、それで、どこに…?」
「ふふん。まぁ見ていろ」
言うなり彼は自身の高く結われた髪に手を伸ばすと、美しい珠飾りの簪を抜き取った。
白く細い指先が飾りを止めてある金具を摘み、くるりと回す。すると、細くなっている簪の先から、更に細い、指先程度の直立する糸のようなものが現れる。
「それは?」
「毒針だ」
何でもない口振りに、へぇ、と思わず納得しかけ、えっ、と瞠目した。
簡易行灯の仄かな明かりに照らされて、目を凝らさねば見失いそうなその極細の針の先が、銀色に鈍く輝いている。
『毒』という強烈な響きには似合わない華奢なその姿に、佐波は無意識に喉を鳴らしていた。
「毒といっても、死に至るものではないぞ。誤って皇帝に刺さるかもしれないからな。即効性の痺れ薬といったところだ。まぁ、刺さり所が悪ければ、命の保証は出来ないが」
例えば首とか喉は拙いだろうな、と呟く梓星に何と言葉を返したものか分からず、佐波はただ呆然と頷く。
考えてみれば、やんごとない皇国貴族の間でも暗殺などという物騒な横行があるくらいだ。佐波には分からないが、皇国貴族の頂点に御座す皇帝陛下ともなれば、常日頃危機を感じていることだろう。自衛の手段として暗器を忍ばせていることくらいは至極当然のことだ。
しかし事実とは別として、この無垢で優しい青年の手に握られているそれが、人を害する為のものだという実感が湧いて来ない。
―――…なにせ、常日頃命を狙われているにしては、純真過ぎるというか…行動が分かり易いというか…
などと無礼千万なことを考えて微妙な顔をしている佐波には勿論気付かず、梓星は「見ていろよ」と言い放つと、毒針…その細い糸のような針を床板の継ぎ目に差し込んだ。
「多分、この辺りだと思うんだが…」
「…?」
簪を継ぎ目に差し入れたまま、何かを探すように左右に動かす。
普通の針では困難であろう、厳格なまでに詰められた床板の木目をするすると移動する細い針の動きを見つめていると、ある箇所でカチッと、金属同士がぶつかるような微かな音がした。
「明察だ」
一瞬顔を上げた梓星がニッと口角を上げた。
何が起こっているのかと問う間もなく、一拍遅れて、木目だと思っていた床板の一部…人差し指程の細い板が、まるで上から何かに引っ張られているかのように、ゆっくりと持ち上がった。
驚く佐波とは対照的に、梓星は嬉しそうに笑うだけの余裕がある。
彼は直ぐさまその板を掴むと、ふと佐波に目をやり、
「手を退けろ。そこも開くぞ」
「えっ?」
慌てた佐波が手を挙げるのを見届けてから、手の中の板をゆっくりと後ろに倒した。
キィッとバネの軋む音。
憶測をつけていた場所とは全く違う箇所にピッと線が走り、驚く程静かに床板が持ち上がっていく。
目を瞬かせてその光景に魅入っている佐波に、得意げな顔で梓星が疑問に先回りした。
「一見どうやっても開きそうもない場所というのが一番怪しいのだ。特にこれだけ目を詰まらせた床板というのは珍しい。相応に作り手の技がなくては出来ない芸当だからな。ただの遊郭の一室にしては堅牢だと思っていたが、”仕掛け”ありきで考えれば、ある意味当然な『隠し場所』だったのだろうが」
そう、どこか楽しそうに言いながら、持ち上がった床板を更に押し上げる。
途端に起こった風が、湿った岩の冷たい空気を鼻腔に運び、佐波は無意識に眉をひそめていた。
―――水の匂い…?
下水とはまた違う、強い水の匂いに僅かに記憶を刺激されたが、突き詰める前に床下から姿を現した四角い暗闇の空間に意識が攫われる。
梓星が行灯の火を近づけると、ようやく暗闇の奥の視界が開けた。
「…階段、だな」
瞬間的に炎を大きくた灯りに照らされて見えたのは、下へと伸びる石造りの階段。灯りが届かない闇がりの更に奥まで続いているようだ。
なんとも言えぬ不穏な空気を漂わせるその闇を覗き込んで、二人は無言で息を飲んだ。
「…これ、どこに続いているのでしょうか…」
「さぁな…。下りてみないと分からないが…」
まさか拷問部屋に続いてたりしないだろうな…と梓星が声を潜めて呟いたが、正直その可能性は大いにあるだろう。
遊郭において一応表からは隠さねばならない部屋といったら、仕置き部屋か拷問部屋か座敷牢か…。となると、この下にそれがあったとしてもおかしな事ではない…と、今現在自分がその『仕置き部屋』に収容されているとは露も知らない佐波は真面目に考えて少し震えた。
―――いや、でも他に充てはないし…
男娼が言っていたという言葉が、この床下に通じる階段のことも含んでいるとしたら、梓星が元の部屋に戻る為の手段は、この奥にあるかもしれないということで…佐波は腹の底から深い息を吐き出した。
―――下りるしかないか…
「下りるしかないな」
ほぼ同時に同じ結論に至ったらしい梓星に頷く。
「はい…。では、私が」
「お前はここで待て」
上から言葉を重ねてキッパリと言い放たれ、佐波は「はい?」と目を丸くした。
梓星はそんな佐波を横目で流し見、
「お前、立っているのもやっとな状態で、どうやって行くつもりだ?」
「い、いえ、ですが、梓星様を行かせるわけには」
「俺では頼りないと?」
「そういう意味では…!」
この期に及んで妙な絡み方をしてくる。
常識的に考えて、仮にも皇帝陛下を一人で行かせるわけには行かないだろう。いや、この際皇帝であるとかは脇に置いておくとしても、先に何があるとも知れない場所に、梓星一人を行かせるなどという発想は佐波にはなかった。
この数刻で、すっかり梓星という人柄に絆されてしまった所為だろうが、もし彼に何かあったらと思うと穏やかではいられない。
———自分一人で行くのは無理でも、せめて二人で同行すれば…
と佐波が思案している間に、当の梓星はさっさと地下へ続く階段に片足を踏み入れているではないか!
―――その行動力が仇となって今現在窮地にあるということをどうか自覚して頂きたい…!
慌てて制止しようと口を開いた佐波より僅かに早く、梓星はカラッとした笑みで言った。
「大丈夫だ。まさかこの先に『罠』があるとも思えん。俺たちがここを見つけられなければ意味がなかったのだからな。それに俺とお前くらいなら、『罠』など仕掛けずとも刺客の2、3人忍ばせれば簡単に仕留められたはずだ」
「うっ…で、ですが、もしもということも」
「”もし”など言い出したらキリが無いだろう」
「ううっ」
…それは尤もだ。返す言葉もない。
だが、このまま行かせてしまって本当に良いものか…
うーんと頭を抱えて唸る。そんな佐波に、梓星は「それなら、」と提案を持ちかけた。
「お前が百数えたら、穴の中へ声をかけてくれ。その時に俺から返事がなければ、お前の好きに動いて構わん」
「…百、ですか」
「そう何回も声をかけられていては、先に進めるものも進めなくなるからな」
重ね重ね正論だ。もし自分が梓星の立場なら、同じ提案をするだろう。
ようやく観念した佐波は重いため息を吐いた。
「…では、百数えて御声が返らないようであれば、何と言われようと私も参ります」
「案ずるな」
何故だか心底楽しそうに笑いながら階段を慎重に下り始めた梓星は、しかしその数瞬後、ふと思い出したかのように階段を戻り、覗き込んでいた佐波にずいっと顔を近づけると、
「いや…やっぱり案じていろ」
艶やかに微笑んでくるりと踵を返し、再び階段を下り始める。
思わぬ出来事に硬直していた佐波は、唖然とその後ろ姿を見つめていたが、ハッと我に返り「お気をつけて」と声をかけた。
——— 一拍遅れて心臓が騒ぎ出す。
その形容しがたい居たたまれなさを、佐波は下唇を噛む事で押さえ込んだ。
―――…まだ出逢って数刻しか経っていないが、初見と随分印象が変わった。
寒さに身を固めていた蕾が、陽の光に誘われて綻び始めるように、彼の中でも『何か』が芽吹きつつあるのだろうか。例えば、『自信』と呼ばれるような、『何か』が。
納まらない動悸を宥める為に、左胸の上をとんとんと叩きながら思考を整えていると、幾ばくもせずに岩壁に反響する梓星の声が耳に飛び込んでくる。
『曲がり角だ』
慌てて灯りが遠くなりつつある床下を覗き込めば、目測で15段程下った場所で、梓星が立ち止まっていた。
「曲がり角…まだ先があるのですか?」
『そのようだ』
佐波の位置からは行き止まりのように見えるが、どうやら階段が別の角度で続いているらしい。
梓星は一度だけ心配そうに覗き込んでいる佐波を見上げると、固く頷いて更に下へと進んで行く。
曲がり角の所為であっという間に光が遠ざかり、元より裸足の足音は殆ど聞こえなくなってしまった。
「心臓に悪い…」
簡易行灯のない暗い部屋の中で、佐波は不安で駆け出しそうになる脈を深呼吸で押さえつけながら、約束通り一つ、二つと数え出す。
実際百数えたあとで自分が思うように動けるかどうかは、正直分からない。慣れないことの連続で麻痺していた痛みへの感覚も、そろそろ鮮やかに蘇りつつあるのだ。
―――無理を押せば、どうにかなる気もするけど…
それで自分はともかく、梓星が救えるとは到底思えない。
どう考えても、現状で足手まといなのは自分の方なのだから。
十、十一、十二、十三…
静寂に耳を澄ませ、心音を整える。
闇が耳元で羽撃いているかのような耳鳴にも耐え、一定の速度を保って数を進めた。
…五十三、五十四、五十五…
室内よりも更に深い闇を抱く、四角い穴には何の変化もない。もしや全てが夢幻の出来事だったのかと錯覚を起こしそうな程に。
幾ら何でもそろそろ階段は終わっているのではないか、と思い始めるともういけない。じわりと胸に滲んだ焦燥に数を見失いそうになる。
八十五、、八十六、八十七、八十八…
そろそろ、と心が囁く。いつでも立ち上がれるように準備を整えながら、九十五を数えた、その時。
チカッと岩に反射した光が見えた。
「っ…梓星様…?」
『もうすぐだ』
声が届いたのかすぐに梓星の声が返ってきて、体中骨が抜けたのかと思うくらい安堵した。
ひたひたと近付く足音。それに比例して光も徐々に大きくなり―――同時に、カツン…カツンと、岩に何か固いものが当たっているような音が聞こえてくるようになった。
―――なんだ?
緊張して身構えた佐波の視界…そこから見える範囲の岩壁の奥から、ひょっこりと梓星の頭が現れる。
彼は佐波を見上げると、ニコッと無邪気に笑った。
『良いものがあったぞ!』
言うなり、『よっ』とかけ声を発して、角度の変わった階段下の踊り場に姿を表す。
片手には下りていく時に持っていた簡易行灯。
そしてもう片腕に抱えられていたものに、佐波は首を傾げた。
「それは?」
「梯子だ。折り畳み式のな」
残りの数段を駆けるようにして梓星が上がってくる。
慌てて身を引き、場所を作った佐波の目の前に、彼は抱えていた座布団一つ程の大きさの黒い箱をそっと置いた。
近くで見ればそこそこ大きい箱であることが分かる。全長は佐波の片腕の幅で、厚みは指の先から肘までくらい。黒く均等に漆を塗られ、質素ながら隙のない形状だ。
佐波が思わず「梯子?」と呟くと、階段を上り終えてほっとしているらしい梓星は、大きく息を吐き出してから、ゆっくりと頷いた。
「ああ。これは『仕掛け家具』の一種だ」
「仕掛け家具…」
「そうだ。鏡台が寝台に変形したり、寝台が腰掛けに変形したり…そういう見世物家具があるだろう?」
「えーっ…と…あるんですか?」
さも当たり前のように言われたが、そんな不思議な家具にお目にかかったことはない。
当惑する佐波に気付いて、梓星は「そうだな…」と言葉を砕いてくれた。
「如何にして本来の用途を隠すかに情熱を注いだ家具、というかだな…。まぁ、二通り三通りの使い方がある家具だと考えてくれ。この簪のようにな」
言いながら、懐から先ほどの毒針が仕込まれた簪を取り出すと、再び高く結わえている髪に慣れた手つきで差し込む。
今時の高貴な方々の流行なのだろうか、と納得半分に佐波が感心して頷くと、梓星は「さて」とわくわくした目つきでその箱の埃を手で払った。
「組み立てるか」
梓星の指が滑るように箱の側面にある蝶番を開く。すると全く継ぎ目の分からなかった箱の一部が平行に移動した。
佐波が目を見張っている間に、そこから関節が現れ、それを組み木のようにして引き延ばしていくと、漆塗りの箱だったものは、あっという間に姿を変えていく。
ものの数十秒で確かに梯子の形を為したそれに、佐波は素直に感嘆の声を上げた。
「すごいですね…」
「皇宮にも幾つかある。何処にでも忍ばせられるから便利だぞ」
梓星は誇らし気に頷いて、早速天井にぽっかり開いた四角い暗闇に梯子の先を掛ける。
―――長さ的にもぴったりだ。
ということはやはり、この部屋から最上閣へと戻る為の道具として誂えられたものだということか。
どうやら男娼の言に間違いはなかったらしいと、佐波は別の意味でもほっとした。梓星が男娼の言葉を思い出さなかったらと思うと、今でも冷や汗が流れるようだ。
安堵したところで、梯子を満悦そうに見上げる梓星に、佐波は「ところで」と声をかける。
「階段の先には、何があったのですか?」
「ああ。路があった。」
「路?」
「そうだ。まるで坑道のように岩に囲まれた……あ、なんだその目は。俺だって坑道くらい知っているぞ。然にある銀山に、視察で前陽期(昨年)出向いたからな。…まぁそれはいい。
階段はそう長くはない。が、少し入り組んでいるな。そことは別に、もう一つ別の曲がり角があった。階段を下りると、坑道のような路に出たが……何処へ続いているのか分からない路を行く気にはならなかったから、早々に引き返そうと思ったところで、階段の端にあったこの梯子に気付いたというわけだ」
―――部屋ではなく、路、か…
梓星の言葉に頷きながら、佐波は無意識に思考を回した。
———考えてみればその可能性も十分あったわけだけど…少し意外だ。てっきり、隠し通路の終着地点としてここがあるのだと思っていたけど…
ということはここはまだ『途中』で、目的地は別にあるということか。
一番肝心なのはその通路が『何処』へ続いているかだが、地下に路が通っているのであれば、最終的には外界と繋がっていると考えるのが自然だ。
ただ、斯様に綿密な細工を施してまで、なぜこの部屋を”敢えて”通路の一部にしたのか…それが分からない。
———設計上の都合だろうか?それとも、隠し通路自体後付けで作ったものであるか…いや、むしろ意味などないのかも…
じわじわと頭を擡げてくる好奇心を慌てて押さえこむ。
このままでは、真相を知りたいが故に一人この『何処かへ通じる隠し通路』に飛び込むという暴挙に出てしまいそうだ。
理不尽な理由で軟禁されているとはいえ、手厚く看護してくれた最や早音の気持ちを無意にすることは憚られる。
せめて、身の潔白を証明することが出来てから———…いや、それならいっそ誰かに…そうだ、あの男。空木といったか、あの男に聞いてみるという手もないことも…
少しだけ考えてそれは確実にない!という結論を下すと、佐波はこの件に関して思いを巡らすのを止めた。
———考えるのは後だ。幸か不幸か、時間だけは自由に与えられているのだから。
そう思いながらも、梓星が天井へとかけた梯子が目に入ると、拭う事の出来ない懐疑に心が揺れる。
―――如何にして本来の用途を隠すか―――
一見して得体の知れない箱から見事に変形したその梯子は、まるでこの部屋自体が何かの”仕掛け”の一部だと、暗に告げているような気がしてならなかった。