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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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次に佐波が目を覚ましたのは、最に薬を飲まされてから二日も経った夕時だった。

一体どれほど強力な睡眠薬だったのかは分からないが、確かに施術直後の痛みを感じずに済んだのは良かったのかもしれない。

それでも薬が切れれば、感覚は鮮やかに蘇る。

覚醒を始めた意識を同じ容量だけ痛みが蝕み、佐波は全身の鈍痛と熱に浮かされるようにして目を覚ました。


―――ここ、は…


鉛のように重たい瞼を必死に開いて、霞む視界を保とうと何度も瞬く。


―――何処だったか…ああ、そういえば、見覚えがある…確か、眠りに落ちる前も、ここに…


ようやく見え始めた世界は、半分闇に浸された、茜色をしていた。

どこから零れる光だろうかと思えば、目の端に天井高くに横に細長い天窓があることに気付く。

光の幅から見ても、手を出すことも叶わないほどに細い、空気穴のような窓。

事実、この板張りの部屋には他に窓らしきものは一切なく、硬質な板張りの間取りは息が詰まる程に閉じ切られているのだから、空気を通す為の窓なのかもしれない。

よく耳を澄ませば、どこからか人の笑い声と、弾く様な弦楽器の音が聞こえて来る。

何処[いずこ]かで宴でもしているのだろうか…と過った思考を遮るように、唐突に壁の向こうに気配を感じた。

身を強ばらせると同時に、壁の一部かと思っていた部屋の扉――普通の扉の縦に半分ほどの大きさしかない――の外から重たい金属をガチャガチャと鳴らす音が聞こえる。


―――これは……施錠の、音…?


どうやら、ここは外から厳重に閉め切られているようだ。

警鐘を鳴らす本能は鈍い身体と思考の所為で役にも立たず、佐波はただ朦朧とした意識の中で扉が開くのをじっと見つめていた。


扉が、ガタッと音をたてて開かれる。


そこから潜るようにして入って来たのは―――見知らぬ、痩せた若い男だった。

使用人のようにも、下男のようにも見える様相。体格の程は知れないが、身のこなしには全くの隙が無い。

扉を潜るなり視線を布団に横たわる佐波の目と合わせたその眼光は驚く程冷たく、それと同じ位に愉快気だ。

男は、さっぱりとした黒髪を揺らして首を傾げ、笑う。


「お目覚めのようだな。良かった。叩き起こすのは嫌いじゃないが、加減が苦手なもんでね」


あっさりとした口調のくせに、言っている内容はえげつない。

本能が警鐘をかき鳴らすが、今の状態では逃げ出すことも迎え撃つことも叶わなず、ただ身を守るように身体を緊張で固めた佐波に、男は何気ない動作で布団のすぐ側で胡座を組み、佐波を見下ろした。

そして、


「ここが何処だか分かるか」


世間話をするように問う。

佐波は少しだけ間を置き、掠れた、吐息のような声で素直に「…いいえ」と答えた。

男は佐波が言葉を返したことに対してか、僅かに目を細めると、


「ここは皇都遊郭街の…まぁ、溟楼庵の姉妹楼の一軒だ。今現在、溟楼庵で働いていた者達はここと、あと幾つかの同じ様な軒に分かれて仮営みをしている。溟楼庵は再建中だ。あれだけの建物がほぼ全焼したのだからな。幾ら金を積んだとしても、少なくとも完成は来春以降だろう」


熱のない声で応えてくれた。


―――遊郭街…


男の教えてくれた内容に、やはりという気持ちが沸き上がる。

最から治療を与えられている時点で、この場所が遊郭と関係がある場所であることは明らかだ。


———ということは、ここは遊郭街の何処かの軒の一室なのだな…


僅かなりとも現状を知れてホッとする中、同時に火事の記憶が断片的に蘇る。

そういえば、焼けた溟楼庵はどうなったのだろう。男は再建と云ったが…同じ場所にもう一度建て直すということだろうか。

新たな疑問が幾つも浮かんでくるが、それが確りと形を作る前に、男がするりと続けた。


「俺は空木[うつぎ]という。ここでの立場は皇都遊郭街の回り番、第二班の副班長だ。お前とは臥龍城の地下牢に行くまでの間に顔を合わせているが…まぁ、覚えてはいないだろうな。お望みなら年齢・身長・体重・給与・性的嗜好までなんでも教えてやるが、どうする?」


―――どう…?


視線で射殺せそうなほどの眼力でこちらを見下ろしながらそのような軽口を叩く男に、佐波は眉をひそめ―――数秒遅れて、ハッとした。


「回り、番…っ あ、のっ サツキ、様は…!」


記憶が一気に逆流する。


―――そうだ、私はあの時サツキ様と…もう一人、名は思い出せないが、警吏の男と一緒にいたはず。

その後の痛みの記憶が激し過ぎて、前後にどのような会話をしたかなどは思い出せないが、彼らを自分の犯した愚かな行いに巻き込んでしまったことは…ほぼ間違いないだろう。


もしやあの後彼らまで咎めの対象にされたのではないか、と今更慌てる佐波に、空木は一瞬表情を消すと、滲み出る様な悲哀の籠った眼差しを伏せた。


「…サツキは、残念なことだった」

「…えっ」

「お前を牢に運んだあと、あいつは”清州[きよす]”の手下に捕らえられ―――」

「…っ!」


熱で浮かされた頭に冷水を打ち掛けられたように、佐波の身体からサァッと血の気が引く。

一瞬で浮かび上がった記憶はあの時の―――清州がサツキに――遊女に対して向けた、明らかな侮蔑。

もし、あの後すぐに、サツキが清州に捕らえられたとしたら、彼女はもう――

過った悲惨な光景に佐波は居ても立ってもいられず、激痛を堪えて、横たわった身体を起こそうと必死にもがき――


「―――そうになったみたいだが、ルッカが撃退したそうだ。まぁ、あの巨兵が側にいる状態であいつに手を出せる猛者は、少なくとも皇都にはそうそう居まい」

「う、むべっ!?」


アッサリとその表情から悲哀を消し去り、澄ました顔でそう言う男に、起こしかけた身体から力が抜けた佐波は無惨にも再び布団に沈んだ。もちろん激痛を伴って。


「~~~っっ!」


痛みと混乱で悶える佐波に、空木は明るく笑い声をたてた。


「中々良い反応をするじゃないか。それが”演技”だとしたら、喜劇役者の才能があるぞ」

「~~…っ え、演技…?」

「…まぁ、今日は挨拶みたいなもんだ。お前はまだ今の己の立場を理解出来ていないだろうし、俺が先に”これからの事”を教えておいてやろうと思ってな。――それにしても…」


男はそう言って、痛みで思考がぶつ切りになる佐波の顔を覗き込んだ。


「…やはり、並、だな。いや、せめて髪を整えれば、どうにかならんこともないか? だがその短さじゃ結う事も出来んだろうしなぁ…鬘[かつら]か…」

「…っあ、あの…」


近い。顔がやたらと近い。

じぃっと凝視されて、佐波には逃げ場も無く、痛みや熱の為ではない汗が背中を流れるのを感じた。

男はそんな佐波には一向に構わず、ただ物を物色するようにじろじろと視線を配り、やがて首を傾げて問った。


「お前、経験は?」

「けいけん…?」

「男と交わったことはあるかと聞いている」

「おと…」


ザァッと耳の奥で血の気の引く音が聞こえた気がした。

瞠目して口をもの言いた気に動かす佐波を見ただけでその意味を理解した空木は、興味なさそうに「ふぅん?」と呟き、


「その齢で生娘とは珍しいな。どこの生まれの使用人でも、大抵は屋敷の用心棒か下男…それか莫迦息子共の慰め者にされているもんだがなぁ」


色気が無さ過ぎたか?と真顔で聞かれた佐波が目眩を覚えるよりも一瞬早く、空木は「まぁいい」と表情を切り替えた。


「初物ならそこそこ高く売れるだろう。お前の場合、むしろ男娼として売った方がよほど高く売れそうだが」

「…う、売る…?」


どうにも話の雲行きが怪しい。

否…むしろ、この会話から指し示されるものは一つしかなくて、佐波はやっぱり目眩を覚えた。

―――そして、楽しそうに男が笑う。


「ああ、お前は怪我が治れば、遊郭に”突き出し”だ。」







*『突き出し』…禿かむろから成長して初めて一人前の遊女として披露されること。また、その遊女。素人女がいきなり遊女になったもの。…を云うそうです。溟楼作中では主に遊女デビューのことだと思って下さると嬉しいな。

突き出しには2種類あり、『見世突き出し』と『道中(呼出し?)突き出し』で、それぞれに遊女の格(容姿など)で分けられます。多分佐波がなるなら見世突き出しの方かな…

続きます!


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