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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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「私たちが白刃の男達を捕らえてすぐに、西館裏手から火が上がった」


最初にそれに気付いたのは、やはり灯油を各客間に差して回っていた油役だった。

男が戸の隙間から流れ込む黒煙に驚き、慌てて戸を開けた時には、既に一部屋丸ごと火の海と化していたという。

火は瞬く間に燃え広がり、火事に気付いた者達の悲鳴や怒声で辺りは混乱に包まれ、サツキ達回り番はすべからく従業者と客の誘導・救護に充てられた。


「火事を起こしたのが真灯を攫オうと画策した輩達かどうかは、今のところ確証はないわ。でもそう考えるのが妥当かもしれなイ。男達は火事の混乱に乗じて真灯を街の外まで連れ去ろうとした…。どちらにせよ、とンだ失策ね。真灯が言うには、真灯を連れ出そうとした男は、崩れて来た天井の下敷きになったみたイ」

「…天井の下敷き…」


今まで黙って聞いていた佐波が、ふと言葉を洩らした。

彼女はまるで自分へ問いかけているかのように、ゆっくりと数回瞬き、


「私が真灯さんを見つけた時、すぐ側に崩れ落ちた柱の下敷きになった男の死体がありました。…腕に古い刀傷が」

「…多分そイつね。燃えちゃって何も残ってなインだけど」


腕に古い刀傷。もし彼女の話が本当なら、ピースの一つになるかもしれない。

確りとその情報を頭に叩き込みながら続けた。


「真灯が煙に撒かれて動けなくなってイたところに、あなたが現れた。あなたは真灯を火の中から連れ出し、その際に怪我をして、臥龍城ここに運ばれた。———ここまでが今分かっている現状。ここからは、推測が混じるわ」


サツキは息を吸った。


「三日前、三体の他殺死体が川から上がったわ。そのうちの二体は、火事の晩に捕らえた白刃の男達だった」

「…!」

「誰かの手助けがあったのかもしれなイけど…火事に紛れて地下牢から脱出したンだと思う。でも結局、何者かに斬り捨てられた」


見張りとして回り番の人員を割いて一人置いていたが、こちらは燃え残った地下牢で死体が見つかっている。

雇われて日の浅い男だったが、気の良い陽気な性格が皆に好かれていた。

脳裏に浮かんだ彼の笑顔を胸に刻んで言う。


「問題は三体目の死体よ。―――あなた、布津の豪族家の使用人ね?」

「は、い…?」

「調べさせて貰ったわ。三つ目の死体は、家印の帯宛おびあてをしてイた。―――これに見覚えは?」


サツキは、懐から懐紙を取り出すと、そっと畳の上に置いた。

佐波の視線がそれを見留めるのを確認してから、懐紙を開く。

その途端、


「―――っ!」


今まで戸惑いの表情だった佐波の顔色が明らかに変わった。

驚愕。そして困惑。まるで哀願するような視線を向けられて、サツキはそれをしっかりと受け止め、言った。


「これは、川から上がった死体が持ってイた帯宛よ。これが何か―――分かるわね?」

「………わたしの仕えている…豪族家の家印、です…」


崩ぜんと答える佐波の目が、事実を拒むかのように何度も瞬く。


帯宛は、誰しもが持つ衣服の装飾品の一つだが、特に”家”の使用人達にとっては身分を証明する為の唯一の物でもあり、もし失くしたり盗難にあいでもしたら、即お役御免とされるほど重要な物だ。

その為帯宛は普段から肌身離さぬように、家印を象った輪の中心に開いた二穴から帯を通し、身体に固定出来るようになっている。

命綱とも呼べるその帯宛を、売買するような輩も時にはいるようだが、裏に掘られた番号から個人の特定が可能な為、そのような危険を冒す者は少ない。


もちろんそれを知っているからこそ、これが物証になりえるのだ。


佐波が唇を震わせて、言葉を絞り出した。


「これは…誰の―――誰の持ち物ですか? なぜ、死体が―――」

「…身元の確認はまだ済ンでイなイけど、時機に分かるわ。宿の方にイたあなたの雇い主―――豪族家嫡子と使用人達は、警吏の方で足止め中よ。事件当日遊郭に来てイた三男と数名の使用人が行方不明になってイるみたイだけど」

「行方不明…!?」


佐波の声が震えた。

ようやく自分の置かれている状況が読めて来たのもあるだろうが、その言葉には仲間を純粋に心配する響きがあった。

サツキは同情心を抑えるのに苦心しながら、平然を装い言う。


「正直、状況だけ見ればあなたもあなたの雇イ主も限りなく黒に近イ存在よ。他所の使用人が火の中に飛び込ンで命がけで子どもを救うより、それが崩れた”計画”の一部だったと考えた方がしっくり来るわ」

「…つまり、私が白刃の男達の仲間で…真灯さんの誘拐の一役を担っていると…?」

「とイうより、あなたの仕える豪族家が”主犯”じゃなイかって話ね」

「な、なぜ!」

「なぜかは私も知りたイわ。———それより、あなたよ」


佐波の動揺に揺れる瞳を、ひたり、と見つめた。


「あなたがこの計画に加担してイる証拠を探すよりも、加担して”イなイ”証拠を探す方が遥かに難しイ……分かるわね?」


―――悪魔の証明。サツキの世界では、時にそう呼ばれる”消極的事実の証明”だ。

”ある”ことよりも”ない”ことを証明する方が困難を極めるのは、どこの世界でも同じらしい。


数秒、数十秒の沈黙が二人の間に落ちる。

じりじりとした緊張感に包まれた部屋は、驚く程静かだ。

こく、とどちらかの喉が鳴る。

言葉を発しようと口を開けた佐波が、やはり思い止まるように口を閉じ、それを数度繰り返した後、ようやく喉を押し開いた。


「…私には…私には、サツキ様の意図が…分かりません」


吐息のような、掠れた声だった。

言葉の意味が分からずに眉根を寄せたサツキに、佐波は青ざめた顔で微かに笑った。


「…あなたのお話から察するに、私は嫌疑の渦中にあるようです。しかも、状況的に私が疑われるのは道理。なのに、あなたはきちんと状況を説明してくれて、更には私の身には不相応なこのような好待遇を許している。…正直、それが善意なのか、何か作為あってのことなのか…」


言いかけて、ハッとしたような顔になり、すぐに首を垂れた。


「お許し下さい、疑っているのではなく…。ただ今の話を聞いてますます…私がこんなに良くしていただいている事に疑問を…それに、サツキ様のお気遣いにも———」

「…”善意”は信じられなイ?」


どうやら、自分が思うよりも佐波は色々と考えを巡らせていたようだ。

そう問うと、彼女は更に申し訳なさそうに頭を垂れ、


「…私の生まれ育った布津では、旧体制の身分制度が未だに根付いているところが多いのです。私のお世話になっていた豪商家のように、皇都との取引がある裕福な商家などはかなりマシですが、未だに使用人を””として家畜同様に扱う家もあります」

「る?」


知らない単語に思わず問い返すと、佐波は一瞬固まり、すぐに「ああ」と納得の声を上げた。


「サツキ様は、皇国このくにの生まれではなかったのでしたね。””は身分階級の最下級の別称です」

「最下級…」


つまり、奴隷か。

佐波はコクンと頷いた。


「今は身分制度は解消されていますが、皇帝のお膝元である皇都を離れると、使用人を”縷”と扱う場所も多く…。…ええっと…だから、サツキ様を疑うわけではないのですが…どうしても…その」

「…自分が”力技”の尋問も受けずに、怪我の治療を受けてイることが不思議だと…?」

「…ハッキリ申しますと…不思議です」


サツキは思わず呻きそうになった。

正直、そこを疑問に思われると少々…困る。


実際、佐波の身元が割れた時から、回り番の中には「指の数本でも落としてやれば”本体”について何か喋るのではないか」と口にする者も少なからずいた。

確かに、ここまで状況が揃っているのなら、その方が確実だろう。

もし冤罪だとしても、所詮は一介の使用人。潰してもどこからも文句はでまい。…それが皆の概ねの意見だった。

だがサツキにはそれを是と出来なかった。

サツキは佐波が火の中に飛び込んだ姿も、大怪我をしながら真灯を助けた姿も知っている唯一の人間だ。

あの時、怪我で意識の朦朧としていたであろう佐波が、真灯の頭を撫でた場面がどうしても頭から離れてくれない。

それだけで彼女を白だと言い張る気はない。だけど、拷問の末に潰れた彼女を見たくなかった。

悩んだ末に、班長に「仮にも総主の恩人である」ことを進言して、新たな証拠が出るまでは”実力行使”を控えるように求めたのはサツキだ。

班長はシドロモドロで説明するサツキを鋭く見据えながら、けれど最後には「ならお前が全ての責を受けろ」と尋ね役を一任したのだ。


———多分、班長も私の甘さに気付いてる。気付いていて、それでも任してくれた。


だからこそ、佐波には自分の甘さを見抜かれたくなかった。

死んでいった仲間の為にも、サツキたちの関係は対等ではなく、あくまでも佐波は疑われる立場なのだと、心に刻んでもらわねばならない。


「…次からは警吏も含めての尋問になるわ」


複雑な顔でサツキがそう言うと、佐波は今度はしっかりと———泣きそうな瞳を歪めて微笑んでみせた。

全てを分かっているような、深く凪いだ瞳。


「はい。覚悟は出来ております。ただ———」


その瞳が翳る。


「私がその…三人目の死体と面会することは…出来ないのでしょうね」

「…それは無理ね」


その方が身元の確認は早いだろうが、もし本当に犯人側だった場合、変に情報を掻き回されても困る。

佐波は何事かを考えるように黙り込み、そっと問ってきた。


「…他の使用人達は、どのように過ごしているのでしょうか」

「軟禁状態だけど…今のところ、不審な点はなイそうよ」


サツキがそう言うと、佐波はホッとしたように肩の力を抜いた。

そして数回、自分を落ち着かせるように瞬いた後、背中の傷を庇いながらゆっくりと頭を下げた。


「私の証言で、彼らの処遇が良くなるのならば、どんなことでもお話します。どうぞしなに」

「それはもちろン…」


望むところ、と言いかけて、ふと外の様子が賑わっていることに気付いた。

佐波の部屋は様々なことに配慮した結果、臥龍城の離れに用意されている。

ここまで賑わいが聴こえるということは、そろそろ食事時なのかもしれない。

どうやら、随分時間が経っていたようだ。


「…でも、とりあえず一旦私は下がるわ。診療もあるだろうし…」


診療の邪魔はしないことは最初に最と約束している。

一先ず一旦下がって出直すかと考えていたサツキの耳に、廊下の向こうから女性———早音の高い制止の声が届いた。


しん様…!お待ちください!」


ドカドカとした足音にハッと顔を上げたサツキは、事態に気付くと思いっきり顔を顰める。


―――よりにもよって、あいつか!


瞬時に浮かんだ”出来れば絶対会いたくない”顔に、腰を浮かした、その瞬間。


障子がぴしゃっと音をたてて開かれた。



「公務である!罪人を引き渡せ!」





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