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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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「誘拐…?」


佐波の表情のない顔に、少しの動揺が広がった。

その瞳孔の動き、仕草、口調に人間が嘘を付く時の癖を見つけようとしている自分がいる。

サツキはやるせなくなった。


「…あなたが、火の中から真灯を助け出したのは事実よ。でも、それが偶然か故意か、私たちに判じる事は出来なイ。それに」

「待って下さい」


初めて佐波が言葉を遮った。


「なぜ誘拐・・だと?私には、どうにも突飛な話に思えてならないのですが」


緊張の影を表情に落として言う。

その言はもっともであるが、疑いの心を通してみれば、白々しくもある。

サツキは視線を下げ、冷静である為に一つ息をついた。


「順を追って話すわ。四日前の夜…」





―――四日前の、あの火事の夜。


サツキは班長から、不審な動きを見せているらしき溟楼庵の油役あぶらやくを見張るようにとの命を受けた。


油役とは行灯に灯油あかりゆを注す役目のことだ。

基本的に世間とは真逆の時間感覚を持っているのが遊郭というもの。

陽の入り、夫々(それぞれ)の遊郭から松明を片手に飛び出した油役たちが、街を彩る極彩色の紙燈籠に灯りを点したのを合図に、客を迎える大門が解錠される。

油役たちはその後も各客間を回り続け、灯りが決して絶えぬように夜通し働くのだ。

彼らには他にも、防犯や脱走防止、そしてねやでの遊女男娼を客の横暴から守るという仕事がある。

回り番が外の警護ならば、油役は内部の監視役といったところか。

ただ回り番は遊郭街全体で組織されたものであるが、油役は各遊郭が雇い入れている使用人だ。

班長が受けた報告によると、近頃その油役の一人に、勤務外の外出が増えているという。

自分の休憩時間に郭の外に出るのは自由だが、使用人や行商人の為に昼時解放している小門を通る者は、誰であろうと逐一身元の確認と手荷物の検査を受け、それは事細かに台帳に記される。

その台帳を見れば、どこの遊郭の使用人がどのような用件で市井に出かけたのか、また、月に何回、どれくらいの時間かなどが分かるうようになっている。

台帳役の調べによると、前月に比べて、その油役の外出回数は約二倍にも増えていた。

出向く用件も明確ではなく、それに気付いた他の油役が試しに後を付けたが、撒かれてしまったらしい。

普段真面目で実直な男であるが故に、疑いは深まり、ついに回り番の出番と相成ったのだ。


先日大きな捕り物があった為、警戒を怠らない意味を込めて、本当ならば数人体制で見張りたいところだったが、その日は月に一度の総主回楼そうしゅかいろうの日。

遊郭街に軒を並べる郭の主たちが一つ箇所に集まり、総主である溟楼庵の主と会談する為に集められる日だった。

溟楼庵は最古にして最大のくるわだから、その主は自動的にこの遊郭街全てを束ねる”総主”となり、故に回り番の元締めも溟楼庵の総主ということになる。

遊郭が独自に雇っている用心棒達の警護はもちろんあるが、さらにその周りを固め見回りに徹するのが回り番の仕事だ。

万年人手不足の回り番としては、月に一度のこの日が一番頭が痛い。

回楼に掛り切りで警備の薄くなるその日を狙って事を起こそうとする輩は大勢いるわけで、そちらの警戒を怠る事なく――時に力で解決しながら――街の秩序を守らなければならない。

この手の仕事に回されることの多いサツキとしてもさすがに「あと二人は融通して欲しい!」と班長に直談判したのだが、宛てがわれたのは公認相棒として認められているルッカただ一人。

もちろんルッカで不服な訳ではないが、体格からして規格外の彼とどうやって”見張れ”というのか、サツキには酷く疑問だった。

こうなればいっそ直接問い質してやろうかとも考えたが、回り番は遊郭で働く者たちの受けがすこぶる悪い。

密告・おとり・尋問・拷問、その他必要であればどんな事でも躊躇わない、遊郭街の私警吏ともいうべき存在なのだから、鬱陶しいを通り越して恐れられるのも道理だ。

面と向かって行けば不必要に怯えられ、掴みかけたしっぽを切られる可能性がある。

それにサツキは――非常にご都合主義だと分かってはいるが――その拷問紛いの尋問がどうしても好きになれない。

出来れば、何かしらの証拠を掴み、それを元に相手を自白に追い込みたかった。


―――そうしてサツキが後手後手に回っている間に、この騒動は始まった。


恐らく当初より疑われていることに気付いていた男は、回り番であるサツキの目が自分に付いていることに気付くと、突如懐から白刃を抜いてサツキに襲いかかったのだ。

包丁、剃刀かみそりかんざしの一本に至るまで厳重に管理された遊郭で、ただの油役が白刃を所持出来るはずもない。

驚いて初太刀を避けながら、その間合いと刀身の長さから、白刃が狭い建物の中での斬り合いを想定した得物だと気付いた。

―――用意周到。その割に、男の動きは素人で、緻密に練られたであろう計画とのアンバランスさが際立つ。

闇雲に白刃を振り回し、壁に、柱に、障子に無惨な跡を残しながら何事かを狂ったように叫ぶ男に気付いて、部屋から遊女が顔を出す。

悲鳴。それに呼び起こされるように次々に騒ぎが広まり、辺りは騒然とした。

騒ぎがこれ以上大きくなるのを防ぐ為に、サツキは相棒の名を叫んだ。

呼び声に返事はない。だが、確実に意図を汲んだ大男は、その巨躯に似合わず得意な潜伏を破り、白刃を振り回す男そのものに強烈な拳を打ち込んだ。

どんっ という重い音。

横の障子が男と共に吹き飛び、ついでにその向こうの壁格子を破壊したのが見えた。

いつもの通り容赦も思慮もない力加減に、騒ぎは一段と酷くなる。

内心ルッカに『物の大切さとお金』の再教育を本気で考えていたサツキは、いつの間にかすぐ側に迫っていた別の男の白刃に気付くのが遅れた。

真っ直ぐ突き出されたそれは、サツキに届く直前に、騒ぎで駆けつけた他の回り番の懐刀によって防がれる。

礼を言う暇もなく、傾れ込むように打ち合いに突入するそちらを一旦思考から外して、ルッカが吹き飛ばした男を回収しようとするも、一足遅かった。

運良く軽傷で済んだのか、男は転がるようにして外と繋がる大穴―――壊された壁格子―――に飛び出したのだ。

―――逃がすか!

サツキは自身もその後を追いながら、咄嗟に叫んだ。


『誰か!そイつ捕まえて!!』





「―――そしてあなたが居た。あなたは丸腰で男をして、その後飛び出した白刃の男にも怯まなかった」


じっと佐波の目を見つめる。

疑われている事への嫌悪も、自身の功績に対する賞賛の色もない、ただ静かな瞳。

自分が何か巨大なものに挑んでいるような気分になって、サツキは苦く笑った。

―――こんな若い子に雰囲気で呑まれるようじゃ、まだまだね。

自嘲したおかげで幾分か楽になって、少し肩から力を抜く。


「これは火事の後にハッキリしたのだけど、あの時、敬麻邢けいましんを飲ンだ遊女は、油役の男と懇意の仲だったそうよ。白刃の男との因果関係は分からなイけど、”白刃”の手配は手引きを図った遊女と油役の仕業と考えるのが妥当ね」

「…恋仲、だったのですか」


ぽつり、と言葉が返って少し驚きながら、サツキは頷いた。


「言葉も十分に交わせなイってイうのにね。男女ってのは不思議だわ」


内部の者であっても、行動をすべからく管理された遊女・男娼との間に、逢瀬の隙など与えられない。

油役の男と東館の遊女”かもめ”の接点は、男が行灯に油を差しに来る、その僅かな時間だけだった。

客に組敷かれ喘ぐ愛しい女と、油差しの合間にそっと目線を交わす。

たったそれだけの、やるせない、辛いばかりの逢瀬は一陽期(一年間)以上続いていたそうだ。

事を起こすまでに思い詰めるのも、仕方のない話なのかもしれない。

―――否、恐らく二人とも、その報われぬ恋に”油”を注いだ何者かによって利用されたのだ。


一つ瞬いて、サツキは本題を切り出した。


「あの日は総主回楼の日だった。月に一度、街に軒を連ねる遊郭の主達が、溟楼庵の総主と会談するの。

基本臥龍城ここに滞在してイる総主が溟楼庵に訪れる時は、その御子である真灯と耶灯も同行するのが通例。

あの晩も、もちろん揃って来てイたわ。

―――ここから先は、真灯の証言よ。

真灯と耶灯は、総主が主達と会談してイる間は、いつも別室で作法や学術を習ってイるの。

二人が講師を待ってイると、”油役”の男が、部屋の行灯に油を注しに現れた。

男は溟楼庵に雇われて五年以上になる古株で、真灯や耶灯とも顔見知りだった。

その油役に『総主が呼んでいる』と言われて、真灯はそれに従って部屋を出た。

用心棒達も、油役の男の実直さを知ってイたからつい気を許し、真灯を率先する彼を見送ったそうよ。

一緒に働イてイた他の油役達も未だに信じられなイ様子だし、よっぽど人望のあった男だったンだと思う。

ともかく、真灯はその後すぐに階段下の物置に猿ぐつわで閉じ込められた。

男は『傷つけたりしなイから大人しくここで待ってイてくれ。次にここを開けて入ってきた男の言葉に従って欲しイ』と言ってすぐに立ち去った」


油役の男の顔を思い浮かべる。

細面で小柄な男。混乱で揺れる瞳は、泣きそうに歪んでいた。

サツキはその男を知らなかった。

遊郭街に流れ着いて2年経つが、数千人規模の従業者・使用人達全てを把握しているわけではない。

でも、回り番にとっては知らない方がいい時もある。人となりを知っていれば、斬る時に躊躇いが生じるからだ。

知るなら最低限、名前と役目だけでいい。

どれだけ実直だろうと、勤勉だろうと、傾くのは一瞬だ。一度傾けば、もう元の位置に戻る事はない。

それを学んだからこそ、サツキはようやく”疑う”という己の仕事を受け入れる事ができたのだ。


「―――時系列でイうとこの直後、男が何食わぬ顔で仕事に戻ったその時から、命を受けた私達が見張りだし、それに気付イた油役が取り乱して白刃を抜イた。

その後はさっきの話の通り。もう一人の白刃の男と共に捕らえて、二人とも遊郭街の地下牢に連行され、人手が集まり次第尋問を開始する予定だった。―――火事が起こるまではね」


そうだ。あの火事さえなければ、今頃は全てが明らかになっていたかもしれないのに。

こんな風に、傷心の少女を問いつめる事もなかったかも知れないのに―――


思わず緩みそうになる心をぐっと引き締める。

まだ、ここからが本番だ。






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