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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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サツキは、目の前で半身を起こし、死んだような顔で薬湯を啜る少女―――佐波を観察していた。


彼女は、こういうのも失礼だが、取り留めて特徴のない平凡な顔立ちをしている。

前回の見立てでは、背丈は17という歳程にはあったはずだ。

どちらかというと肉薄で、さすがに男と比べると丸みはあるが、中世的な体つき。

髪を結っている時は一目で女子だと分かったが、火事で焼かれた髪が肩ほどで長短散らばり、そして現在のやややつれ鋭さを持った表情から、14、5の少年のようにも見える。

年齢的には年頃と云えるのだから、化粧の一つでもすれば随分印象が変わるだろうに、と思いながらも、この素朴さがある意味彼女の魅力であり、無害さの象徴かもしれないと思い直した。


―――しかし、見た目では人は推し量れない。


見た目の怪しさで云えば最上級のルッカといつも一緒にいるだけに、その辺りは抜かりない。


…抜かりない、はずなのだが。






佐波の尋ね役として選ばれたサツキは、ここに来る前に、面会の許可を得る為に医務室を訪れた。

昨日は佐波の体調が思わしくないということで断られたので、もしかしたら数日は無理かもしれないと覚悟していたが、今朝はあっさりと許可が下った。―――ただし、条件付きで。


『あの娘は今、不安定な精神状態にある。今後もアレから情報を引き出したいなら、あまり急かさないでやれ』


いつ見ても不気味な黒衣の医師・最は机に向かい、黙々と書き物をする手を休めずにそう言った。

彼もまた、その死神のような容貌に似合わず意外と細やかな気遣いをする、見た目では推し量れない人物だ。


『不安定…って、火事の事で?』


思わず、サツキは問い返していた。

壁に開いた穴から飛び出して来た男に、躊躇無く的確な蹴りを入れるような少女だ。

白刃を恐れるどころか、素早くその胸元に飛び込んだり、燃え盛る火の中に飛び込んで行ったりと、年頃の娘にしては少々(・・)雄々しい姿も目撃しているサツキからすれば、それくらいで今更精神が揺れるようなヤワな子じゃないだろうと思わずにいられない。

サツキの訝し気な問いに、最は手を一旦止めて、ゆっくりと振り返る。


―――その光を返さない黒々とした瞳は、ただ静かに「詮索無用」と告げていた。


仕方なく引き下がったものの、釈然としない。

第一、急かすなと云われても、そう悠長にはしていられない。

今のうちに何がどう悪いのか知っておかなければ、言葉を選び損ねてしまうかもしれない。

勿論それは尋問を有利に進めたいという回り番の驕りであり、佐波の心を土足で踏みにじりたくないという気持ちの現れでもある。

情報を仕入れる為に次にサツキが向かったのは炊事場だった。

朝一番の大仕事――臥龍城に滞在する全ての人間の朝餉の支度とその片付け――がようやく終わった其処は、既に昼食の準備に取りかかっていて、酷く混雑していた。

溟楼庵ではサツキも時々加勢に呼ばれたことがあったが、厨房はまさに戦場の名に相応しい場所だった。

それまでは夜通し客の相手をする姐さんや兄さんの体力に勝るものはないと思っていたが、昼夜問わず食材と格闘し続ける厨房人はその上を行っている。

サツキは慌ただしく動き回る厨房人の邪魔にならないところで目を走らせ、目的の人物――早音を見つけた。

臥龍城ここでの彼女は主に病人食の担当で、朝から忙しく働いている。

その合間に佐波の世話をしているというから、彼女も相当タフだ。

呼ぶと、彼女はその優し気な面差しでサツキを見留め、すぐに駆け寄ってくれた。

まるで仲の良い姉妹のように接してくれる早音は、突如殺伐とした世界に放り出されたサツキにとって、オアシスのような存在だ。

忙しい彼女にまず謝罪をしてから事のあらましを告げると、早音は「まぁ」と頬に手を当てて困った顔をした。


『私も、最様から詳しくはお聞きしていないのです。昨晩、食事をお持ちしましたが、その時から既に佐波様のお心はここに在らずで…。出された食事にも全くの無反応で、まるで身体を残して心だけが冥府に行ってしまわれたようなお顔をしていらっしゃいました』


佐波の様子を思い出しているのか、早音の表情が翳る。

そして、少し躊躇うような間を見せた後、そっと声を潜めた。


『…実は、そのご様子がどうしても気になって、最様にお伺いしたのです。そうしたら最様は』


―――あの娘の探し人が、すでにこの世にいなかった。それだけのことだ。


静かにそう答えて、早音を下がらせた。

口では”それだけ”と言いながら、彼も佐波の様子を気に掛けていた事を、長年側で仕える早音が気付かないわけがない。

『きっと酷くお心を痛めていることでしょうね…』と気遣わしく呟く早音に対し、サツキは脳天からさぁっと血の気が引いていくのを感じていた。


―――探し人が、すでにこの世にいない。


それは、サツキが最も聞きたくない言葉だった。






「…あの、…ありがとうございました」

「えっ?」


いつの間にか思案にふけっていたらしい。

目をぱちぱちさせて焦点を合わせると、薬湯を飲み干した佐波が、血色の悪い顔でサツキを見ていた。

ちなみに薬湯は、早音から持って行く様に頼まれたものだ。朝食に手をつけられなかった佐波の為に作られたものらしい。

その旨を伝えると、佐波は青白い顔に申し訳なさそうな表情を浮かべ、素直に薬湯に口をつけた。

あれだけの怪我をしたのだ。最は許可を出したが、まだ体調が思わしくないのかもしれない。


———否、体調よりも、心傷が彼女から生気を奪っているのだ。


佐波は赤く充血した目でじっとサツキを見つめ、そして不意に頭を下げた。

背中の怪我の所為で殆ど礼とは云えない程の首の動きだったが、それが何事か畏まった行為であることは明らかだ。


「…早音様からお聞きしました。あの火事の夜、私の怪我を真っ先に看て下さったのは、サツキ様だったのですね」

「…ああ、そうイえばそンなことも…」


その後があんまりにもごたごたしていたので、すっかり忘却の彼方だった。

しかし、畏まって礼を言われるまでのことでもない。

結局サツキがしたのは止血と傷口を水で洗う事くらいで、その後は重傷だと聞きつけて応援に来てくれた他の医師達に任せたきりだったのだから。

謙遜と取られてしまうかもな、と思いながらも「大した事はしてなイわ」と応えると、案の定佐波は首を振った。


「最様から、最初の処置が早かったから、この程度で済んだのだと教えていただきました。サツキ様には、医術の知識が…?」

「ええっと…まぁ。…怪我の具合は?」


元の世界では、確かに看護を学んでいたけれど、自慢出来る程の経験はない。

なんとなく後ろめたくてサツキが早々に話を逸らすと、佐波はふ、と口の端を歪めるだけの笑みを浮かべた。


「大事ございません。皆様のご尽力のお陰です」


そう言って、おもむろに睫毛を伏せる。


「…こちらの方々には、本当に良くして頂いております。ですが、このような厚遇は、私のような使用人風情には過ぎたものです。幸い、身を起こせるまでに回復いたしました。これ以上…こちらでお世話になるわけには参りません」


彼女は再び、今度は可能な限り深く頭を下げた。


「ご恩は生涯忘れません。治療代、宿代、食事代は、必ずお返しに参ります。どうぞ、離宿のお許しを、進言しては頂けないでしょうか」


静かな声だった。平坦で、熱もなく、それ故に聞く者を頷かせてしまうような。

だが、もちろんその願いを聞きとめることなど、土台無理な話だ。


「それは出来なイわ」


サツキは出来るだけ冷たく、ハッキリ言い放った。


「あなたをここから出すことは出来なイ。そして他の者と同じ待遇に置く事も、外部の者と接触させることも出来なイ。―――どうしてか、わかる?」


頭を下げ誠意を見せる彼女に対し、自分のこの高慢な態度はどうだ。と心の中で自分を罵倒する。

それでもサツキには、佐波の提案を叶えてあげる事も、受け止める事すら出来ない。

回りくどく断ることよりも、今彼女が置かれている現状を正確に伝える事が”誠意”だと、サツキは信じた。


「病み上がりの貴方に、こンなことは言イたくなイ。でも、貴方はこの騒動の容疑者の一人なの。現場に居合わせてイる以上、全てが明るみに出るまでは、解放することは出来なイわ」

「…騒動とは…あの晩の…白刃を持った男達のことですか」


まるで断られることを知っていたかの様な落ち着きで、佐波は尋ねる。

揺さぶりをかけられていることは明らかなのに、なぜ今、こんなにも真っ直ぐな目で見つめて来る事が出来るのか。

常人ならば、全く身に覚えのない罪の容疑者だと言われれば動揺して当然のはず。

では彼女が?まさか…


いつの間にか公平を忘れ、佐波に肩入れしようとしている自分に気付いて、内心慌てた。

しかし表面には、あくまでも仕事の顔を貼付ける。これくらいのことで、呑まれるワケにはいかない。

サツキは顎を引いた。


「そうとも言えるし、そうでなイとも言える」

「…?」

「因果関係が明らかでなイの。結論を出すには情報が足りなイ。…でも、あなたの現在の嫌疑はハッキリしてイるわ」


その表情の変化一つ見逃すまいと、目を凝らす。

『何も信じるな。人も、己も。俺たちの仕事は只一つ。疑うことのみと知れ』

そう教えてくれたのは、サツキとルッカに仕事を与えた男だった。

彼は無情な掟を口にした、それと同じ口で言った。


『忘れるな。お前が気を許した数だけ人が死ぬ。疑うことで、守れるものもある。』


なんて世界だ、と思った。

だが、これがサツキが今生きている世界の現実。

受け入れるか否かは問題ではない。生きたければ、受け入れるしかない。


サツキは、理性の命ずるままに、表情を凍らせて言った。


「あなたへの嫌疑は———総主の御子の誘拐未遂よ」





今回はサツキ視点です。ある意味ダブルヒロイン。

最先生が意外と優しい人で私もちょっと吃驚してます。



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