10
「お前が助けたのが総主の子でなければ、こんな待遇は得られなかっただろうよ」
どこか投げやりな黒衣の男―――最の言葉に目を丸くして、佐波は双子を見た。
―――総主の、子…?
白磁の頬の美童たち。その稀に見る美しさに、てっきり禿だと思って疑わなかった。
―――だが…
何故だか釈然としない。
すぐにその理由に思い至って、佐波は素直に問った。
「総主様のご子息が、なぜあの晩遊郭に…?」
その問いに、最はわずかに片眉を上げた。が、すぐに元の陰鬱な表情になり、
「あの晩に限らず、総主が行くところには全て同行するようになっている。―――それを言うなら、お前の方だ」
「へ?」
「火事の時にお前を目撃していた者が言うには、お前は燃え盛る溟楼庵の中に単身で飛び込んだそうだな」
何故だ?と暗い瞳で問われて、佐波は思わずぎくりとした。
―――何故って…私は…
意識が記憶を逆撫でる。その感触に背筋が震え、いつのものかも定かではない朧げな光景が閃いた。
———姫様…
「っ わ、私はいお、人を捜していて…!そ、それより、あの、ここに、以織という名の男娼は———!」
「落ち着け。傷に響くぞ」
ぐっと起き上がろうとした佐波を、最は面倒そうに押さえる。
その腕にしがみついて、佐波は言った。
「お、お願いです…!教えてください!私は、人を…『以織』を捜して遊郭に…!」
ここに、いるはずだ。
あれが熱に魘されて見た幻でなければ。
そうじゃないと言いきれない。でも、そうだと言うにはあまりにも生々しい吐息と、以織の———
「いおり…?」
佐波の言葉を聞き止めた最が、一瞬表情を動かした。
それに気付いて、背中の引き攣れるような痛みを無視して更に詰め寄る。
「以織をご存知なんですかっ?あの、今年20になる、美しい、えっと、布津から…っ」
「…いいから落ち着け。お前のいう『いおり』が、俺の知る『いおり』だとは限らない」
「い、いいんですっ なんでも、以織の情報なら、なんでも!」
必死に言い募ると、最は何事かを深く思案するように黙り込み、やがてため息をついた。
「…分かった。だが、まずはお前の話が先だ」
「えっ?」
「はっきり言おう。お前は疑われている」
「う、疑われて…?」
なんだか不穏な方向へ進んでいる会話に不安を覚える。
最は腕にしがみついたままぽかんとしている佐波のその手を離しながら言った。
「回り番が言うには、お前はあの晩、二つの現場に居合わせているな」
「二つの…現場?」
回り番、というのは…溟楼庵の周りをうろうろする佐波に話しかけて来た、あの小柄な男のことだろうか。
そういえば、と佐波はあの晩のことを思い起こした。
———霈さんと合流した時、私は誰かに…しかも複数名に付けられていた。それらも皆”回り番”…?
あれは確か、突然吹き飛んだ溟楼庵の壁から飛び出してきた男を、偶然通りかかった自分が加勢して捕らえた、その後のことだ。
もしそうなら、やはりあの時から目を付けられていたのか。
他に『居合わせる』ようなものには思い当たるものがないから、恐らく一つ目の”現場”はそれだろう。
———だが、二つとは…?
困惑気味に眉根を寄せた佐波の表情を、その暗い瞳で見つめていた最は、ふ、と口元を歪ませた。
「まぁいい。俺の本分は医者だ。お前が何者であろうと、処遇が決まるまでの怪我の面倒は看る。それに、俺がせずとも警吏と回り番がお前を尋問することだろう」
「じ、尋問!?」
「心配するな。一応お前は総主の恩人だ。真偽の程が定かでないうちは、死に至る程の尋問は受けないはずだ」
「そ、それは拷問というのでは…!?」
細かい事は気にするな、と真顔で言って、最は心配そうに佐波を見つめていた早音に視線をやった。
「早音、お前は先に食事の準備をしてくれ。こいつは丸二日何も食べていないからな」
「あ、はい。畏まりました」
ハッとした表情で我に返った早音が、楚々と礼をすると立ち上がる。
そこにもう一度、最は言葉をかけた。
「ああ、ついでにこの双子も連れて行け。診療の邪魔だ」
「はい。…真灯、耶灯、行きましょう」
早音に優しく促されて、双子は少し戸惑うように佐波と最を交互に見る。
その目に浮かぶ訴えかけるような光に、佐波は思わず声をかけていた。
「…もしかして、私に何か———」
———何か、話があるのだろうか。
目が覚めるのを待っていたかのように部屋に入って来た双子の様子を思い出しながらそう問おうと口を開いた佐波を、最がきっぱりと止める。
「全ては診察の後だ。真灯、耶灯。外に出ろ」
揺るがぬ口調で言われて、双子は渋々といった様子で立ち上がると、静かに部屋を出て行く。
が、部屋を出る直前に一人が振り向き、佐波に小さく手を振った。
———真灯さん、かな。
反射的に小さく手を振り返す。すると、無表情に近かった少年の顔がぱっと華やいだ。
———か、可愛い!
ニコニコ笑いながら足早に去って行った少年を無言で見送りながら、内心で少年の可憐さを褒め讃える。
佐波にはかつて幼い弟がいた。一家離散でどこかの貴族の養子として貰われていったはずだが、無事に生きていればあれくらいの年齢になっているかもしれない。
他の兄弟には徹底的に苛められていた佐波だが、一番下のその弟とは彼がまだ幼いこともあって比較的良好な関係だった。というよりは、接点があまりなかった、というべきなのだろうが。
そんなことを考えて癒されていた佐波は、すぐそばで地に沈むような暗い空気を醸し出す男の存在を思い出してぎくりとした。
———そういえば、診察って…
もしかしなくても、彼がするのだろう。
別に、今更恥ずかしいとかそういうんじゃない。
今の自分の様子を見れば、意識のない自分の怪我を治療してくれたのはこの男なんだと理解も出来るし感謝もしている。
でも、なんとなく不安な気持ちになるのは…この男の醸し出す黒い気の所為か。
———出来れば早音さんに………いないし!
いつの間に部屋を出たのか。すでに姿の見えない早音の姿を部屋の中に探すが、もちろん何処にもいない。
つまり今は、この男———最と二人きり…
「…行ったか」
「ひっ」
ぽつり、と低く呟いた言葉に過剰に反応した佐波を、最は訝し気に見た。
「どうした、別に獲って食ったりしないぞ。切って貼ったりはするかもしれないが」
「そ、そそそそそれが怖いんです…!!」
男の、どこまでが本気で冗談なのかはっきりしない暗い真顔で言われると、怖さも倍増だ。
若干本気で怯え始めた佐波を、最は暫しじっと見つめた。
そのまま数十秒が経つ。
「…っ あ、あの?」
溜まらずに震える声で言葉をかけると、最は「ああ…」と視線を畳にずらした。
そして、
「お前、『いおり』を探していると言ったな」
「!は、はい!」
思わぬタイミングで得られそうな情報に、恐怖などどこかへ行ってしまった。
代わりに、体中に緊張が走る。出来ればこんな俯せの状態ではなく、ちゃんと座って話を聞きたいものだが…
どうにかして座れないかと模索している佐波に、最は静かに言った。
「一つ言っておくが、『いおり』という名の男娼は溟楼庵にはいない」
「…えっ」
ショックで思わず小さく叫んだ佐波の様子を、男の暗い瞳が捉え、そのまま言葉を続ける。
「これはどこの遊郭にも言える事だが、遊郭に来て遊女や男娼になる者たちは、それまでの名を捨てて、ここでの通名を持つようになる。場所により様々だが、溟楼庵では遊女には”鳥”の名を。男娼には”花”の名前を付けることになっているようだ。『いおり』もまた、ここでは別の名を持っている」
「通名…」
言われて、佐波は自分の無知さを痛感した。
使用人同士の風の噂で以織が溟楼庵に売られていったと知ったのは、もう随分前だ。その時は確かに『以織』の名前は出ずに、布津の没落貴族の姫の代わりに売られていった使用人、という呼ばれ方をしていたように思う。
佐波にはそれが以織のことだとすぐに分かったが、あの頃すでに遊郭では別の名で呼ばれていたのだ。
「…以織の通名をご存知ですか…?」
恐る恐る問うと、最は僅かに目元を緩めた。
先ほどの歪んだ口元といい———もしかしたら笑顔のつもりなのかもしれない。
「…お前の言う『いおり』が、俺の知っている『いおり』だとしたら、知っている」
「っ…い、以織は、以織は今…!」
どこに、と口走りそうになるのを、男が止めた。
「焦るな。一つずつだ。…『いおり』の通名は『君影』という」
「きみ、かげ…?」
「知らないか。冬の最中に咲く、小さな白い花のことなんだが」
「…!し、知ってます!」
君影草。確か、家が没落する前まで、家の裏の花壇でこっそり二人で育てていた花だ。
控えめな星形の花がいくつも咲く宿根草。冬の最中に雪を割って顔を出す、少し珍しい花。
あの花の種を買って来てくれたのは以織だった。家から離れられない佐波の為に、彼は珍しいものをよく買って来たり拾って来たりして佐波を楽しませてくれていた。
———間違いない、以織だ…!!
歓喜に打ち震えた佐波が、更に詳しく以織の情報を聞き出す、その前に。
黒衣の男は、その陰鬱な表情で淡々と言った。
「『君影』は、2年前に流行病で死んだ。もう、ここには存在しない」
君影草は現実に存在しますが、それとは別のものだとお考えください。(でもモデルはその花なので、基本は同じかも…)