9話:ごきげんよう、アトリ様
「2-Aの皆様、ごきげんよう」
次の日の朝。
登校した途端、2-Aの教室に神咲薔薇アトリがやってきた。
もちろん親衛隊であるメイド4人と、赤毛の男子生徒1人を引き連れている。
また教室内がざわざわと騒ぎが起こる。2-Aだけでなく、隣のクラスや1年生もアトリを一目見ようと覗きにやってくる始末だ。
「あ…」
アトリが目に付いたヒサオミは少し怯えていた。ケンはヒサオミを安心させるため、手を握ってやる。
「アトリ様おはようございます!」「アトリ様こっち向いてー!」「今日も美しいよアトリ様ー!」と周りがきゃいきゃい騒ぐ。
「おはー」
ふたりでやってきた大山小山コンビはケンに挨拶。小山はヒサオミと手を繋いだケンに「けっ!盛りやがって!」と悪態をつく。大山は「そんなことより新ガチャのラインナップが大変なんだ…」とソシャゲに齧り付く。
「おはよ……ひゃう~♡アトリ様…」
続いては黒髪の佐々木ユイがやってきた。ヒサオミに挨拶するやいなや、目の前のアトリの美しさに目を奪われる。ユイは密かにアトリ様信者なのだ。昨日のヒサオミとの不穏な関係はよくわかっていないが。
ちなみに華蓮は、テニス部の彼氏の朝練を応援しているためいつもホームルーム直前に教室に来ることになっているので、まだここには来ていない。
ヒサオミとケンが自分の席に着くと、注目の的であるアトリがつかつかこちらに歩いてくる。
やはり目的はヒサオミ……ではなく。
まさかのケンの机に腰掛けたのだ。むっちりとした太ももがわずかに形を変える。短いスカートからは今にも下着が見えそうだ。そのまま長い脚を組んでケンを物理的に見下す。
「あなたが五十嵐ケンね。ケン……まるで犬だわ。ワンちゃんって呼ぶわね」
「は?」
ワンちゃん呼ばわりされたケンは、素っ頓狂な声を発してしまった。
「ねぇワンちゃん、あなた彼女はいないわよね」
「はあ?だからワンちゃんじゃ……ってか、ヒサオミだよ。彼女であり嫁になるのは、隣にいるヒサ」
「いないわよね。なら、今からわたくしの彼氏にしてあげてもよくってよ。いいえ、今からあなたはわたくしの彼氏だわ。よろしくね、ワンちゃん」
するとアトリは強引にケンの顔を引き寄せ、頬にキスをした。
わあっとクラス中、いや、学園中が大騒ぎになる。
隣で何も出来なかったヒサオミも驚きに満ちた顔をしており、ユイも口をポカンと開けていた。
一方、大山小山はゲームのデイリークエスト消化に励んでいた。
「アトリ様どうして!?」
「いやだー!アトリ様が誰かと結ばれるなんて!」
「なんで五十嵐ばっか美少女とキスを…!?ほっぺたとはいえ!?」
「うわーー!これは荒れるぞー!」
学園中が混乱の嵐になる中、当の本人であるケンは、制服の袖で頬をぬぐっていた。
「嫌、だ、よ!」
反抗的な目をして必死に拒んだ。
「あら。あなた、キスした相手を結婚まで責任持つのでしょう?」
「今のはノーカンだ!」
「あら、唇の方がよかったかしら」
「ぐっ…」
言い淀むケンを助けようと、ヒサオミが身を乗り出そうとしたが、何者かに腕を掴まれ拒まれる。
親衛隊の男だ。ヒサオミとはまた違った赤髪の持ち主。
「んー、よくねえな~。ん。俺は西島鈴真だ。光田ヒサオミ、お前に手出しさせねーよ」
「ケン様…!ケン様!」
ヒサオミが手を伸ばそうとするが、鈴真がヒサオミを取り押さえる。
勇者の超人パワーを使いたいところだが、力が強すぎて人を殺めてしまう可能性があるため力が出せずにいた。
アトリは得意げにヒサオミの方を向く。
「光田ヒサオミ。あなた、このワンちゃんに好意を抱いていないのでしょう?」
「え?」
驚いたのはケンだった。
「あなたは『ある事情でワンちゃんとキスをする必要がある』。それだけよね?」
「何言ってんだアトリ…ヒサオミはなあ!」
ケンが必死に抗議しようとするが、ヒサオミはゆっくり口を開く。
「…アトリ様が仰る通りです。私とケン様は、あくまでキスだけの『契約』。ケン様が…誰と結ばれるかは……私には……関係、ありません」
「ヒサオミ!何言ってんだよ!」
ケンは「冗談だよな?」と必死にヒサオミを見つめるが、ヒサオミの瞳は真剣味を帯びていた。
「ですから…ケン様が望むのであれば……アトリ様との交際には何も問題はありません。ですが…ケン様が拒んでいるのに、無理矢理は…良くないと思います!」
ヒサオミがはっきりそう言い切ると、アトリは机から立ち上がり、数歩歩く。
「そ。あなたたちって過程を大事にするおこちゃまタイプなのね。ならいいですわ。」
アトリはくるりと回り、敢えてスカートが翻るような仕草をする。視力が良い者なら今の一瞬で下着を捉えたであろう。
「ワンちゃん、今からわたくしはあなたを夢中にさせますわ♡」
アトリはそう言うと、ウインクをケンに飛ばす。学園中、大騒ぎになりさらに大混乱、いや、大狂乱。
ケンは顔を引き攣らせ、何も言えずにいた。
予鈴が鳴っても、学園中の生徒たちは2-A周辺に集まって阿鼻叫喚。
予鈴を聞きつけてやってきた華蓮は、この大狂乱が理解出来ず、ユイから説明を受けては驚いていた。
一方、大山小山は新作ゲーム情報にガッツポーズをしていた。
*
午前の授業は何も無く終わる。
昼休みに入り、いつも通り、ヒサオミを連れて購買へ向かおうとしたその時。
「ごきげんよう」
またしても2-Aにアトリと親衛隊がやってきた。教室内がまた騒ぎになる。
それを見ていた担任の藤野先生は頭を抱えるが何も言わずに弁当を広げている。
「お前しつこいなほんと…」
ケンが嫌そうに言うと、アトリは口元を緩めた。
「うふ。わたくしが3年生だからといって、昼食は共に摂っても問題ないはずよ。」
「お前とは食べない!俺はヒサオミとついでに華蓮と屋上で…」
それを聞いたアトリは両手を顔の横で合わせて驚きを見せる。
「まぁ~!日当たりが強くて雨風凌げない屋上で食事なさってるんですの~?物好きですわね~!いいですわ。今日からわたくしのランチコースに招待してさしあげますわよっ!」
アトリがパチンと指を鳴らすと、メイドの4人の少女たちがケンの全身を拘束し、持ち上げる。
「うわー!離せー!」
メイドに担ぎ上げられたケンは身動き取れず、強制的に教室から連れて行かれる。
「行くわよ、鈴真。光田ヒサオミは放っておきなさい」
「よくねえな~お嬢ってば。だが、そんなとこも好きだぜ」
鈴真はヒサオミの顔をチラリと見ては無視し、アトリと共に教室を去る。
取り残されたヒサオミを、華蓮とユイが支えた。
教室が急に、静かになる。
大山小山はお弁当を流し込むように食べ、また別のゲームのデイリークエスト消化に励んでいた。
「ケン様…」
ヒサオミの胸の奥が少し、チクリとした。
9話:ごきげんよう、アトリ様
完