はんぺん
試しに描きました
彼、いやあいつは気味が悪かった。
なんであんな奴が今まで存在できたのか。
あのような人間なんていなければもう少し朝日は眩しかったのに。
幸運に両親のもとに生まれて、有難く勉学に励むことができて、この上なく不自由ない生活を営んでいる。
彼も私も皆もそのような一人一人だった。
彼には誰も近寄らなかった。
特になにか癪に障るような言動もしないし、人を不快にするような行動もしないが。
薄気味悪いのだ。
背丈は学生にしては少し小さく、着ている服はいつもゆとりが大きくてぼわぼわで、顔は薄化粧をしているように青白く薄暗い表情を浮かべていた。頭は不気味なほど丁寧に整えられていて、沈みこんだ黒髪と肌の青白さの不自然なコントラストを際立たせている。
授業中も目立たず、休み時間も静かにしていたので先生からはただ真面目なおとなしい生徒だと思われていただろう。
友達も居ないようでいつもひとりだった。
それでも大丈夫そうだったし、彼もそれを望んでいたようであった。
しかし周りの人間は彼を受け入れなかった。
彼には何も罪は無いのに気持ち悪いと言って彼を遠ざけた。
いつしか彼は周囲の人間から 「はんぺん」 とよばれるようになった。
「はんぺんがあるいてるよ」
「ぺちぺち音立てんなよ気持ち悪い」
とか言って囃し立てた。彼はうつむいて足を引きずって歩くだけだった。
私は弱い人間だったし、今もそうかもしれない。私も彼に対してどこからかわいてきた嫌悪感を周りに流されてぶつけてしまった。
入学してかなりの時間がたち、彼が「はんぺん」になって久しい頃、買い物の途中で人影をみた。
それは教会に入るはんぺんの姿だった。この日は日曜日であった。
どうやらはんぺんはクリスチャンであるようだった。
このとき私の中で僅かな好奇心が湧いてしまった。そこで教会に入ってはんぺんを観察することにした。
からかい半分で教会に足を踏み入れた私が目にしたものは、深く深く祈りを捧げ、目の前の老人の話を食い入るように聞くはんぺんの姿だった。
学校では見たことないほどに目を輝かせ、背筋は張り詰めていつもより体ががっしりしている。
私は驚きを隠せず、呆気に取られていたがすぐに正気に戻って教会を飛び出した。
宗教というものの理解が浅く、老人が神父であるか牧師であるかも分からなかった私は今の状況を理解するのに莫大の時間を必要とした。
一度家に帰った。
その日から私ははんぺんに吸い寄せられてしまった。
次の日いつものようにはんぺんは座っていた。小柄で色白のはんぺんだった。
学校終わり、私ははんぺんに声をかけた。周りはよせよといって止めてきたがそんなことはどうでもよかった。
「おつかれ」
声をかけるとはんぺんは少し驚いていつもうつむいた面をこちらに向けた。よく見ると歳に合わない幼い顔をしている。
「あ、う、うつかれ。」
まるでがらくた小屋から引っ張り出してきたかのような、空気の振動さえ忘れた音ではんぺんは応じた。
まだ気遣いのできる良心が残っていた私は、その日は声をかけるだけでそっとしておいた。
次の日の放課後もはんぺんに声をかけた。
今日は家に帰らないのかと聞くとこれから絵を描くと応えた。みていてもいいかと聞くと何も言わずにカンバスを取り出して絵を描き始めた。
タカの絵だった。
本人はどう描いたのかは分からないが私は鷹の絵だとおもった。絵に関しては何も知らないが、あまり上手くはないのはわかった。形はところどころ歪んでいて鷹の威厳は感じられず、色も地味で冴えなかった。タカは地べたを這いずっていた。
次の日もはんぺんは絵を描いた。
ウマの絵だった。
どんな馬かと言われれば、太くてゴツゴツとしたばんえい競馬の馬のようであった。しかし力強さは感じ取れなかった。ウマは走ることを忘れて惰性に流れ肥えていた。
その次の日もはんぺんは絵を描いた。
が、何を描いていたかは覚えていない。確かその次日も描いていたが覚えていない。ただ退屈で陳腐な絵であったからだろう。
その週は土曜にも授業があったのでいつもの通りはんぺんの絵を見に行った。
気づけば私の周りの友達も居なくなっていた。でも関係なかった。
その日のはんぺんはいつもと違っていた。
時折笑顔を見せ、筆遣いも大胆で豪快だった。
ただ様子がおかしい。
酔っ払っているのか、錯乱しているのか、異常はたしかに認められた。
何をえがいているのかも分からなかった。
しかし今までの絵とは違って異彩を放った。
目が回るぐらいの極彩色がお互いを食い殺さんとひしめき合って私をそそのかした。
はんぺんは狂っていた。
歪んだ笑顔でこちらを眺めて視線を合わさず、喜色たっぷりの声で
「明日は教会に行かないとねえ」
と笑った。
私はたじろいで相槌をうった。すると、
血相を変えて
「行かなきゃ」
「行かなきゃ」
「行かなきゃ」
と怒鳴り散らした。
顔は激高して真っ黒になるまで焼けた。
全てを燃やし尽くした。
焼け跡から男は歩き出した。
はんぺんはこんがり焼けてかまぼこになった。
怖い。
私は必死の思いで逃げ出した。
夜がすぎるのを待った。
明け方になっても体の震えが止まらない。
朝ごはんはちくわサンドだった。
ちくわからチーズを取りだしてパンとチーズだけ食べた。
ちくわはもやした。とてもこげた。
怖いけど教会に行った。
あいつはいなかった。
あいつはいなかった。
当然いなかった。
いてはいけなかった。
月曜日は元気に学校へ行った。
ぺちぺち音もしないし、楽しい。
授業も終わったし絵でも描こうか。
なんでもいいから描きたい。
タカとかウマとかいろいろ。
先生に顔色が悪いと言われたけど、そんなことは無いはずだ。
周りのみんなは身長が伸びてたくましい。
服が最近大きい気がするけどまあいいか。
来週の礼拝も行かなきゃね。
はんぺんってうまい?