閑話 黒騎士の秘めたる想い
決して誰にも明かさないつもりの心だった。
己が何者なのかもあやふやな自分が人のことを好きになるなんてのは、自分でさえ信じられなかった。
「───────お代は結構ですので、私と結婚しませんか?」
あの日の言葉はいつだって思い出せる。
部下を被った際に負った怪我がいつまで経っても治らず、最終的にたどり着いた不思議な魔女の家。
そこで出迎えてくれた可愛らしい魔女が、口に出した言葉は突拍子もないものだった。
彼女の事情を聞くうちに、これは見過ごすわけにはいかないと思い承諾したことだが、今になって思い返せばあの日の自分ほど素晴らしい決断をした時は二度とないだろう。
そうして契約という形で始まった結婚生活は、神秘と愉快に彩られたもので、心躍るような日々であった。
巷では黒騎士などと呼ばれて恐れられていたりするぐらい、不機嫌な顔が似合う人間なのだと思っていたが、彼女に出会ってからは笑うことが格段に増えたと思う。
この出会いは奇跡のようなものであり、神が授けてくれた幸福なのかもしれない。
かつてどこかの魔女が落とした祝福よりも、比べ物にならないほどの幸せを知った。
だが、この結婚に一つだけ問題があるとすれば、それは『契約』ということだ。
どれほど親しくなろうが、いつまで経ったって自分たちは契約夫婦。
彼女はそういう認識でいるらしい。
もちろん、その考えを改めて欲しいだなんてことは思わないし口に出すこともない。
あと半年もすれば成人するとはいえ、まだ未成年・・・・・・本人からは大人として扱うように言われているが、それでもまだ未成年である。
いつか彼女が本当に愛する人に出会った時のために、この恋心は伝えない方が負担にならないだろう。
そう自分で自分を納得させたはずなのに、まだ年端もいかない少女に心を動かされ、彼女のことを絶対に手離したくないと思えるようになったのだ。
この恋の行く末は自分にも彼女にも分からない。
けれど、行き着く先に彼女の笑顔さえあれば、なんだって良いんだ。
──────────────
「恋を知りたい・・・・・・?」
あくる日のこと、唐突にリラさんはそんなことを語りだした。
やけに深刻そうな顔をして、騎士様ちょっとお時間よろしいですか、なんて聞いてくるものだから、一体何があったのかと身構えていたところ、そんな議題が飛び出してきて一瞬理解が追いつかなくなる。
「はい。騎士様の本心を聞いて改めて思ったのですが、私はまだ恋愛というものを理解できていないのです」
どうやら先日のことを引きずっているらしいが、思わぬ方向に向かっている。
「惚れ薬のレシピなら知っていますが、恋心の揺れ動きは知りません。なぜなら師匠からそんなことを学んはありませんし、実用性が皆無だったからです」
「そ、そうか」
惚れ薬とやらも気になるが、今は聞かないでおく。
魔女の神秘というやつだろう。
「ですから、私は恋心が分からないんです。本で読んでも理解できませんし、ほかの魔女たちに聞いたって余計に謎が深まるばかりなのですよ」
そう語っているリラさんの顔は真顔で、ちっとも楽しくなさそうだった。
たしかに、恋愛観など人それぞれのものであって、恋について語るのならまだしも学ぶとなると難しいはずだ。
「人が人を好きになるということの概念が分かりません。好きってどんな感じなんです?草花を慈しんだりするのとは、違うんですか?」
「理屈で考えようとするからダメなんだ。愛しいとか大切にしたいとか、そういうざっくりした考えで捉えればいい。それに、そんなの人によって違うからな、好きな人を守りたい人もいれば、守って欲しいという人もいる。恋の感覚はその人にしか分からないものだ」
「へぇ」
恥ずかしいと思いつつもこちらが長々と語ったわりに、あっさりした返答であった。
これでは無駄に恥ずかしい思いをさせられた気がする。
「難しいですね。結局のところ、やっぱり自分の身をもって経験しないと、分からないと」
うんうん唸っている可愛らしいリラさんを見ていると、なんだか少し仕返しをしたくなってきた。
そう・・・・・・この可愛い顔が羞恥に染まるようなことを。
「では・・・・・・実践してみようか」
内心で悪いとは思いつつも口に出してみれば、素直な彼女はすぐに食いつく。
「実践、ですか?」
「ああ。人が恋しい人を前にするとどうなるか、この身をもって教えてあげよう」
「教えるって、どんなふうに?」
きょとんとした顔で首を傾げている。
こちらの言葉の意味にまだ気づかないなんて、よほど純粋なのだろう。
「それはもちろん・・・・・・」
ぐっと体を近づけて、リラさんの背に腕を回す。
互いの鼓動が伝わってしまいそうなぐらいに近い距離だ。
そのまま片方の手を彼女の頬にそっと当てて、顔を寄せる。
「えっ、えっ、あの・・・・・・」
何をされるのかようやく理解したらしく、目を逸らしたり頬を染めたりして慌てていたが、抵抗するのを諦めたようにぎゅっと固く目を閉じてしまった。
ふふっと笑みが零れ、唇ではなく、耳元でそっと囁いた。
「───────本当に、愛らしい人だ」
「〜っ!」
うるんだ紫色の瞳で、こちらを睨みつけてくる。
その仕草もまたいっとう可愛らしい。
「どうだ?ドキドキしたか?」
からかうように聞いてみると、リラさんは顔を真っ赤にした。
いくら好きだからって無理矢理口づけしたりなんかはしない。
それがわかっていながらも、受け入れるような反応を思いっきりしてしまったのが恥ずかしくてたまらないといった様子だ。
「へっ、あ、いや・・・・・・これは、驚いただけです!騎士様が、急にこんなことしてくるから・・・・・・」
「まだこういうのは早かったかな?でも大人扱いして欲しいと言ったのはリラさんだろう」
「いや確かにそうですけど、それは今じゃなくても・・・・・・!」
これでは大人扱いの意味が違うとリラさんは抗議する。
「はははっ、すまなかった。ちょっとからかってみたくなっただけだ」
「もう!騎士様ったら、からかいたいだなんて急に子供みたいにならないでくださいよ」
「次からはもうしないさ。それに、あの言葉は本心だぞ」
「え」
キスについてはそれ以上触れず、話題を変えることにした。
もう十分楽しませてもらっただろう。
これ以上弄ぶと後が怖いのは分かっている。
「じゃあ次は、リラさんのお師匠のことを思い浮かべてみようか」
「・・・・・・えっと、師匠とアンゼルムのことですか?」
急に師匠について言及されたことで、すこし驚いた顔になる。
アンゼルムというのは、リラさんの師匠の夫の名だ。
彼自身は娘のような存在のリラさんにパパと呼ばれたがっていたそうなのだが、リラさんはその願いをさらっと無視して名前を呼び捨てにしている。
「ああ。仲の良い夫婦だったのだろう?リラさんが一番近くで見てきた恋人なんだ、参考にするにはうってつけだろう」
「たしかにそうです!さすがです、騎士様!」
さっきまでいたずらをされていたこともすっかり忘れて、リラさんは感激したようにそう言った。
しかし、彼女の師匠夫婦を参考にしてみるというのは良い方法だろう。
リラさんから話を聞く限り、二人は大変に仲の良い夫婦だそうだから、下手な恋愛小説よりも詳しく知ることができるはずだ。
「では、二人は普段どのように過ごしていたんだ?」
「そうですね・・・・・・まず師匠たちは朝起きてすぐに接吻を何度もします。朝食の時も二人でベッタリくっついて食べさせ合いっこしてます。朝食だけじゃなくて昼も夜もですね。というか、家にいる時は四六時中一緒ですね。お風呂も一緒に入りますし、着替える時も一緒で」
「待て待て待て!もういいわかった」
至って真面目な顔で語り出すリラさんに、一切頭が追いつかなくなった。
「それは、無理だ。流石におかしい」
「え、そうなんですか・・・・・・?」
なぜ驚くのか。
リラさんは何がおかしいのかと怪訝そうだ。
何年も二人のそばにいたはずのリラさんがこの反応ということは、もはや日常の光景として当たり前のものだと捉えられてしまっているのだろう。
やっぱりこの方法はダメだったかもしれない。
それどころか、リラさんの知っている恋愛という概念そのもの自体疑いたくなってきた。
「仲が大変よろしいのは分かったが、一般的な夫婦を目指すとしたら絶対おかしい。中々いないだろうそんな夫婦」
「えぇ、そうなんです?私てっきり、世の中の夫婦はそういうことをするものだと」
「いやまあ中にはそういうご家庭もあるだろうが、俺たちが真似をすることはできない。というか、主に俺の精神がもたない」
「もたないんですか?」
「ああ。嬉しすぎて脳が溶ける」
「まあ怖い」
起床の時点でもう耐えきれなくなるのは明白だ。
というより、リラさんの話からして二人は夫婦というよりも付き合いたてのはしゃいだ恋人同士のようにしか思えない。
「一体どんな出会いをしたらそうなるんだ・・・・・・?」
「普通の出会いですよ。アンゼルムが・・・・・・師匠の夫が、魔獣を討伐するためにこの国を訪れた際に師匠と出会ったそうなんです。まあ、よくあることですよね」
「そ、そうなのか・・・・・・?」
魔女たちの間ではよくある事なのかもしれないが、一般人は魔獣を討伐したりなんかしない。
「だが、魔獣を討伐するということは、彼は騎士だったのか?」
そういうことをできるのは、他に騎士ぐらいしか想像がつかない。
だが、アンゼルムという名の騎士は聞き覚えがない。
「いいえ、アンゼルムは魔法使いなんです。遠い国で古い歴史を持つ魔法使いの家系に生まれ、素晴らしい才能に恵まれたのですが、家の人が彼を一族の繁栄の為の駒として扱うのに嫌気がさして逃げ出し、様々な国を放浪している日々を送っていたそうです。その際、持て余した魔力を、魔獣を討伐することで発散していたんですよ」
そもそも人では無く、人に近しい存在だった。
彼の一族は魔法使いなのに、一族の繁栄だとか名誉だとかを気にしているとは、この国の貴族と対して変わらないようだ。
「誰も自分を理解してくれる人などいないと、心が荒みきっていたさなかに出会ったのが師匠でして、何にも囚われず自由奔放に生きている師匠に憧れのような恋をしたそうなんです。その恋の衝撃は凄まじかったらしく、彼は肩書きも祖国も捨てて、ただの魔法使い『アンゼルム』として師匠の隣で生きることを決めました」
甘ったるい暮らしぶりとは打って変わったロマンチックな話だった。
たしかに、二人の出会いは運命的だ。
「そうなのか・・・・・・。当時のアンゼルム殿にとってお師匠は、憧れであり、大切なものを捨ててでも隣にいたいと思う存在だったのだな。好きだから隣にいたいだけではなく、それ相応の覚悟を決めると。素敵な話じゃないか。そういう愛も、美しいと俺は思うぞ」
「なるほど・・・・・・。アンゼルムと師匠の馴れ初めは何度も聞かされてきた話でしたが、そういうことなんですね。ようやく気づけました」
何かを納得してくれたらしいリラさんがぽんと手を打つ。
「単純に好きだから隣にいたいっていうのじゃなくて、アンゼルムは覚悟を背負って愛を選んだのだと。誰かのことを好きになると、家も国も捨てられるぐらいになれるんですね」
しみじみと感慨深いようにそう言う。
彼女の師匠夫妻は、リラさんの恋愛に関するポンコツぶりからは想像のつかないほどロマンチックな恋をしてきたなんて不思議だ。
「俺も、リラさんのためならなんだって捨てられるぞ」
「私は求めてないので別にいいですね」
あっさりそっぽを向かれてしまった。
「今日のリラさんは一段とつれないなぁ」
彼女の紫がかった白い髪をひと房すくう。
恭しくそれに口付けをしてみると、思わぬ反応が返ってきた。
「そっちこそ本当に今日は一段とタチの悪い美男子ですね。そんな騎士様にはこうしてやります!」
ぐいっと襟元が引っ張られて体が傾く。
次いで、頬になにか柔らかいものが当たる感触が。
「・・・・・・っ!?」
今されたことが現実なのか分からなくなって恐る恐る視線を向けると、してやったと言わんばかりの顔をしたリラさんがいた。
「今の騎士様、とても良い顔です」
にんまり。
慌てるこちらに対して満足気な顔だ。
「は、ははっ、それはどうも」
思わず口から笑いがこぼれた。
おそらく彼女は自分がしたことの重大性について少しも分かっていない。
好きでもない男の頬にキスをするなんて、そんなまさか。
予想外の仕返しに打つ手はない。
リラさんとしてはただ、やり返してやりたくてちょっとしたスキンシップのつもりだったんだろう。
からかったら、その分だけやり返されると思い知った。
恋を知らないこの魔女は、もしかすると自分にとって、とてつもなく恐ろしい存在なのかもしれない。




