第二話 白魔女の呪い
三月ほど前のことだ。
いつものように集会へ足を運び、宴席で顔見知りの魔女たちとたわいもない話を交わしていたはずが、会話の中で何を間違えてしまったのかリラに対する説教大会が始まってしまった。
内容は、リラの結婚について。
「リラちゃんにとやかく言いたいわけじゃないんだけどさ、もうそろそろいい歳じゃない?」
「白魔女でいたいのなら伴侶を持たなければ。これは大切な掟なのよ、リラ」
歳上の魔女たちからあれこれ言われて、リラは目線を泳がせながら黙々と茶を飲むことしかできない。
周りは全員成人どころか何百歳も歳をとっている魔女たちばかりで、酒の香りが嫌という程漂ってくる空間で飲むお茶は少々居心地が悪かった。
「でも、まだ若いんだし今すぐ相手を見つけなくたって」
「何言ってるのさ!そうやって先送りにしたって余計面倒になるだけでしょぉ!」
すっかり酔っ払っている赤髪の魔女が、ビールのジョッキをテーブルに叩きつけながらそう怒った。
言っていることは確かに正しいが、酔っ払いに言われても納得はできない。
歳若いはずのリラがこうも責め立てられているのには、厄介な理由がある。
リーンズワールの白魔女には、絶対に守らなければならない掟があるのだ。
結婚をするという、大切な掟が。
なぜリーンズワールの白魔女のみにそんな訳の分からない掟が課されているのかというと、その理由は数百年程昔に遡る。
ある代の白魔女が、恋心に苦しめられた。
彼女は心優しい魔女で、ある日リーンズワールの森で怪我をした狩人に出会った。
彼女はすぐさま狩人を治療し、彼女の住処である小屋へ連れ帰り三日三晩付きっきりで看病した。
彼女の熱心な看病のおかげか狩人はすぐに回復し、魔女にお礼をしたいと言って小屋へ残り魔女の仕事を手伝うようになった。
それだけでなく魔女の為に獲物を持ち帰るようになったり、獲物を売って得た金で彼女の為に新しいドレスを仕立てたり。
そうしているうちに、いつしか二人は仲睦まじい恋人同士となった。
だが、ある嵐の夜にその恋は終わる。
狩人は、魔女が金になることを知ってしまった。
獲物を追いかけて得られる金の、何倍も大きな額になることを。
街である貴族が、魔女の髪と血と涙を探していた。
魔女の体は人間と違い魔力に溢れた特別なものであるから、それを病床の妻に食べさせるのだと言う。
魔女は人見知りで森の奥深くに籠っていたので、当時の街の人間たちは魔女の存在すら知らなかった為、皆が揃ってありえない話だと笑い飛ばしていた。
だが狩人は、魔女を知っている。
森の小屋で狩人の帰りを待つ、若く美しい魔女のことを。
その夜、狩人は眠っている魔女を縄で縛り、髪ひと房切り取った。
異変に気づきすぐさま目を覚ました魔女は混乱する。
なぜ、愛しい恋人が私にこのような乱暴なことをしているのだろうか。
だが、魔女が目覚めても狩人は手を止めなかった。
次いで魔女の指先をナイフで浅く切り、溢れてきた血と、その白磁の肌を流れる大粒の涙を瓶に収めた。
これで俺は大金持ちになれる。人生を変えられる。
俺を貧乏だと笑ったあいつらを見返してやる。
男は泣き腫らす魔女に目もくれず、小屋を去っていってしまった。
一人残された魔女は悲しみの海に沈むだけ。
いつしかその悲しみは、金に目を眩ませて心を変えてしまった狩人への深い深い憎しみへと形を変えていく。
魔女は癒しの力すら失くし、醜く衰えていった。
積もった憎しみは、この先も永遠に続いていく。
魔女が死んで以来、生涯の伴侶を見つけられなければ魔力が衰え醜く変貌してしまうという恐ろしい呪いが、白魔女たちにはかけられているというのだ。
相手はなんだっていい。
人間でも、鹿でも、龍でも、死ぬまで添い遂げる相手であると決めたのなら誰だっていい。
魔女の憎しみに打ち勝つため、かつて彼女が成しえなかった愛するものとの結婚を、次代の我々が叶えていかなければならない。
そういうわけで、例に漏れず今代の白魔女リラにもその役目は課されているのだった。
(来年には十八歳になるから、そろそろ相手を探さないといけないのよね)
義務的な結婚に果たして呪いに勝つだけの愛があるかどうか、甚だ疑問である。
正直、義務で結婚して済むような呪いならそろそろ消滅した方がいいと思う。
などと口に出しては他の魔女たちを余計怒らせそうなので言わないが。
「そうだリラ!いい話があるのを思い出したよ」
「なに?」
「シェンユゥ様が嫁探しをしているんだよ。ほら、煌国の大龍の。あの方ならきっといい旦那になるよ!」
「えぇ・・・・・・?あの、でっかい龍?」
シェンユゥは東の大国、煌国に住む龍である。
かなりの長生きかつ恐るべき力の持ち主で、西方の魔女や魔法使いたちと交流もあり、新人魔女のリラでも知っている。
彼が嫁探しをしているとは初耳だが、それに応えることはできない。
「ないない。絶対ありえませんよ。そもそも、シェンユゥ様と結婚することになったら私はリーンズワールをでなければなりません。そうしたら、リーンズワールの白魔女にかけられる呪いの効力は無くなって結婚する意味も無くなりますよ」
あれ?それならそれで良くないか、と思ったがその場合白魔女業は辞めなけれならなくなる。
煌国を愛し煌国を護り続けている大龍のシェンユゥが、リーンズワールへ移り住むとは絶対に考えられない。
先々代の頃から続けてきたあの店も跡継ぎがいなくなってしまうではないか。
仲良くしてくれる村の人々も診療をする人がいなくなれば、きっと困るだろう。
「だがそうは言っても結婚はせねばならぬことだろう。なに、お前が煌へ行けぬのならシェンユゥをこちらへ連れてくればいいだけだ。彼奴なんぞちょいとデカい蜥蜴みたいなものだと思えばよかろう」
そう言ったのは、リラよりも背丈の小さい幼女の見た目をした魔女、ペルスネージュだ。
口調が歳を表しているように彼女は見た目に反してかなりの年配である。
シェンユゥとの付き合いも皆より古く、蜥蜴扱いなんてできるぐらい。
「それに奴は意外と一途な男じゃ。今でも鮮明に覚えておる、彼奴が人の姿をして儂の前に現れた時のことじゃ。それはそれはもう麗しく神々しい美の結晶のような男が降臨したものだと・・・・・・」
「はいはい。その話もういいですから」
うっとりとなるペルスネージュの横で、リラは死んだ魚のような目になる。
シェンユゥの人間体がたいそうな美男であるというのはもう散々聞かされた話だ。
そもそもリラは彼の人間体は一度も見たことがないので、あれこれ語られても簡単には信じられない。
「ダメね、このままじゃ埒が明かないわ」
眼鏡をかけた魔女、オリアーヌが立ち上がり凛とした声でリラの名を呼ぶ。
「そんなにシェンユゥ様と結婚したくないのなら、次のワルプルギスの夜までに結婚相手を見つけて私たちに紹介しなさい。それができないのなら、シェンユゥ様と夫婦の契りを交わしなさい」
「え・・・・・・え?」
今、オリアーヌは何と?
リラは使い物にならなくなったかのように固まってしまう。
「だぁかぁらぁ!次のワルプルギスの夜にあんたの旦那を連れて来いってことよ!出来なかったらシェンユゥのジジイが旦那ね〜ってこと!」
呆然としていたら、酔っ払って酒瓶を振り回していた魔女にバシバシと背中を叩かれる。
頭が追いつかなくて周囲に助けを求めようと思っても、皆、いい案ね!これで解決するわ!なんて言って喜んでいる。
「そんな馬鹿な・・・・・・そんなことって!?」
絶句して、頭を抱えることしかできない。
なんという無茶ぶりだ。
そんなことできるわけがない。
リラは村の住民と関わりはあるものの、結婚までしてくれるような相手なんてどう考えても村にはいない。
いつも優しいオリアーヌが、こんなに冷徹になるなんて。
「オリアーヌ、どうして・・・・・・」
ぐすんと涙目で彼女を見る。
「いい?リラ。みんなあなたの事を心配しているの。あなたはここにいる魔女みんなで育てて来たような子なのだから、心配しないわけがないじゃない。面白がってあなたに無理強いしているわけではないのよ」
リラの頭を撫でて、オリアーヌは優しく微笑んだ。
リラは孤児で、先代魔女に拾われた。
魔女は幼子をよく可愛がる。
先代は集会に来る魔女たちの力を借りながら皆でリラを育て上げてきた。
リラにとって先代だけでなく、オリアーヌもペルスネージュも親のようなものなのだ。
「ただ、大切で愛しいあなたを守りたいだけ。あなたは若いから、狂った魔女の末路を知らないだけ。いつか私たちの気持ちが分かる日がくるわ」
「いつかお前が壊れてしまう日が来るなんて、儂らは嫌じゃ。そんなお前は見とうない。皆もそう思っている」
ペルスネージュの言葉に、騒いでいた皆も真剣な顔をしてこちらを見つめている。
彼女の言葉が、皆の総意というわけだ。
「よいか、リラ。お前は必ず、魔女の呪いに勝つのだ」
ペルスネージュの手に一枚の紙・・・・・・誓約書が現れる。
ペルスネージュは有無を言わさずリラに名前を書かせる。
リラも大人しくそれに従った。
魔女の誓いは絶対だ。
違反は許されない。
もし約束を違えたときは・・・・・・。
(その時は、魔女でいられなくなる)
約束を破っても、約束から逃げても、どうにもならない。
リラの手元にある解決法はたった一つ。
結婚相手を自分で見つけることだけだった。