第十七話 白魔女と黒騎士の記憶
「遅くなってすまない。団長から送ってもらったと聞いたが、大丈夫だろうか?」
日の暮れた頃に、いつもよりも疲れた顔のアインハードが帰宅した。
一人で帰るつもりだったが、リーヴェスがここまで送ってくれたのだ。
仕事があるのではないかと断ろうとしたが、リーヴェスの押しが強くて断りきれず、仕事はどうなさるんですかと涙目で引き止めようとしていた彼の部下を横目に、ここへ帰ってくることになった。
「おかえりなさい。はい、私は大丈夫ですよ。特にこれといって怪我などはしていませんし、むしろ、騎士様たちの方が大変だったのではないのでしょうか」
「ああ。確かに、面倒な事件だった」
ひとまず向かい合って座り、状況報告をする。
曰く、あの男は宝石店に泥棒として入ったのだが店員に見つかり、暴行を加えて抵抗した挙句に逃走していたのだと。
追いかけてきていた女性は異変に気付いた別の店員だった。
手口も巧妙で、取引先の商人に成りすまして店内に入り込んだそうで、絶対に取り逃がすまいと必死だったそう。
なんとも人騒がせな事件であるが、店員は軽傷で済んだそうで、犯人も無事に捕まりこれで一件落着だろう。
「それより騎士様、もう怒ってないんですか?」
「あ、いや、その・・・・・・昼間は、すまなかった。まさかリラさんが危険な目にあっているとは知らず、怒りのあまりに感情が抑えきれなかったんだ」
子供みたいに恥ずかしい真似をしたと、アインハードは目をそらした。
「怪我が無かったのは幸いだが、もし少しでも駆け付けるのが遅かったらと思うと、どうにも・・・・・・」
綺麗な顔を歪めて、ぐっと拳を握り込む。
自力で対処できることだったが、アインハードがここまで自分の身を案じてくれているのならと、リラもようやく素直に笑うことができた。
「騎士様、今日は本当にすみませんでした。それから、ありがとうございます」
「いいんだ、リラさんが謝ることなんて何も無い。むしろ俺の方こそ、リラさんは悪くないのに怒ってしまって、恥ずかしい限りだ・・・・・・」
「いえ、黙って出かけたのは私が悪かったですし、次からはちゃんと伝えます。だから、何かあった時はまた今日みたいに守ってくださいね」
「当然だ。俺は貴方の為の騎士だから」
落ち込んでいた表情から一転、自信満々の輝くような笑顔でそんなことを言われた。
貴方の為の騎士。
声に出すと中々凄いセリフであるが、さらりと言ってしまえるアインハードが恐ろしい。
「それより、ずっと聞きたかったのだが、そもそもリラさんはどうして帝都に来ていたんだ?何か用があったのなら、俺に言ってくれれば・・・・・・」
それに、あの辺にはリラさんが用のありそうな場所は無いと思うのだがと続けられて、リラは渋々答える。
「いやあ、騎士団本部を訪ねるつもりだったのですが、途中で道に迷ってしまいまして」
「道に・・・・・・迷った?」
「はい。もう真逆の方向に進んでしまいまして」
迷ったにしてもあまりにも見当違いな方向だ。
アインハードに驚かれるのも無理はない。
へらりと笑ってなんとか誤魔化す。
もしかすると方向音痴かもしれないと、十何年生きてきて今日初めて自覚したなんてことは、気づかれたくなかった。
「では、騎士団へは何故?」
「それは・・・・・・」
一瞬、言い淀んだが言ってしまったことはいまさら取り消すことはできない。
リラは意を決して口を開いた。
「騎士様について、騎士団長様にお聞きしたいことがあったのです」
「俺に、ついて・・・・・・?」
アインハードは不思議そうな顔をする。
「俺に関することなら、俺に直接聞けば良いのでは?」
「それなそうなのですが、その・・・・・・」
確かにそれはそうだが、あの夜の一件を隠す為に本人に聞くことはできなかったのだ。
「俺について何を聞いてきたんだ?教えてくれ、リラさん」
心なしかアインハードの距離が近い。
その綺麗な顔を近づけて問い詰められると、洗いざらい話してしまいそうになるのでやめてほしい。
「それは・・・・・・今はまだ言えません」
「言えない?何故?」
「なんでって、その、えっと・・・・・・」
どうしたものかと口ごもっていると、ふいに、アインハードがにやりと口の端を釣り上げて笑った。
「なるほど、どうしても口を割ることはできないと。ではリラさんは俺に黙って他の男と密会してきたということで良いのかな」
「なっ!?騎士様意地悪ですよ!」
リラが抗議の声を上げると、アインハードがはははっと笑う。
(今日の騎士様は、一体何なんです・・・・・・!?)
いつもはもっと穏やかで、人の良さそうな笑顔のはずなのに、その瞳の色は普段とまるで違う。
熱っぽくて艶やかで、見つめられるとそれだけで溶かされるような気がしてしまう。
その月の色をいつものように見ることが出来なくて、リラはそっと視線を逸らした。
このまま妙に甘ったるいやり取りを続けていても時間の無駄だ。
もっと落ち着いた時間に折を見て話すつもりだったが、この機に全て片付けてしまおう。
「実は、騎士様の過去の記憶がないことについて教えていただいたのです」
リラの言葉を聞いて、アインハードは驚いたように固まってしまった。
「・・・・・・一体どこでそれに気づいたんだ。昔のことを話す機会もなかったし、聞かれなかったから答えないではいたのだが」
怒ってはいないが、口調は固くなった。
一気に雰囲気がしんと静まり返り、少しだけ話すのが怖くなる。
もし、過去には触れて欲しくなかったと悲しまれたら。
もし、魔女の祝福のことを今でも恨んでいるのなら。
頭を過ぎる不安をなんとか振り払って、リラは話を進めた。
「ついこの前、季節外れの嵐の夜だった日のこと。騎士様は、ご自分が何をされたか覚えていますか?」
それを聞くと、アインハードは困ったように首を横に振った。
「いや・・・・・・だが、リラさんの言いたい事の見当はつく。またうわ言を呟きながら夢遊病のように動き回っていたのだろう。リラさんの部屋で目を覚ました時から薄々そんな気はしていた」
「そうです。うわ言を言って私の部屋に来るなり押し倒してきて、そのまま意識を失いました」
「・・・・・・は?」
急に真顔になった。
何を言われたのか理解できないとでもいいたげである。
「押し倒し、た?」
「はい。ばーんと」
「嘘だろう」
全くもって信じられないと、頭を抱えて蒼白な顔になってしまった。
「あの夜は、酷く頭が痛んで熱でも出したような気分だったんだ。すまない、そんな手荒な真似をリラさんにしていたとは、俺はなんと情けない・・・・・・」
「いえ、気にしなくていいんです。それで、その時のことが気になって騎士団長様に話を聞きに行ったところ、その事実を教えていただきました」
驚かされただけで、リラは特に被害を受けていないのだからそこまで気にする必要は無い。
しかしそう言ってもやはりこのお人好しで心優しい黒騎士様はしょんぼりと沈んだまま。
後で慰めるためにスイーツでも用意しようとリラは密かに思った。
「なるほど、そういう経緯だったとはな・・・・・・。確かに、俺には両親が生きていた頃の記憶が無い。おそらくそれが理由で精神に何かを抱えていて、時々幻聴を聞いたり、無意識にさまよっていたりすることがあったんだ。だがそれも子供の頃のことで、もうすっかり治ったと思っていたんだがな」
彼が他人と同居するのを嫌がる理由も、それが原因のことだった。
もしも騎士団の同僚に泣き言を聞かれでもしたら、夜半に意識が朦朧としたまま外へ飛び出していくところを見られたら。
そう思うと、自然と人の輪から外れたくもなる。
リラも幼い頃は、人攫いから逃げる夢を何度も見たし、一緒に捕まっていた他の子供達から恨めしそうな目で見られる夢もあった。
記憶は切っても切り離せないもので、当人の意思に関係なくいつまでも付き纏う。
「どうしてなんだろうな。俺には両親の記憶は無いはずなのに、夢の中では一人になりたくないと、知らないはずの誰かを追いかけているんだ」
少し悲しげな顔で自嘲するかのように笑う。
その顔を見て、リラはどうしてもいたたまれない思いを抱えてしまった。
「あの時騎士様は、『どこにも行かないでくれ』だとか、『俺を置いていくな』だとか仰られていまして。もしかすると、騎士様の過去にまつわることが原因ではないかと思い、騎士様に直接確かめもせずに一人で調べようとしたんです。すみません、人には知られたくないこともあるのに、勝手な真似をして」
そんなことはリラさんが気にしなくてもと言うアインハードを遮って、リラは言葉を続けた。
「でもどうしても、騎士様のことを癒して差し上げたかったんです。だって私は治癒の白魔女ですから」
あの時心に決めたその信念は、絶対に曲げられない。
リラは今代のリーンズワールの白魔女だ。
アインハードが悩んでいるのなら、その心を癒すことだって立派な務めである。
「ありがとう、リラさん。いいんだ、別に傷ついたりはしていないからな。寂しかったのも昔のことだ。記憶が無くとも構わない、俺は今を生きているからな。その気持ちだけで十分だ」
その笑みは、いつもの彼らしい柔らかい微笑みだった。
それが見れただけで、リラはもう思い残すことはない。