閑話 宵闇のデート
ある日のこと、日が落ちた頃にて。
「騎士様、森へお出かけしましょう」
収穫用のバスケットを片手に、ローブを羽織って出かける準備ばっちりのリラはそう言った。
ローブは外出用、それも森や山へ出かける際の丈夫な生地のものだ。
突然のリラの提案に、アインハードは目をぱちぱちとさせて驚いている。
「森とは、そこの・・・・・・?」
「はい。リーンズワールの森へお出かけです」
なぜ唐突に森へ行こうとなったきっかけは、アインハードが昼間、リラが何も言わずとも自らに森へ入ったことだ。
リーンズワールの森は、リラの家のすぐ後ろに広がっている。
古より紡がれし神秘と魔力に満ち溢れたその森は、人外たちが住む森だ。
魔力に拒まれて大抵の人間は森の入口から先へ進むことが出来ず追い返されるが、稀に通してもらえる人間もいる。
かつてのリラもそうだったが、アインハードも同じであった。
話を聞くと、兎を見かけて追いかけたらいつの間にか森の中だったそう。
何故そんな子供みたいなことをするのかと思ったのだが、どうも、人を恐れずやけに近寄ってくる兎が珍しく見えての好奇心からだと。
しかし兎を追っていたのはほんの最初だけで、いつの間にか兎のことも忘れて森の中を歩いていたのだと。
おそらく、森の魔力に酔っていたのだろう。
そしてその兎は幻獣だ。
人を恐れず近寄ってくるのは、己の方が強いという自信があるからで、特に害を加えてくることはない、森に住んでいるだけの幻獣だろう。
しかし、リーンズワールの森にすんなり入り込めただけでなく、帰り道まではっきりしていただなんて稀有な話だ。
それも、自分の身に纏っている瘴気すら鈍感なはずのアインハードが。
魔女と結婚した相手だから認めてくれたのかどうかは分からないが、アインハードが問題無くリーンズワールの森へ入れるのならリラにとっては好都合だ。
なぜなら、収穫の手伝いをしてもらえるから。
「植物の採取に行きたいのですが、一人では面倒なので手伝ってもらえませんか?それに、この機会に騎士様に森を案内したいんです」
アインハードに用意していたランタンを渡す。
一人でもできなくはないが、ランタンとバスケットを持つと両手が塞がってしまう。
それに、いくらリーンズワールが清らかな森とはいえ夜に一人で出かけるのは心もとない。
夜に採取するのが推奨されている植物なので時間帯を変えることはできないのだ。
「なるほど、そういうことなら任せてくれ!リラさんのためならなんだって引き受けよう」
アインハードはランタンを受け取ってくれた。
彼に森を案内したいというのも本心からだ。
今後もうっかり森の中で迷うようなことがあっては困るので、詳しく知っているリラができるだけ人間の安全圏を教えておきたい。
「ありがとうございます。では、出発前に注意事項だけお教えしますね」
こほんっ。
咳払いをしてから、改めて。
「森の水・植物は決して口に入れない。人語を操る幻獣に耳を貸さない。道に迷ったときに案内してくれる精霊にはついて行かない。森の中で出会った人間とは絶対に関わらない。以上です」
他にも言いたいことはたくさんあるが、これらはその中でも最低限守らねばならないものだ。
「ずいぶんと規則がおおいんだな」
「これも騎士様の為ですよ。まず、森にあるものをは魔力に溢れてますので、口にするのは絶対にいけません。喉が乾いたとしても水は飲んではいけないです。飲んだ瞬間ぶっ倒れますよ」
ぶっ倒れる、という言葉を聞いてアインハードは全力で首を縦に降ってくれた。
「喉が乾いたら水筒があるので言ってください。間違っても森のものを食べたり飲んだりしないこと、です。子供の時の私はそれを知らずに食べてしまい、髪色が変わってしまったんですよ」
バスケットの中には採取用の道具の他に、ちょっとした軽食と水筒を用意している。
これ程こまめにリラが気を使うのは、かつて何も知らなかった頃のリラはリーンズワールの水と植物を口にしてしまったから。
綺麗で透き通った水とよく熟れた果物は、見かけだけだと食べても問題無さそうだったが、食べた瞬間リラは髪色が変わってしまったのだ。
水面に映った真っ白な髪の自分を見てひっくり返ったことは言うまでもない。
先代魔女に拾われてからも、元の髪色にはどうやっても戻らなかった。
「そうだったのか・・・・・・気をつけよう。では、幻獣や精霊は?」
「彼らは森の外で出会うもの達とは格が違います。中には人間のことを好き勝手弄ぼうとするものたちもいますから、人間にとっては危険なのです。特に、迷子になったときに都合よく精霊が寄ってくるのですが、あれはわざと間違った道を教えますよ」
ほとんどの幻獣は人前には姿を表そうとしないが、だからといって皆が皆、人間に友好的だとは限らない。
知能や魔力がある分だけ、もしかするとリーンズワールの幻獣たちは、アインハードたち騎士団が普段相手取っているような魔獣よりも恐ろしいかもしれない。
「そして最後に、森で出会う人間についてです。彼らは人の身体をしているだけで、その中身は人外です。良識のある魔女や魔法使い、吸血鬼ならマシですが、大抵は人間と思考回路がズレているので避けた方がいいです。騎士様は綺麗な顔をされているのできっと攫われてしまいますから絶対に気をつけてください」
そもそも前提としてリーンズワールの森に入れるのは、人外かごく一部の限られた人間だけだ。
ばったり誰かに出会うなんてこともあるかもしれないが、その相手が同じ人間である確率は無に等しい。
人と同じように、人外にも良きものと悪しきものはいる。
アインハードのような美男が森の中をふらふら彷徨いていたのなら、攫って自分のものにしようとする奴がいてもおかしくは無いのだ。
「魔女は人間と思考回路がズレている、と言ったがリラさんを見ているとそうは思えないんだが・・・・・・」
「私は純血の魔女ではないので限りなく人に近い存在なんです。魔女になった時のことも、例外のようなものですし。私を基準に考えてはダメですよ」
リラはそう言うと、バスケットの中から用意していた小瓶を取り出した。
「酔い止めの薬です。もちろん、魔力の、ですが。何かあってはいけないので念の為飲んでおいてください」
「リラさんは心配性だなぁ」
はははと笑いながらアインハードは小瓶をあおる。
「お、甘い」
「さすがの私でも苦い薬だけ作ってるわけじゃありませんよ」
一番最初に一番苦いものを飲まされたので多少警戒していたようだが、全部が全部苦い薬なことはない。
「さ、お話はこれぐらいにして行きましょうか」
家を出て庭を素通りし、裏手に広がる森へ入っていく。
夜の静けさの中、二人の足音だけが聞こえる。
月明かりと共に、アインハードの手にあるランタンの明かりが道を照らした。
「帝都にもこんなところがあったんだな・・・・・・」
鬱蒼と茂る木々の隙間に、ぽうっとした光を放つ花に、きらきらとした粒子を舞い散らせる植物。
耳をすませば、風音の合間に小動物の鳴き声なんてのも聞こえてくる。
昼間は明るいので分からないが、夜になるとこうして森の本当の姿が見えてくる。
「リーンズワールの森は帝都にあると言っても人の手は介入できませんからね」
帝国の統治にあれど、神秘を人の手でどうにかするのは不可能な話だ。
瘴気の無い土の上で育った植物も、またひと味違う。
簡単に踏み荒らされてはならない。
もしも人の手が加わっていたら、リーンズワールの森はそうそうに枯れて失われていただろう。
しばらく歩くと、お目当ての植物が群生している箇所が見えてくる。
「ありました!騎士様、あれですよ!」
「光る花か?」
風流さの欠けらも無い言い方だが、見た目はアインハードの言葉通り。
ぎゅっと丸まった白い花弁が薄ぼんやりと光を放っているこの花の名は、一夜草だ。
昼間はどこにでもあるような凡庸な花でも、夜の間は美しく輝くことからそう名付けられたそう。
「この露が大切なんです。夜間でしか取れないんですよ」
花の先には露がついている。
この露が薬の素材になるのだ。
リラはバスケットの中から用意していた採取用の小瓶を手に取り、こぼさないようにそっと集めていく。
小さいので昼間はどこにあるのか見分けづらいが、夜になると光ることもあって夜中が最適な収穫時間だ。
「大体このぐらいでしょうか。騎士様が灯りを持っていて下さったおかげで手早く終わりました。ありがとうございます」
「それならよかった。他に採る草花はないのか?」
「そうですね、できればあといくつかあれば嬉しいですが・・・・・・」
アインハードの体調が心配になる。
薬の効果で守られているとはいえ、あまり無理をしても良くない。
今日はこの辺りにて帰った方がいいのではないかと、リラは思ったのだが。
「俺の体調なら大丈夫だぞ。せっかく来たんだから、もっと案内していってくれ」
「騎士様が、そう言うのなら・・・・・・」
明るい笑顔でそう言われてうっかり承諾してしまった。
アインハードが楽しそうなものだから断れない。
昼間に一度森を歩いていることと、薬の効果だろうか、意外と耐性は強いらしい。
アインハードは魔力や瘴気に鈍感なタイプなので少し気がかりではあったが、その様子を見ているとかなり改善されてきていると思っていいだろう。
二人で静かな森の中を再び歩いていく。
この花はどんなだとか、この実はどういう味だとかを解説したり、こっちの道を進むとどこへ繋がるだとかも話したり。
あちらへこちらへ歩き回ってはたわいもないやり取りをする。
夜更けの散歩も、案外悪くないものだ。
しばらく歩いたところで、急に開けた場所が見えてきた。
木々が道を開ける先には、透き通る泉がある。
「この泉はよく幻獣たちが水を飲みに来るんです。とっても澄んだ色をしているんでよ」
水面に映る月は、アインハードの瞳と同じ色だ。
煌々と輝く月光に照らされて、神秘的な雰囲気がより一層際立っている。
「美しいな」
アインハードが感嘆の息を零した。
「くれぐれも飲んではいけませんからね」
「もちろん心得ている」
重ね重ね言うようだが、これは忘れてはならない大事な事だ。
見かけの美しさに騙されてはいけないのだ。
とまあアインハードに注意をしつつ、泉の傍に腰掛けて小休憩にする。
足元に咲いている花も、月明かりに照らされて綺麗に輝いている。
ふと、なんとなくその花の色に見覚えがあると思ったのだが、アインハードの顔を見てすぐに気づいた。
「この花、騎士様と同じ色をしていますよ。溶けた月の色です」
「リラさんは俺の瞳をそう形容するのか」
「あ」
自分で言っておきながら、今のはものすごく恥ずかしかった。
今まで心の中でアインハードの瞳のことをそう言っていたのだが、実際に彼の前で口に出したのは初めてだった。
普通は黄色と言うのだろうが、月の色だなんて言うのはリラぐらいだろう。
「リラさんはロマンチストだなぁ」
「うぅ・・・・・・」
なぜだかアインハードは嬉しそうで、からかわれているような気分になって悔しい。
「あ、見てくれ。この花はリラさんにそっくりだぞ!」
「どこがです!?」
今度はアインハードが同じことをしてきた。
アインハードが指し示す先には、丸い形の小さな花が咲いている。
「こう丸っこい形と、ふわふわした白と紫の感じが」
「・・・・・・私はそんなんじゃありません」
「いいじゃないか、リラさんと同じでかわいいぞ」
「騎士様のいじわる・・・・・・」
「はははっ」
リラが恥ずかしがっていることを分かった上でこんなことを言ってくるのだ。
私をからかうことに楽しさを見出してしまった騎士様なんて、とリラは頬をふくらませて拗ねる。
「すまない、リラさんがかわいいものだからつい。あまりそう怒らないでくれ」
「別に怒ってません・・・・・・ふふっ」
笑いながら謝ってきたアインハードの笑顔が楽しそうで、つられてこっちも吹き出してしまう。
二人して馬鹿になったみたいに笑いあって、寝転がる。
自分たちは契約夫婦なのにまるで本物の夫婦のようだと、ふいにリラはそう思った。
たかが契約。されど契約。
リラもアインハードも気づかない内に、心は傾いているのは確かなことであった。
星の瞬く夜空には、美しい月が煌々と輝いる。
今宵のデートは、まだまだ終わりそうもなかった。