第一話 黒騎士、白魔女に出会う
華やかな帝都の外れにある、『リーンズワール』という名を持つ小さな森の入り口。
そこに、治癒の力を持つ白魔女が住んでいるという。
しかしその魔女は、治癒の白魔女という名からは想像できないほど恐ろしい容貌をしているのだとか。
海老のように曲がった腰と、尖った鼻につり上がった目、皮膚がぼろぼろになった唇。
蛇や蜥蜴を好んで食い、薬を貰いに来る人間に法外に高い代金や代償を請求するなんて話もある。
そんな恐ろしい魔女に近づこうなどという人間は、帝都には一人としていない。
それは、かの有名な『黒騎士』でさえ同じことのはず───────だった。
「一体これはどういうことなのだ・・・・・・?」
『黒騎士』として名を馳せる青年、アインハードはかつてない難題に直面していた。
もう数ヶ月も前になる出来事だ。
出陣の際に不覚にも傷を負ってしまい、速急に治すべく国中の医師の力を借りてきたが、何一つ効果はなく皆揃ってお手上げだと言うのだ。
傷は日に日に痛みを増すばかりで、治る見込みは到底ない。
なにせ、彼に傷をつけたのは瘴気に侵された魔獣だったからだ。
瘴気とは、屍や血などによって穢れた大地から生み出されるものでこの大陸ならどこにでも現れるもの。
時として瘴気は獣を狂わせ、人に害をなす存在に変えてしまう。
それらと戦い平和を守ることは帝国騎士団の役目で、彼にとっての大切な仕事だ。
今までならこんな失敗はしなかったのに、一段と強い瘴気に不覚を取られてしまったらしい。
痛みは顔に出ることはなくても治ることはなく、もっと鍛錬をしなければという焦りに反比例するように身体の調子は悪くなるばかり。
そこで、最終手段として恐るべき老婆、治癒の白魔女の元を訪ねたはずだったが出迎えに現れたのは白髪の少女であった。
「お客様?どうなさりました?」
話に聞いていた廃屋とはまるで似ても似つかない、二階建てでよく手入れされた庭付きの家。
目の前で首を傾げる少女は、どこからどう見ても話に聞いている老婆とは重ならない。
服装もボロ切れのようなローブではなく、可愛らしいコルセットワンピースで、恐ろしさなどどこにもない。
唯一同じなのは白髪というところだけだが、少女のその髪は老婆のものなどではない艶やかな色をしていて、よくよく見れば毛先が紫がかっている。
他に人間がいる気配もないので、さては孫娘か、曾孫娘の類ではなかろうかという結論に至ったのだが。
「ああ、いや・・・・・・すまないが、白魔女殿は不在だろうか」
「いえ、目の前におりますが」
アインハードは頭を抱えた。
「このうら若き少女が、魔女だと・・・・・・!?」
話が違う。
この森に住む白魔女とは、恐ろしい老婆ではなかっただろうか。
人づてに聞いた話では、こんな可憐な少女だなんて一度も聞いていない。
「はい。私が白魔女のリラです。立ち話もなんですし、どうぞおかけになってくださいな」
「あ、ああ。ありがとう・・・・・・」
リラと名乗る少女に室内へ通され、アインハードは誘導されるがままに椅子に座る。
小ぢんまりとした室内は薬品の棚や大きな本棚などがある一方で、綺麗な花が飾られた花瓶やドライフラワーなどが丁寧に並べられている。
キルトのクッションは柔らかい手触りで、帝都にある自分の部屋よりも何十倍も綺麗な部屋に落ち着かなさを感じていた。
「私が老婆でなかったことに驚いているのでしょう」
ふふっと笑いながらリラはお茶を運んできた。
お茶の良い香りが漂ってくる。
「あれは私が適当に流した噂です。以前に帝都からいらしたお客様があまりにも失礼な方でしたのでしばらく人が近寄ってこないように、と」
「そうだったのか!?」
「噂は所詮噂ですからね。素直に信じてはいけませんよ。それとも、老婆の方がよかったんです?」
「いやそうではなくてだな・・・・・・。その、話に聞いていたものとあまりに違い拍子抜けしたというか、なんというか・・・・・・」
まさかの結末だった。
くすくす笑っているが、なかなかしたたからしい。
「そうだ、以前に帝都から来た客が貴殿に失礼を働いたと言っていたな。それは大変すまなかった。同じ帝都の者として、謝罪させていただこう」
「まあ。お客様が謝る必要なんてありませんよ」
「いい、私の気持ちの問題だ。私は貴殿に無礼を働かないことを誓おう」
アインハードは生真面目な者であるものだから、こういったことは見過ごせなかった。
今目の前で笑っている少女がかつて辛い思いをしたのであれば、帝都の騎士として民の愚行を謝罪せねば気が済まない。
「もう気にしていないのでいいのですよ。お客様、顔を上げてください」
そう言うリラの顔は、気遣いで言っているわけではなく本当に気にしていないといった様子だった。
「それで、本日のご要件は?」
「傷を治して欲しい。数ヶ月前に負ったものだが、瘴気に侵されている。並の医者では治せんと言われてしまった」
患部を見せるため、上着から順に衣服を脱いでいく。
左胸から脇腹にかけての大きな切り傷だ。
包帯をゆっくりはずしていけば、顕になった傷を見てリラはうわあと驚きの声を上げた。
「よくこの傷で平気な顔して生きてられますね・・・・・・お客様は熊かなにかです?」
「熊ではない、人間だ。この傷はそれほど酷いのか?」
まさか熊扱いされるとは。
傷が酷いことは身をもって知っているが、まさかそこまでだとは思っていなかった。
「ええ。本当に、びっくりするぐらい。一体なにをしたらこんなことになるんです?」
「職業が騎士なものなので、仕事中に負ったとでも言っておこうか」
「なるほど、お客様は騎士様でしたか」
リラが丁寧に包帯を巻き直してくれる。
それ以外にも体中は傷跡だらけで、少女に見せるにはいささか恐ろしすぎやしないかと不安だったが、リラはまったく気にしていない。
「『黒騎士』の名を聞いた事はないだろうか」
「うーん、あるようなないような。そういえば、最近読んだ恋愛小説にそんな人がいた気がします」
「そ、そうか。私は帝都では『黒騎士』の名で通っているので、この傷を負った時の話も何か聞いていないかと思ったのだが」
正直、今回の件はあまり話したくはない思い出だ。
わざわざ素性を明かしたのは、リラが既に情報を得ていないかを知りたかったからだ。
「ああ!あのとっても強いで有名な『黒騎士』様でしたか!わあ凄いです、そんな有名人さんが我が家に来て下さるなんて」
褒めて欲しかったわけではないが、知ってはいたらしい。
「なるほど、騎士様がずいぶんお綺麗な顔をなさっている割に傷だらけな理由が分かりました」
「できるだけ早く治せないだろうか。騎士団の仕事をいつまでも休んでいるわけにはいかないのだ」
騎士団長からはしっかり休めと念を押されたが、こちらの体調など関係なしに仕事は増えていく一方なのでそうも言っていられないのだ。
「そうですね、こんな瘴気から回復させるためにはあの薬がいいでしょう」
「方法があるのか!」
「はい。確かこの辺りに・・・・・・うーん、ここかな・・・・・・あれ・・・・・・」
踏み台に乗って、薬瓶が納められている棚をあれでもないこれでもないと漁っている。
青緑色をした液体や、赤と紫のグラデーションの液体など、見るからに怪しげなものをいくつも取りだしている。
「だ、大丈夫か?」
「全然大丈夫ですお気になさらず・・・・・・ああっ、あったあった!」
お目当てのものを見つけたらしいリラの手にあったのは、透明な液体の入った小瓶だった。
もっと不可思議な色をしたものが出てくるんじゃないかと思っていたが、普通に飲めそうな見た目だ。
「これならお客様のご希望に添えるでしょう。レシピは先々代の最高傑作で、どんな病にも効きます。かなり効果の高い薬なのですけれど、もう一本しか残っていないみたいで。でもこれだけあれば十分でしょう」
「そんな貴重なものを使ってしまっていいのか?」
「もちろん、お客様の為ですから。それに、薬の材料が手に入りにくくなっているだけで、じきにまた作れるようになると思いますから気にしなくていいのですよ」
「材料が珍しいものなのか」
「はい。東の大国、煌国にある連峰の頂上にしか咲かない花が必要なんです。ですが、近年は内乱が酷くて行商人に頼むことすらままならず、手に入らないのですよ。情勢が落ち着いたら、沢山摘み取ってきますからお気になさらず」
他にも聞いたこともないような植物のエキスだとか、どこにあるかも分からないような泉の水が必要だとか材料は様々にあるらしい。
「ではしばらくその薬は作れないと・・・・・・それは申し訳ないことを」
「いえいえいいのです。多少代金は嵩みますけれどこれが一番手っ取り早いですから」
リラは算盤と帳面を取り出してなにやら計算しはじめる。
「代金は、そうですね・・・・・・このぐらいでしょうか」
色々考え込んだ後、そこでリラはハッと何かに気づいたかのように顔を上げる。
手の中からするりとペンが抜け落ちたが、気づいていない様子だ。
「リラ殿?」
「───────あのう、失礼ですが、騎士様は未婚でしょうか?」
「ああ。そうだが、それがどうかしたか?」
リラは真面目な顔で聞いてくるが、話の繋がりが見えない。
「恋人は?」
「いないぞ」
「想い人は?」
「それもいないな。あえて言うなら、今のところ仕事が恋人だ」
なぜこのような質問をするのだろうか。
恋人の有無で治療に影響でもあるのだろうか。
馬鹿げた考えだと思ったが、魔女の妙薬だし恋心が効果を増幅させるなんてことも有り得るかもしれない。
「なるほど。でしたら騎士様───────お代は結構ですので、私と結婚しませんか?」
「・・・・・・は?」
もっと馬鹿げた回答だった。
その時、黒騎士は件の噂話を思い出した。
曰く、その白魔女は薬の代わりに、常識では考えられないようなとんでもない代償を請求するのだとか。