94 気付いた時には遅すぎた
その後リンドは病院へ運ばれ、ナディアも手に火傷を負っていたので、やって来た救急隊と共に病院に連れてこられた。
リンドはずっと放心状態だった。病院についてきたエリミナもずっと泣いていて、その間アーヴァインが一時も離れずそばで付き添っていたが、ナディアはアーヴァインと目が合う度に責めるような視線を向けられた。
リンドは元々風邪を引いていたこともあるが、火事に衝撃を受けていると判断されたようでそのまま入院することになった。
ナディアも「念の為色々と検査して入院しましょう」と言われたが、以前オリオンから『人間社会では、血液を調べると獣人かそうでないかがわかる技術が進んでいるので、血液だけは絶対に取られないように』と注意されていたことを思い出し、すぐに断ろうとした。
けれど病院側は絶対に入院した方がいいと言って納得してくれなくて、困り果てていた所にエリミナの父ゴードンがやって来た。
ゴードンはエリミナやアーヴァインと同じく黒髪黒眼の実年齢よりは十歳くらい若く見える甘い顔立ちの男だが、なぜか商会の会頭というよりは職業は結婚詐欺師ですと言ったほうがしっくりくるような軽快な遊び人風の雰囲気を持っている。
きちんとした仕立ての良いスーツを着ているのに、全身から漂う軽薄そうな空気感が拭いきれないという不思議な印象の人だった。
困るナディアを見て、入院したくないことを察してくれたらしきゴードンは、病院の人と話してナディアが入院しなくても良いようにしてくれた。
ゴードンは娘のエリミナや甥のアーヴァイン以上に口が回るので、病院の人を丸め込むくらいはお茶の子さいさいのようだった。
しかしその後「リンドを救ってくれたお礼に家に招きたい」とゴードンに言われて、サングスター邸に宿泊させられそうになってしまい、慌てて固辞した。
リンドにエリミナ――――それにアーヴァインだって、ナディアの正体に気付いている。ナディアは『もう自分はきっとこれ以上彼らと同じ場所にいてはいけないんだ』と思った。
ナディアはこれからゼウスの所に言って自分が獣人であることを告白するつもりだから、真実に気付いている三人以外にも、いずれナディアの正体は知られることになる。
これ以上彼らと関係を深くしてはいけないと自分に言い聞かせて、ナディアは病院から去った。
「せめてこのくらいはさせてほしい」とゴードンが手配してくれた馬車で帰宅しながら、ナディアはすぐにでも首都からいなくなろうと考えていた。心の中を寂しさが支配する。
アーヴァインについては、たぶん彼はちょっと黒い部分を持っているのではないかと思い始めていたので、それほど衝撃ではなかったが、獣人だと知られた後のエリミナとリンドの反応はやはり堪えた。
手放して全面的に受け入れてもらえるとまでは思っていなかったが、病院でも一言も口をきいてくれなかった――
火傷を負った手の平がジクジクと痛み、まるで彼らを騙していたナディアの罪を責めているように思えた。
結局は自分は獣人であり、人間社会では異質な、いてはならない存在なのである。里でだってナディアは連れてこられた人間たちとそれなりに仲良くしていたつもりだったが、全てはナディアが一人でそう思っていただけの、ただのまやかしだったのかもしれない。
獣人と人間が本当の意味で仲良くするなんて無理な話なのではと、本気で思えてきてしまった。
(ゼウスとの関係だって、行き着く先は夫婦関係や恋人とは違う、主人と奴隷という酷すぎる関係にしかなれない…………)
ナディアは色々なことを考えながら暗い気持ちのままで家に帰ってきた。もしもゼウスにまで自分の存在を否定されたら、もう生きていけないような気さえした。
どうしてゼウスは返事を寄越してくれないのだろうと、縋るようにナディアは郵便受けの中を確認した。自分の今の心の拠り所はゼウスだけである。
すると、昼間はなかった封筒の存在を確認し、ナディアはすぐに裏面の差出人を確認した。
そこはいつも通りの白紙で差出人不明の手紙ではあったが、家の中に入るなりナディアは即開封した。文面を読み進めるナディアの頬を、やがて涙がポロポロと伝った。
手紙には毎回オリオンが書いて送ってくるものとそれほど大差ない内容が綴られていた。
『親愛なるナディアちゃん♡へ
君を愛してる♡愛してる♡愛してる♡大好き♡大好き♡大好き♡大好き♡大大大大大好き♡♡♡ちゅっちゅっちゅ~~~♡♡♡
俺の可愛い♡可愛い♡最高に可愛い♡俺だけの愛の女神ナディアちゃん♡ 早く会いたい!!!!
毎日毎日ナディアちゃん♡が出てくる幸せすぎる夢ばかり見ています♡
今日の夢は純白のウエディングドレスを着たナディアちゃん♡をお姫さま抱っこして永遠の愛を誓った教会の中で祝福に包まれながら二人でクルクル回る幸せな夢だったよ♡
早く本物のナディアちゃん♡をぎゅー♡したい♡ 俺の愛は永遠にナディアちゃん♡だけのものだよ☆
今西部がヤバくてなかなか帰れないけど必ず帰るから待っててね。
あなたの未来の旦那様兼あなたの夜のおかず♡(キャッ☆書いちゃった♡)より』
アホみたいな文章だが、恥じらいもなく真っ直ぐに愛を叫ぶ文面に、ナディアの胸は常になく打たれていた。
エリミナとリンドに獣人である自分を受け入れてもらえなかったことがとても辛くて、ナディアの心が不安と孤独に支配されすぎていたせいかもしれないが、ナディアは手紙を読みながら泣いていた。
(私はこの人の愛を突っ撥ね続けることしかできなかった……)
こんなに深く愛してくれている人に報いることができなくて、申し訳ないとナディアは強く思った。
(何かが違っていたら、私たちはきっと――――)
「……ごめんね、オリオン…………」