85 アンバー兄妹 2
BL的な話があるので苦手な人は注意してください
ナディアは、ランスロットが大事な話があると言って従者アンと共に古書店までやって来た日のことを思い出す。その時はエリミナも店にいたので、二人に仕事を任せてとりあえずランスロットたちを二階の従業員用休憩室へ通した。
貴族の口に合うだろうかと思いながら粗茶を出し、ランスロットの謝罪を受けたりシャルロットについての話などを聞かされたりした。
そろそろ用件も終わりだろうかと思った頃に、ランスロットが憂いを含んだような表情で溜め息を吐き出した後、いきなり切り出した。
『愛しいゼウスの幸せのためならば、俺は何でもしようじゃないか』
ナディアは文字通り固まった。
聞き間違いか、いっそ何かの冗談であってくれないかと思ったが、なぜかナディアにゼウスへの思いを打ち明けてすっきりしたようにも見えるランスロットは、さらに言葉を続けた。
『初めてゼウスの姿を見た時に全身を駆け抜けた衝撃を何と言葉で現せば良いのかわからない。正しく雷に打たれたようだった。私の全身がゼウスを愛したいと強く訴えていた。あんな感覚は初めてだった。
けれどゼウスはなかなかにつれなくてね。そのうちに会えば憎まれ口を叩くようになってしまった。いや、愛しさと同時に私の中に確かにゼウスへの憎しみのような感情も生まれていたのだろう。私の愛に全く気付いてくれないから』
『……』
どうやらゼウスはこの男色貴公子のお眼鏡にかなってしまったらしい――
ナディアは顔を強張らせたまま何も言えなかった。あなたの彼氏を愛していると男の人に言われて、どういう風に返せばいいのか全くわからない。
ランスロットは固まっているナディアに観察するような視線を向けつつ、自らが同性愛者であると打ち明けたことには全く頓着していない様子で、優雅に紅茶を啜っている。
『私のゼウスへの恋心は常に苦しみと共にあった。愛情と憎しみは表裏一体のものであるのだとその時悟った』
ナディアは、「好きな子をいじめるとかそういうのかな?」と思いつつも、この人既婚者なのに何言ってるんだろうと思った。
もっとも、ランスロットの身体からはアンと関係した匂いしかしない。少なくとも一年くらいは女性と関係していないと思う。
つまり、彼の奥方は妊娠中という話だったが、ランスロットの子供ではない。一体誰の子だ。
たぶん偽装結婚とか仮面夫婦とかそういうものなのだろうと思うが、詳しいことは知る術もない。それにこれ以上人の家の事情を知って、誰にも話せない秘密を抱えるのも御免被りたい。
ランスロットはアンと恋人ではあるのだろう。その上でゼウスも狙っていた、と。
彼らは兄妹揃って二人の人を同時に愛せる者たちのようだ。
ナディアはどう転んでも自分にはそんな芸当できそうにないなと思った。例外はいるが、獣人は番の絆を結んだたった一人と添い遂げる生き物だ。
『申し訳ありません。私はその話を聞かされても、ゼウスをお譲りするつもりはありませんよ』
『ああ、わかっている』
その場に沈黙が降りた。ランスロットがお茶を飲み、カップをソーサーに戻す音だけが部屋の中に響く。
『他には?』
『はい?』
『他に私に何か言うことはないのか?』
ナディアは首を捻った。
『そうですね、できればゼウスのことは諦めてほしいと、それくらいでしょうか』
そう言うと、ランスロットは機嫌良さそうに長い指を顎に当てて、ふふふと上品に笑い始めた。
『君は面白いな。普通、自分の恋人に男が懸想しているなどと聞けば、少しは嫌悪感を顕にするものだがそれがまるでない。
本当は君に私の性癖を罵倒されて引導を渡してもらいたかったのだが、まあ、物事は思った通りにはいかないものだな。
ゼウスが選んだのが君のような人で良かった。君ならば安心してゼウスを任せられる』
言いながら、ランスロットは先程からナディアよりも、直立姿勢で隣に控えているアンにちらちらと視線をやっていた。
滝事件の日に会ったアンは長い黒髪を結い上げたウィッグを着けて女装していたが、その日は質の良い男物の服を着込んでいて、一歩下がってランスロットを立てている振る舞いからも、一目で貴族の従者とわかるものだった。アンは彼の愛人でもあり従者でもあるようだった。
本来のアンは黒髪ではなく金髪で、瞳もゼウスと同じ碧眼だ。身体付きはアンの方が若干華奢だとは思うが、美人で中性的な印象がある所はゼウスと似ている。ランスロットはこういう人が好みのようだ。
アンは先程から俯きがちでランスロットの顔を一切見ようとしない。恋人が他の人への思いを語っているのを聞かされるのは辛いだろう。ナディアは、ランスロットは敢えてやっているのだろうなと思った。好きな人をいじめてしまう性癖は健在のようだった。
ナディアは「頑張れアン! 相手がムラっ気があって意地悪で既婚者でも負けるなアン!」と心の中だけで彼を応援した。
しかし帰りしなにランスロットはこんなことも言ってきた。
『もしもゼウスが一人になってしまったら、彼の悲しみは私が引き受けよう』
ナディアは目が点になってしまった。
(引導を渡されに来たのではなかったのかこのムラっ気貴公子!)
これでは「もし破局したらやっぱり俺もまたゼウスを狙うよ」と言ってるようにしか聞こえない。
「シャルロットは近付けさせない」と言われてランスロットは味方かと思っていたのに、ある意味宣戦布告みたいなことを言われてしまい、ナディアはポカンと少し間抜けな表情を見せてしまった。
そんなナディアを見て、ランスロットはシャルロットに少しだけ似た、やや酷薄な笑みを口元に浮かべていた。ランスロットが冗談で言っているのかそれとも本気なのか、ナディアではちょっとよくわからなかった。
(意地悪さをこちらにまで発揮してくるな!)
ややムスッとした表情になりながら見送るナディアに向かって、ランスロットは再度クスリと楽しそうに笑んでから従者と共に去って行った。
(アン! こんな浮気男とはさっさと別れて別の幸せを見つけた方が絶対いいよ!)
ナディアは再度念を送っておいた。
(あんな要注意人物に貸しなんて作りたくなかったけど致し方ない)
「これからも、ゼウスや私やリンドさんやこの店には金輪際近付かないでください。もしあなたが何かしたら、すぐにランスロット様に言いますから」
シャルロットが睨み付けてくるが、ナディアも負けじと睨み返す。
(他の人にゼウスは渡さない!)
「私はゼウスと別れたりしません。ゼウスは私のものです」
声こそ荒らげなかったものの啖呵は切ったつもりだった。しかし、ナディアの宣言を聞いたシャルロットが突然笑い出す。
「お、お嬢様……」
シャルロットの異様な笑い方にそばにいたユトが心配そうな声をかけた。
「私のもの?! そんなことよく言えたものですわ! 愛する人の危機にそばで支えることも出来ずによくもまあそんなことが言えたものですわね! ねえ、あなたは知っている? ゼウス様のいる南西列島が獣人による再びの大規模な襲撃を受けたそうですわ! 大きな被害が出て、銃騎士がまた何人か亡くなったって!」
亡くなった…………
その言葉に、ナディアは一瞬で頭が真っ白になった。手足が急速に冷えて、感覚が薄くなっていく――――
ゼウス………………