84 アンバー兄妹 1
「笑ってしまうのはこちらの方だ! 結婚の話が出ている状態の二人の間に入り込もうとするとは一体どういう神経をしているんだ! 貴族とか平民がどうとか以前に人としてどうかしているぞ!
誰が好き好んでお前のような性悪女と結婚するものか! あの青年がお前と結婚することは天地がひっくり返ったって絶対にないぞ!
お前にかなりしつこく言い寄られて迷惑していると本人から直接聞いている。何度婚約話を断っても意味すら理解していないらしく、どうしたものかと困り果てていたともな。
貴族貴族と鼻にかけるなら貴族らしく矜持を持って引き下がったらどうだ? 貴族には権利があるのではない、義務があるんだ。一平民の幸せを願うどころか邪魔しに来て何が貴族だ!」
ナディアを貶すシャルロットへ反論してくれたリンドをありがたく思いながらも、ナディアはこうも思った。
(すみません本当は一平民じゃなくて獣人です…… 人間社会では何の権利も保証されてなくて見つかれば死罪ほぼ確定の獣人です――――)
しかしそんなこと言えるはずもない。
リンドは普段は無口なのにこういう時ばかりは良く口が回る。ナディアの代わりに本来は雲上人である貴族令嬢に物言いしてくれたことは素直に嬉しいと感じた。この人は上司の鏡だ。
しかしリンドが何気にゼウスに確認してシャルロットとの関係性を調査済みだったことは驚きである。
「……何様のつもりよ……っ……!」
シャルロットは吐き捨てるような台詞を言った。その顔は怒りで赤くなっている。ユトが腕を抑え続けていなければ、今にもリンドに向かって扇子を投げ付けそうだ。
もしかするとシャルロットは、人としてどうなんだとか性悪女と言われたことよりも、ゼウスがシャルロットを選ばないだろうと言われたことよりも、貴族としての在り方がなってないと責められたことの方が堪えているのではないかと思った。
以前同じようにゼウスから手を引けとリンドが言っていた時は、ここまで怒っていなかったから。
「愚弄なさらないで! 平民に貴族の如何を語られる筋合いはありません! 私は誇り高き宗家第三位アンバー公爵家の姫ですわ!」
「そうだな。アンバー公爵家から犯罪者が出るとは嘆かわしいことだな」
「お、お嬢様! いけません!」
シャルロットはユトを振り切って扇子を投げ付けようとしていた。
「私は犯罪者などではありません!」
「なら一緒に警務隊へ来てもらおう」
(まずい……)
流れで今朝の怪文書の件が広まってしまうかもしれない。それは何としても避けたかった。
「リンドさん、証拠もなしに貴族の方を犯罪者と決め付けない方がいいです」
ナディアは咄嗟に話に割って入った。
滝事件に関してはシャルロットは真っ黒なので、彼女が犯罪者の類であるのはその通りだろう。
ナディアは獣人なので、獣人に対する犯罪は成立しないという理論は置いておくとしても。
馬車による連れ去り未遂事件も、ナディアはたぶんシャルロットが首謀者だろうと思っている。だが今朝の事件は――――
「しかし、こいつ以外に誰があんなことするんだ?」
「ゼウスは人気者ですから、他にも私たちの結婚を妬んでいる人がいるのかもしれません」
(とりあえずそういう方向に持っていこう)
「そうよ! 証拠よ! 証拠ですわ! あなた証拠もなしに私を犯罪者呼ばわりして、ただで済むと思っていらっしゃいますの?!」
シャルロットはナディアの「犯罪者と決め付けない方がいい」という発言を受けて庇われたと思ったのか、憑き物が落ちたかのような意外そうな視線をこちらに一瞬向けてきたが、すぐに琥珀色の双眸に怒りを湛えてリンドを糾弾し始めた。
ナディアだってシャルロットを庇ったつもりはない。警務隊にまで話を持って行かれるのが困るだけだ。本当は捕まえてもらって檻にでも入れてもらえれば店やリンドに迷惑がかからなくていいのだが。
(とにかく目の前のシャルロット様を追っ払わなければ)
この調子だと自分が店を辞めた後もリンドを相手に因縁を付けに来るかもしれないし、もう二度とこの店には近付かせないようにしたい。
ナディアは仕方なく奥の手を使うことにした。
「シャルロット様、店主が失礼なことを言って申し訳ありませんでした。ですが今回のことはどうか不問にしていただけないでしょうか? もしあなたが店主を訴えると言うのならば、私もあなたがお兄様との約束を破っていることを訴えねばなりません」
ひそめていたシャルロットの片眉だけが、ピクリと跳ね上がる。
シャルロットのすぐ上の兄ランスロットは、現在首都にはいない。妻が予定より早く産気付いたために婚家の子爵家へと戻ったが、ナディアは彼が首都から去る前に遣いの者から手紙をもらっている。
手紙には、『急ですまないが首都を離れることになった。あの妹のことだから私がいなくなった途端にまた君たちの邪魔をしに行くかもしれない。もしも困ったことがあったらすぐに私へ連絡しなさい。あの話を履行させてもらうまでだ』という文面と共に、ランスロットの婿入り先であるオーウェン子爵家の住所が記されていた。
あの話というのは、その手紙を貰う前に一度だけランスロットが会いに来た時に教えてもらった話だ。
ランスロットはシャルロットに二度とナディアとゼウスには関わらないようにと言い含め、その時は外出を一切許さず公爵家にて軟禁状態にしていた。
それはランスロットの一存だけではなく彼らの父親であるアンバー公爵の許可の下に行なわれているとのことだった。
ランスロットは滝事件の犯人については何も言わなかったが、ナディアが被害に遭ってしまったことは詫びてきた。公爵家の人間に誘われて舞台の裏側を見に行ったためにあんなことになってしまった、という体で。
貴族が平民にこんな態度は見せないだろうなという礼を尽くした謝り方をされてしまい、ナディアはかえって恐縮した。
ランスロットが必要以上に謝ってきたことに、ナディアは彼が滝事件の犯人に気付いているのだろうなと勘付いた。
けれどランスロットは妹を警務隊に突き出して罪人にしようとはしない。彼はシャルロットを守りたいようだった。
ランスロットはシャルロットを公爵邸に軟禁状態にして反省を促し、ナディアとゼウスには二度と接触するなと約束させたそうだ。
もしランスロットとの約束を破ったら戒律の厳しい修道院へ行くことになっているらしい。アンバー公爵も了承済の案件だという。
「そうなったら困るのはシャルロット様なのではないでしょうか? 行き先は監獄のような修道院だそうですね。あなたの大好きな観劇も買い物も一切できないというのは、とても苦しい人生ですね」
「あなたっ! 私を脅していますの?!」
「私が言っているのは提案です。あなたが店主を不問にするのならば、私もランスロット様には何も言いません。
本当はもっと早くランスロット様に言っておけば良かったと後悔しています。お子様が産まれたばかりのお忙しい時に煩わせたくなかったんです。でも、私ももういい加減限界なんです」
言葉とは裏腹に、これまでランスロットに言わなかった本当の理由は別にある。単純に頼りたくなかったからだった。
ナディアにとってランスロットは伏兵だった。