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83 謎の男

「もう我慢なりませんわ! あなた一体何なのですの?」


 ナディアが階下に降りて行くと、そこにいたのは、元来の怖い顔にいつにも増して眼力の鋭さが加わり対決姿勢を見せるリンドと、元々可愛らしく美少女然とした顔付きではあるが、今は顔を思いっきりしかめてリンドを睨み付け、畳んだ扇子をぎゅっと握りしめてかなり気分を害している様子のシャルロットだった。


 シャルロットはいつもゼウスの前ではしなを作っていてお淑やかで可愛らしい自分を演出しているように見えていたが、今は明らかに不機嫌さを隠そうともしていない。

 以前から店にやって来ては時々ナディアをいびろうとしていたが、嫌味を言う時でもこんなに声を荒げることはなかったのに、今は違う。


 この人が声を大にしてここまで敵意を向き出しにするとは、かなり怒っているようだ。


「塩を撒くですって! 平民如きが目上の者への配慮のない振る舞いは目に余ります!」


(え、リンドさん塩を撒こうとしたの?)


 ナディアはリンドの手元を見た。塩は持っていないしまだ撒いてないようだが、貴族にそんなことしたり言ったりしたらまずいことくらい、人間社会暮らしの短いナディアでもわかる。


「犯罪者は出入り禁止だ!」


「なんですってっ!」


 犯罪者呼ばわりされて激高したシャルロットは持っていた扇子をリンド目掛けて投げ付けようとしたが、振り上げた腕を後ろから伸びてきた手に抑えられて不発に終わる。


「お、お嬢様…… 表立った暴力行為はいけません……」


「ユト! 離しなさい! この駄犬!」


 シャルロットを抑えたのは彼女の従者だ。彼の名前はユトというらしい。


 ユトは背が高く鍛えているのか身体には程よい筋肉が付いている。しかし伸びた黒い前髪で目元が隠れていて根暗な印象があり、シャルロットの腕を掴んで彼女の暴挙を止めはしているものの、その佇まいはどこか恐縮しきりでおどおどしている。


 本日は他の貴族令嬢たちは来ておらず、シャルロットとユトの二人だけのようだ。


「もう我慢ならないのはこちらの方だ。メリッサを貶める内容の手紙を書いてうちの郵便受けに入れたのはお前だな!」


「知りませんわ! そんなもの!」


「しらを切る気か! お前以外の誰がメリッサに対してあんなことをすると言うんだ!」


「まあ! 証拠もなしに貴族を犯罪者呼ばわりするとはどういうことか、あなたわかっていらっしゃいますの? お父様に頼めばあなたみたいなド平民なんて一捻りですわよ! 侮辱罪に加えて不敬罪も追加してやりますわ!」


「やれるもんならやってみろ!」


「リンドさん!」


 今度はリンドが持っていた本を投げかねなかったので、ナディアはリンドとシャルロットの間に割って入った。


「あらあら、ド平民の下僕であるこれまた冴えないお嬢様のお出ましですわね。あなたみたいな女がゼウス様と結婚するだなんて、身の程をわきまえなさすぎて笑ってしまいますわ」


 怒り心頭らしきシャルロットはそれまでナディアが現れたことに気付いてなかったようだが、視界に入れるなり速攻なじってくる。


 この手の嫌味は何度か言われた。ゼウスが南西支隊に赴任した時はそのことを全く知らされていなかったようで、見送りにも行けなかったことに腹を立てたシャルロットは、なぜかナディアに八つ当たりをしに来た。


 その後やっぱり知らされていなかったというナディアとゼウスの婚約の話をどこかから聞きつけて以降は、店に現れるシャルロットの目に殺意が宿っている時もあった。たぶんシャルロットの手の者だと思うが、不審な男に夜道を尾行されたこともある。


 普通の人間女性ならば後を付けられただけで何事かと怯えてしまうだろうが、ナディアは違う。向こうが攻撃してきたらそれを大義名分にぶっ飛ばしてやろうと思っていた。


 けれど毎回尾行者たちは途中で足が地面に縫い付けられたかのように立ち止まって尾行をやめたり、ナディアがいるのとは反対方向に歩き出したりして、不思議なことに襲われたことは一度もない。


 (もっと)も、この男が尾行者だったら戦おうとは考えずに全力で逃げただろうけど。


 ナディアはちらりとシャルロットの後ろで変わらずおろおろとしている従者の男に視線をやった。


 この男、一見すると立ち振る舞いは情けなさ全開で頼りないが、その実全く隙がない。

 今、脈絡なく突然ナディアが攻撃を仕掛けたとしても、この男はあっさり避けるだろうし、それどころか致命傷になりかねない一撃をこちらに食らわせてくる気がする。


 何もしていなくても、この男の戦闘能力が高いことにナディアは気付いていた。たぶんナディアでは勝てない。


 本当はこの男も獣人なのではないかと勘繰りたくなるが、この男から香る匂いは人間のもので間違いない。


 この感覚は、ゼウスが南西列島へ旅立つ前日に初めて会った、ゼウスの友人で同期の銃騎士の少年からも感じたものだ。


 人間なのに獣人よりも強いというのがとても不思議である。里にいた頃にこのような人間に会ったことはない。


 人間社会はまだまだナディアの知らないことで満ちているのだなと思う。


 それから目の前にいるユトという名のこの男は、滝事件のあの日、劇場関係者を襲って滝の水が出るモーターの電源を入れた犯人でもある。


 ナディアは事件当日、警務隊による聞き取りの際に現場の匂いを嗅いで、犯人がシャルロットと一緒に来ていた従者であることに気付いていた。


 ユトは戦闘能力は高くとも気の弱そうな男なので、シャルロットに命令されれば従わざるを得なかったのだろう。


 そしてシャルロットが現在付き合っているだろうと思われる男でもある。


 昨夜もお楽しみだったらしき匂いが彼ら二人の身体からプンプンしている。


 なぜ他に愛する人がいるのにゼウスにも手を出そうとするのかナディアは理解に苦しむ。


「ゼウス様大好き」と口にするのを聞いたり態度で表現しているのを見る度に、拳で性根を叩き直してやりたいと考えたことも数え切れないが、シャルロットが現れる時は必ずユトがそばにいるのでそれは無理である。


 ユトは公爵家の令嬢の従者、というか護衛のようなので、かなりの手練でもおかしくはない。しかし人間であるのに獣人のナディアでも勝てなさそうだというのが気にかかる。


 ナディアにとってユトは謎の男だった。


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今作品はシリーズ別作品

完結済「獣人姫は逃げまくる ~箱入りな魔性獣人姫は初恋の人と初彼と幼馴染と義父に手籠めにされかかって逃げたけどそのうちの一人と番になりました~」

の幕間として書いていた話を独立させたものです

両方読んでいただくと作品の理解がしやすいと思います(^^)
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