81 『メリッサ・ヘインズは獣人である』
ジョージ視点→ナディア視点
その日、南西支隊へ派遣される隊員たちは、ジョージの用意した特別列車に乗り込んで旅立った。
列車の見送りから帰還したジョージを執務室の前で待ち構えていたのは、ゼウスが早朝自宅まで来た迎えの馬車に乗り込むまでを見守り、何もなかったことを確認して無事に任務を終えたユリシーズだった。しかし、思い詰めたようにも見えるユリシーズの顔色はすこぶる悪かった。
一晩中起きて見張っていたのだろう彼を労い、休むようにと言葉をかけたが、人払いの上で話したいことがあると深刻な顔をしたユリシーズに言われ、ジョージは副隊長以下を下がらせて部屋にユリシーズと二人きりになった。
向かい合わせでソファに腰掛けるなり、ユリシーズは開口一番こう言った。
「単刀直入に聞きます。ゼウスの恋人であるメリッサ・ヘインズは、獣人ですね?」
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ゼウスが行ってしまってからしばらく経つ。ゼウスがいなくなって心にぽっかり穴が空いたようになってしまっても、日常は続く。ナディアはそれまでとあまり変わらない毎日を過ごしていた。
オリオンの家で一人きりで朝起床し、身の回りのことや身支度を整えて出勤し、日中は古書店で仕事をして夜に帰宅する。
それまでの休みの日はゼウスも休みを合わせてくれて一緒に過ごしていたけれど、今はいない。休日は結婚に備えてエリミナ宅を訪れて使用人に料理や裁縫を教わったり、店でいらなくなった結婚雑誌を持ち帰ってどんなドレスにしようかと考えたりすることもあった。仕事もありそれなりに忙しい日々だったが、ふとした瞬間にため息が出てきてしまう。
ナディアはずっと元気がなかった。なぜならば、南西列島へ行ったゼウスから、一度も手紙が届かないからだ。
ゼウスは手紙を出すと言っていたけれど、もしかすると南の島で新しい出会いがあって、ナディアのことなんて忘れてしまったのかもしれない――
思い悩んだナディアはアテナの所へ行き、ゼウスが南西列島に住んでいる住所を聞いてこちらから手紙を出すことにした。アテナの所へは一度だけ絵葉書が届いていたが、それ以降はサッパリだという。
アテナには「甲斐性なしの弟でごめんね」と申し訳なさそうに謝られてしまった。アテナは自分からもゼウスにちゃんと連絡するように手紙を送ってみると言っていたが、それでも来なかったらまた言ってねと言われた。
その時にアテナから、少し先に外国で行われるファッションショーにノエルと共に行かねばならないので、しばらく留守にすると聞いた。
ナディアはこちらから手紙を出した後も毎日郵便受けを確認していたが、届いているのはオリオンからの手紙ばかりで落胆した。「でももしかしたら!」と万一の可能性にかけてその差出人不明の手紙を開けてみても、中身はやはりオリオンからのものだった。
以前は読まずに文机にしまっていたが、ゼウスからの可能性もあって確認せずにはいられない。再び手紙を読むようになってからの何通目かの手紙に、「もしかすると近いうちにそっちへ戻れるかもしれないから結婚しよう」という内容の文章が大量のハートマークと共に書かれてあって、思わずぎょっとしてしまった。
オリオンが帰ってきたら、ゼウスと交際を始めて結婚することになったと説明しなければならない。いずれやって来るその日のことを思うと、とても申し訳ない気持ちになった。
戻ってきたらオリオンに誠心誠意話をして、この家から出て行こうとナディアは思っていた。しかしまだ引越し費用も充分には貯まっていないし、お金は結婚後の新生活費用に当てたいので、できるだけ取っておきたい。
住む場所をどうしたらいいのかは、頭の痛い問題だった。
その日もナディアにとってはいつもと変わらない一日になるはずだった。
しかし、朝出勤して従業員用の扉から中に入ると、店の中で眉根を寄せてちょっと怒っているらしき表情のリンドと出くわした。
「メリッサ、これを見なさい」
挨拶もそこそこに、メリッサはリンドから一通の白い封筒を渡された。
「手紙……?」
しかしその封筒には宛名や差出人の記載が一切ない。
「朝、新聞を取りに行ったら郵便受けの中に入っていたんだ。質の悪いいたずらだ。気にするんじゃない」
リンドの言葉に首を傾げつつ、ナディアは封筒の中に入っていた紙を広げて――――凍り付いた。
折りたたまれていた紙には、雑誌か新聞の切り抜きを組み合わせた文字でこう書かれていた。
『メリッサ・ヘインズは獣人である』
愕然としたナディアは瞬きも忘れて怪文書を凝視していた。
「嫌がらせだとは思うが酷い話だ。警務隊に届けた方がいいと思うが―――― メリッサ?」
強張った顔で文書を見つめるナディアの様子がおかしいことにリンドも気付いた。
「大丈夫か?」
明らかに顔色の悪いナディアにリンドは心配そうな声をかけたが、ナディアは何も返事ができずにいる。
「こんなもの気にするんじゃない。すぐに警務隊の所へ行こう」
「いえ………… 警務隊は……大丈夫です」
「警務隊」という言葉に反応してナディアはようやく声を出せた。
「……こんなものただのいたずらですから、そこまでしなくても大丈夫ですよ」
「だが……」
「大丈夫です。私、こんなの全く気にしてませんから――――」
リンドは心配そうにしていたが、警務隊に被害届なんて出したら話が広がってしまう。ナディアは、この投書の内容はここだけの話として留めておきたかった。
それに、ナディアは怪文書に残されていた匂いから、これを作って郵便受けに投函した犯人の匂いがわかっていた。
その人物の匂いに、ナディアは心当たりがあった。