72 同期と上官 1
ゼウス視点
「ハル!」
ハロルドの足はかなり早い。泣いていた理由が気になって後を追っていると、ハロルドは繁華街にそびえ立つ百貨店の中に入って行った。
一階の入口付近は化粧品売り場になっている。商品が並んでいる棚があって客もいるので、ゼウスは足を緩めた。ハロルドの姿を探して歩くと、少し奥に行った所で藍色の隊服を発見した。
ハロルドはゼウスの姿を認めるとビクリと身体を反応させたが、逃げることはしなかった。
ハロルドの涙は既に止まっていたが、目が赤くなっていて充血している。ハロルドは元々色白なのもあって、ウサギみたいだなと思う。
おどおどしているハロルドの手の中には買い物カゴがあって、そこにかなりの量の日焼け止め液が入った瓶が詰められていた。
「こんなに買うのか?」
突然泣き出したことにも驚いたが、一人で使うにはあまりにも多すぎる量の日焼け止めを購入しようとしていたのにも驚いて問いかける。
「だ、だって、南の島は日差しが強いと思うから、日焼けしないようにしないと」
「こんなに買わなくても、一、二本あれば充分じゃないか?」
「……ゼウスの分もあるから」
恥ずかしそうに俯いたハロルドが呟く。
「いや、俺の分なんて別に――――」
『いらないよ』と続けようとした言葉はハロルドによって遮られる。
「駄目だよ! 絶対駄目! イケメンだって皆等しく平等に日焼けはするの! 油断してるとすぐにシミとかシワとかできちゃうんだから! ちゃんとお手入れしないと!」
ハロルドは俯きがちだった顔を上げて真っ直ぐゼウスを見た。気弱な印象はどこへやら、ハロルドは美に関して妥協は許さないのだ。
「うーん、そうだとしても自分で買うよ。っていうか現地でだって売ってるんじゃないか?」
「このメーカーのはすっごく品質がいいから日焼け止めなら絶対にこれなんだけど、あんな遠い所でも売ってるかはわからないからこっちで買っていくの!」
そう言いながらハロルドはさらに棚に手を伸ばし、既に充分すぎるほど入っている買い物カゴの中にさらに入れていく。ゼウスにはその様子がちょっとヤケクソ気味になっているように見えた。
「ちょ、ちょっと! 明日の移動で一度にこんなに持っていけるわけないし、買い占めすぎだよ! 荷物になるだけだから減らせって!」
「安心して! ゼウスの綺麗なお肌は俺が守るから!」
「な、なんでそこで泣くんだ」
ハロルドは泣きながら日焼け止めの瓶をカゴに詰めていくが、ゼウスは逆にカゴの中から瓶を取り出して棚に戻す。しかし戻したそばからハロルドがその瓶を掴んでカゴの中に入れてしまうので、疑問顔のままのゼウスが再び瓶を戻して――と、不毛なやりとりはしばらく続いた。
結局ハロルドは大量購入した日焼け止めを木箱に入れてもらい、腕に抱えながら帰路に就いた。
ハロルドと歩く道すがら、先程はなぜ泣いたのかとゼウスが聞いてみれば、突然の遠方への異動命令にびっくりしてしまい、大好きな家族と離れるのが悲しく思えてちょっと情緒不安定だったのかな、という答えが返ってきた。
日焼け止めの瓶は割れないように一つ一つ布でくるんでもらってはいたが、ハロルドが歩く度に、微かにカチャカチャと瓶同士が触れる音がする。
たぶんかなり重いと思うのだが、見かけによらず力持ちなハロルドは、ゼウスの助けを断り一人で荷物を運んでいた。
本当に赴任先にそんなに全部持っていくのかと心配になったゼウスは、ひとまずハロルドの家までついて行くことにした。
「「あー、ゼウス君だ。こんにちはぁ」」
ハロルドの父親が営む時計店は店舗兼住宅になっている。ハロルドと共に店の入口から入ると、従業員として働いているハロルドのすぐ上の双子の姉たち、アイシャとライシャの二人が異口同音に出迎えてくれた。
小柄な二人は全く同じ顔をしていて、ハロルドによく似た綺麗な顔付きをしている。女性版ハロルドだ。しかし二人は黒髪に黒眼で、全体的に淡い色合いの弟とは違う髪と眼の色をしている。
「お邪魔します」
「「ゼウス君がうちに来てくれるの久しぶりだね。今お茶でも入れるからのんびりしていってねー」」
「いえ、あまりゆっくりもしていられなくて……」
自分の口から話してしまってもいいものかとハロルドに視線をやれば、こくんと頷かれたので、ゼウスはハロルドと自分の二人が明日急に南西列島に赴任することが決まったと話した。
「「えっ!」」
アイシャとライシャはとても驚いていた。
「「たいへーん! お父さーん! お姉ちゃーん!」」
アイシャとライシャが全く同じ動きで店の奥へと消えていく。双子の同じ声が同じ台詞を叫んでいるのが聞こえた。