71 誓い 2
ゼウス視点
落ち着いて今後のことを話し合うために、やっぱりお茶を淹れる、とメリッサがテーブルの上に温かい紅茶の入ったカップを用意してくれた。
ハロルドは、「俺はここにいちゃいけない気がするから帰る」と言ったのだが、それを引き止めたのはゼウスだった。
ハロルドはメリッサに何か言いたいことがあると言っていたし、この機会を逃したら次にこの二人が交流を持てるのはいつになるかわからない。
自分の妻になる人と、養成学校時代から苦楽を共にした大切な友人が仲良くしてくれるなら、良いに越したことはない。
しかし、ハロルドは緊張した面持ちのまま何も話さないし、ずっと無言である。
実はゼウスはハロルドのことで気になっていることが一つあった。
先程ハロルドにメリッサを紹介した時から、時々、ハロルドの視線がメリッサの胸に釘付けになっているのだ。何というか、ガン見しているようにも見える――
ハロルドは養成学校時代、ゼウスと同様に先輩からの娼館行きのお誘いを断っていた口である。
これまで誰かと付き合った話も聞いたことがなかったし、もしかすると男女のことにはあまり興味がないのかと思っていた。
しかしゼウスは、もしかしたらハロルドもアランと同じ人種で、メリッサの身体に興味があるのだろうかと心配になってしまった。
「――――今週末アテナさんの所へ結婚の挨拶に行くって話だったでしょう? そういうのをすっ飛ばしていきなり入籍っていうのはやっぱり良くないと思うの」
「だけどもう子供じゃないし、いちいち姉さんの許可なんていらないよ。事後報告で充分だ。それにいきなり明日赴任先へ行くことになってしまったから、挨拶の予定自体がなくなった」
「そうは言ってもね、さっきゼウスは『きちんとしたい』って言ってくれたけど、私も周囲に私たちのことを認めてもらう事を、一つ一つきちんと丁寧に進めていきたいの。
結婚式のことも、一緒に暮らす家のことも――ゼウスが転勤になるならどこで暮らすのかも考え直す必要があるし――ゆっくりでいいから悔いのないように大切に決めていきたいのよ。一生に一度のことだから、思い残すことのないようにしたいの」
「だけど俺は…… 心配なんだ。メリッサのことを疑ってるわけじゃないんだけど、遠く離れてしまって手紙くらいしかやりとりができなくなるし、もし…… もし、俺よりも魅力的な男がメリッサの前に現れたらって思うと、ずるい考えかもしれないけど、他の男を選べないようにしておきたい」
ゴフッ!
茶を飲んでいたハロルドがそこでいきなりむせた。
「ハル? 大丈夫か?」
「これ使って!」
メリッサが部屋の奥からタオルを持ってきてくれた。
「俺のことは気にせず……」
ハロルドはタオルで顔面を隠すように覆ったまま動かず、死にそうな声を出していた。
「それは私も同じだわ…… 南の楽園の開放的な雰囲気の中で私よりも可愛い女の子に出会ったら、って――――」
「そんなことない!」
すかさずゼウスが否定の声を上げて、テーブルの上に置かれていたメリッサを両手をぎゅっと握りしめた。
「俺にはメリッサしかいないんだ! 愛しているんだ! 他の女性を選ぶことは絶対にない! 言ってしまえば、俺にはメリッサと姉さん以外の女性は全部同じに見える!」
勢い込んだゼウスの発言を聞いて、メリッサが少し困ったように、けれど嬉しそうに笑ってくれた。
「それは私も一緒よ。私が思う人はゼウスだけ――――
大丈夫よ、心配しないで。私はあなただけをずっと待ってるから」
メリッサ自身が本日すぐの入籍にはあまり乗り気でないこともあって、結婚についてはゼウスの支隊への赴任が落ち着いてから、またゆっくり進めていくことになった。
「あ、あのっ!」
古書店の店先での別れ際、ほとんど何も話してこなかったハロルドがそこでようやく口を開いた。
「ゼウスのことは俺が守りますから! 獣人の脅威からはもちろん、ゼウスをたぶらかそうとするような女の子たちからも必ず守りきってみせますから! 大丈夫です! メリッサさんは安心してゼウスを待っていてください!」
ハロルドの突然の決意表明に、メリッサとそれから南西列島への派遣を聞いて見送りに出てきたリンドも驚いた顔をした。
「う、うん。よろしくね」
メリッサがハロルドの勢いに戸惑いつつもそう返事をする。
「ハル、言いたいことって――」
『もしかして今のこと?』と聞こうとした言葉をゼウスは途中で止めた。
顔を真っ赤にしていたハロルドがこちらを振り返って、ゼウスの顔を見るなりぶわーっと泣き出したからだった。
「え? ハ、ハル?」
「何でもない! これは心の汗だから! そ、それじゃあゼウス、また明日!」
ハロルドはゼウスを振り切るようにして走り出してしまう。
「あ、ちょっと待てってハル! ――ごめんメリッサ、また明日!」
「う、うん、それじゃ明日の六時にあなたの家で」
ゼウスたち一行は明日七時発の列車で旅立つことになっていて、六時にそれぞれの家に迎えの馬車が来ることになっていた。メリッサも見送りのために自宅へ行くつもりだった。
「六時に間に合わなかったら七時に直接駅でも大丈夫だから!」
ゼウスは手を振って走りながらそれだけを返した。
ゼウスはハロルドの後を追った。