61 話し合い 2
「私はゼウスが好きなの。あなたがあなたの婚約者を心から愛しているように、私もゼウスを心から愛しているの。私はゼウス以外の人は考えられない」
「でも、まだ番じゃない」
「そうだけど……」
「その思いは他の男と寝れば消えてしまうような儚いものだ。本物じゃない。悲しいかな、獣人とはそういう生き物だ」
ナディアは咄嗟に反論できない。
「君が未だにエヴァンズと番になっていないこと、それこそが答えなんじゃないかな?」
ナディアは首を振った。
「そんなことないわ。私はゼウスと一つになりたいってずっと思ってる。だけど、色んな事情があって…… ゼウスを『悪魔の花婿』になんてしたくはないし、私のせいでゼウスが処刑されるだなんて絶対に嫌だし…… あなたたちみたいに魔法の力でもあれば別なんでしょうけど、一生黙ったまま結婚するなんて事もとても無理だし……」
言ってて泣きたくなってくる。獣人じゃなくて、ゼウスと同じ人間として生まれてきたかった。
「今は、ゼウスの奴隷になってもいいかなって思ってて…… 一緒になる方法がそれしかないのなら、そうなってもいいかなって思ってる……」
「奴隷……」
ジュリアスはナディアの言葉に軽く眉根を寄せ、まるで忌避すべきもののようにその単語を口にする。
「一つだけ前提として言わせてほしいんだが、エヴァンズの奴隷になるには、君が獣人であることを彼が受け入れる必要がある。
エヴァンズの昔の恋人や両親、それから姉の婚約者……エヴァンズ自身もかなり慕っていた義理の兄が獣人に殺されていることは知っているか? あの男は獣人をかなり憎んでいるぞ。これは俺の見立てではあるが、エヴァンズは君の正体を受け入れないと思う」
俯くナディアに、ジュリアスは言葉をかけ続ける。容赦なく。
「それにもし彼が君の正体を受け入れたとしても、その先は? 君は人間の奴隷になるということの意味が本当にわかっているのか?
獣人は番になった相手をずっと愛し続けられる生き物だが、人間は違うぞ。獣人基準で考えない方がいい。今どれだけお互いに愛を誓い合っていたとしても、時が過ぎれば変わってしまう者も多い。もし番になってからエヴァンズに他に愛する女性が現れたらどうするんだ? そのことはちゃんと想定しているのか?」
ナディアは絶句していた。
(ゼウスが他の女性を愛する……? 『メリッサだけだよ』って言ってくれた私のゼウスが、他の女性の所に行ってしまう……?
そんなこと、あるわけないって思ってたけど…………)
「奴隷は伴侶じゃない。いつか君じゃない別の女性を一番に愛して結婚することも可能だ。その時奴隷に抗議する権利があると思うか?
奴隷になるなら全てを飲み込む覚悟が必要だ。俺は弟が愛した女性にそんな辛い目には遭ってほしくない」
ジュリアスは立て続けに、ゼウスと一緒になることの不利益と、オリオンと一緒になるべきだという根拠を話していく。
「シリウス相手なら奴隷にならなくても一緒になれる。偽の戸籍を使うから『ナディア』としては一緒にはなれないが、シリウスの魔法で獣人であることを隠せるし、結婚して他の人間たちと変わらないような夫婦生活を送ることができる。
言っておくけど、その方法を君とエヴァンズに使ってくれないかというのは無しだよ。俺たちはそこまでお人好しじゃないからね」
本当は、ノエルは一生彼らを支え続けても構わないと言っていたが、ジュリアスはそのことを敢えて隠した。
ジュリアスはノエルを一生縛り付けて、弟の枷の上に成り立つような幸せなんて認めるつもりはなかった。
「君だってわかっているんだろう? ――――エヴァンズよりも、――――――、シリウスの方が上手くいくって」
――――――
――――――
「――――君は? もしエヴァンズが『悪魔の花婿』だと世間に知られてしまった時に、彼を守りきれるのか?」
ナディアは何も言い返せない。
「シリウスと君は出会い方が最悪だっただけだ。俺は、君はエヴァンズと一緒になるよりも、シリウスと一緒になった方が幸せになれると確信しているよ。
彼を愛していても、愛し続けた結果不幸にしてしまうのならば、それはエヴァンズにとっても好ましくないことなんじゃないのかな?
エヴァンズを愛していて別れたくない気持ちはわかるし、正体を明かしたくない気持ちも俺はとても良くわかるよ。だけど、感情で突き進んで不幸になるのは一体誰なのか。君か、それともエヴァンズなのか。冷静になって、一度良く考えてみた方がいい」
ナディアは話の途中からポロポロと涙を流していた。けれど、ジュリアスは淀むことなくその先の提案まで言い切る。
「エヴァンズと円満に別れたいのならば、いくらでも協力するよ」
ナディアはずっと泣いていた。二人の前に置かれた料理は手が付けられることもなく、放置されたままだ。
「…………このままじゃ駄目なのはわかってる。お互いのためには別れた方がいいんじゃないかってことも、本当はわかってる…… だけど、そんなこと、すぐには決断できない…………」
ナディアが絞り出すようにそう言うと、ジュリアスは冷静なままでさらに言葉を紡いだ。それは、オリオンに関することだった。
「――――――…… 」
「…………え?」
ナディアはジュリアスの言葉を受けて再び絶句した。
ジュリアスが言ったことは、パレードの時にジュリアスがナディアに伝えようとして、果たせなかった内容だった。
「今言ったことはあくまでもこちら側の都合だ。シリウスは君を好きになった理由がそれだってことを気にしていて、自分の愛を疑われたくなかったんだろうね、このことを君には伝えたくなかったみたいだ。でも、俺は君に知っていてほしいと思った」
あまりのことにナディアの涙は引っ込んでしまった。
「君の人生だ。無理強いさせるつもりはない。でも、何が一番いい方法なのか、良く考えて」
その後、せっかくだからと料理を食べるように促され、ナディアはやや放心状態のままで好物のローストビーフに切り込みを入れた。しかし、口元まで運びはしたものの、全く味がわからなかった。ナディアは料理の大半を残してしまった。
その後もジュリアスが何か言っていたような気はしたが、全部うわの空だった。
別れ際に、ジュリアスはさながら悪魔のようにこんなことを囁いてきた。
「うちの実家は知っているよね。もしエヴァンズじゃなくてシリウスと番になりたくなったら、実家を訪ねておいで。家の者に君が来たら俺に取り次ぐようにと話しておくよ」
――(ダッシュ)は全て穴空きです。そこの所が何なのかは後半で明らかになります。