60 話し合い 1
次の定休日。
ナディアはジュリアスに指定された飲食店に向かっていた。ゼウスとも一緒に訪れたことのある都内の肉料理専門店だ。肉しか頼まなくても変には思われないのでこの店を選んだのだろう。ここのローストビーフは絶品なのでナディアも気に入っている店だ。
しかし、またこの前のようにジュリアスに魅入られやしないかとやや緊張しながら店に入って――――ナディアは、はっと奥の席にいる人物に視線をやった。
(オリオン!)
『無事に帰ってきたんだ!』とほっとするような気持ちになりながら足早に近付こうとして――――しかし、途中でピタリと歩みを止める。
(違う。オリオンじゃない)
姿形や匂いは茶髪の少年に変幻した時のオリオンのものだが、足を組んで椅子に座っている居住まいや、窓の外を物憂げに見つめているその視線はオリオン本来のものとは違っていて、違和感がある。彼はナディアの前では何をするにもいつも楽しそうにしていて、陽気の塊のような男だった。こんな風に影を背負ったような雰囲気を出したりなんてしない。
ナディアは、この茶髪の少年の姿をした人物の正体にすぐに気付いた。
「こんにちは。よく来てくれたね」
彼もすぐにこちらに気が付いた。声や匂いまで全てこの姿の時のオリオンのものに変わっている。
ジュリアスは何かを思い悩むような表情から一転して柔らかい微笑みを浮かべ、わざわざ立ち上がって丁寧に迎えてくれたのだが、やはり違和感が拭いきれない。
なぜなら、この少年姿のオリオンは、ナディアを見つけた時にはいつも、大輪の花が咲いたような満開の笑顔になって「ナディアちゃん!」と言いながら、両手を広げて嬉しそうに抱きついてくるから。
穏やかな微笑を浮かべながらも、その瞳の奥でこちらを探るような隙のない視線を向けたりはしない。
「……どうも」
軽く応えてから、促されてジュリアスと相向かいの席に座る。
ジュリアスは真っ直ぐこちらを向いているが、ナディアは何だか居たたまれない。連絡手段がないというのもあるが、ゼウスと付き合ったことをオリオンにはまだ知らせていない。
ゼウスのことを知られたら、オリオンにどう思われてしまうのだろう――――
(それにしても、目立たないようにという配慮だとは思うけど、自分の弟がよく変幻する姿に変わるとか、ちょっと趣味が悪くない?)
椅子に座ったまま沈黙しているナディアを気にした素振りもなく、ジュリアスはメニュー表を広げて「どれがいい?」と見せてくる。
メニューを見たナディアは、以前ゼウスと来た時には頼まなかった、肉まみれセットなるものを頼むことにした。
この料理にはパンや他のサイドは無く、ステーキとローストビーフのメイン二つが合わさって出てくるという獣人にはもってこいのメニューだった。ゼウスと来た時にも本当はこれを頼みたかったのだが、こんな肉ばっかり食べていたら獣人だと怪しまれる気がして敬遠したのだ。
ジュリアスはシリウスと同様にナディアが獣人であることを知っているのだから遠慮はいらない。ナディアがそのセットにすると言うと、ジュリアスも同じものを頼んだ。
ウェイトレスが去った後、しばらくその場に沈黙が降りた。
話がしたいと言ってきたのはジュリアスの方からだが、彼は話を切り出すこともなく再び窓の外を眺めている。
ナディアはオリオンの姿に化けたジュリアスの横顔を見つめた。
オリオンは明るくて忙しなくてうるさい男だった。ジュリアスのように落ち着いた雰囲気をまとっているのを見たことは少ない。
オリオンは自分のことを『影』と言い、尊敬してやまない大切な兄のことを『光』だと言っていたが、ナディアは、もしかするとそれは逆なんじゃないかと思った。
ナディアにとってオリオンは『陽』であって、ジュリアスこそが影の部分を持っているようにも見える。いつもはキラキラしい容貌に隠れて見えにくいが、この男の本質は『陰』に近いのではないかと。
「何か聞きたいことがあるんじゃない?」
ふいにジュリアスがこちらを向いてそんなことを言った。
「話したいことがあるのはあなたでしょ?」
「そちらからどうぞ」
先に手の内を見せるようにと促すなんてこの男ずるいなとナディアは思ったが、聞きたいことがあるのは本当だったので、ジュリアスが職場に現れてからずっと考えていたことを口にしようとしたが――――
「俺たちの『秘密』に関することには発言に気をつけて。君がそのことを口にした途端君は即死する。紙に書いて筆談しようとするのも駄目だ。文字に起こした途端に同じことになるからね」
口を開きかけた所でジュリアスにすかさずそう忠告され、ナディアは驚きに目を見開いて背筋が凍った。聞きたいことは『秘密』にもちょっと関係している。
(危うく死ぬ所だった…… なんて恐ろしい話し合いなんだ……)
ジュリアスは黙ってしまったナディアの意図を汲んだらしく、聞きたかった内容をそのままズバリと言い当ててきた。
ナディアはただ頷く。ジュリアス自身が『秘密』を口にすること自体は特に構わないようだ。
一通り聞きたかったジュリアスの考えを聞いた所で、ウェイトレスが料理を運んできた。
ウェイトレスがナディアたちのテーブルから離れる背中を見つめた後、ナディアはおそるおそるといった体で口を開く。
「ねえ、あの…… あなた自身がそのことを口にしても死なないのはわかったけど、流石にこんな誰が聞いているかもわからない所でそれに関係したことを言うのはまずいんじゃない?」
これ、かなり重要なことだと思うのだが、ジュリアスに焦りの色は一切ない。
「俺たち二人の会話は、さっきから現代では既に失われた言語に変換して周囲に聞こえるように操作している。言っていることがわかるとしたら、ここら辺では魔法が使えるうちの家の者だけだろうから、心配しなくていいよ。周囲には俺たちはどこかの外国人のように思われているはずだ」
(なるほど。魔法使いって便利だな)
感心していると、ジュリアスがクスッと笑う。
「君が故郷にも帰れず、口を滑らせたら死んでしまう状況に追い込んだのは俺たちなのに、そんな俺たちのことを本気で心配してくれるだなんて、弟の結婚相手としてとても理想だよ。君はシリウスのことをただ避けているだけだ。本当はそこまで嫌いじゃないって、君自身も気付いてるんじゃない?」
(あ、やっぱりその話になるよね……)
「父は反対しているけど、俺は君とシリウスが一緒になってくれたらいいなって思っている。父のことは何とかするから、うちに嫁に来てくれないかな?
君が俺たち家族の一員になるのならば、もう運命共同体みたいなものだし、その呪いも解除させるよ。シリウスも元よりそのつもりのようだったしね」
「ごめんなさい。無理です」
たとえ『呪い』を受け続けることになったとしても、ここは、キッパリハッキリ断らなければ。