50 交わらない 1
「――――メリッサ、聞いてる?」
歩きながら声をかけられて、はっとする。
レインと会った喫茶店を後にして、帰宅するべくゼウスと二人で街中を歩いていたが、ゼウスの声にも気付かないほどナディアは頭の中でぐるぐると色々なことを考えていた。
「ずっと上の空みたいだけど、大丈夫?」
「う、うん。大丈夫よ」
ゼウスはナディアの手を握ったまま、心配そうにこちらの顔を覗き込んでくる。
「もしかして、その、さっき最後にレイン先輩に言われたことが嫌だった?」
『もし傷付けるようなことがあれば、俺は絶対に許しませんからね』
「先輩はほんの少しだけ過激な所があるというか、ちょっと変な所もあるけど、根は優しい人だから。あんなこと言ってても、実際はメリッサに酷いことなんて何もしないと思うよ」
「……うん、先輩がどうこうってわけじゃなくて、私が…………」
(私が、あなたを傷付けるかもしれない――――)
黙ってしまったナディアの表情は冴えない。
「メリッサ……」
元気のないナディアにゼウスも心配そうな顔を向けている。
「そうだ、本当はこのまま帰る予定だったけど、何かご飯でも食べに行こうよ」
ナディアはゼウスの家でノエルに会った時、食事の面が大変だろうと数種類の「魔法の塩」を貰っていた。野菜に振りかければ見た目はそのままなのにそれぞれ牛、豚、鶏肉に変わるという、ナディアにとってはありがたすぎる秘密兵器だ。
時間が経つと魔法の効果が薄れてくるので、たまに新しいものを取りに来るようにとは言われたが、「魔法の塩」のおかげでゼウスとも気兼ねなく食事デートを楽しめるようになった。
全てはノエルのおかげ、ノエル様々である。
「メリッサは肉が好きでしょ? 好きな物を食べて元気出しなよ」
「いいの?」
ゼウスは明日の朝早いらしく、今日は早々に解散することになっていた。
「少しくらい帰りが遅くなっても大丈夫だよ。もう少しメリッサと一緒にいたいし」
ナディアはその言葉を聞いて微笑む。
「私も、もう少しゼウスと一緒にいたいわ」
二人はお互い繋いだ手にきゅっと力を込め合った。
(それがどうしてこうなった?)
気が付いたらどこか知らない部屋の寝台にいて、ゼウスに抱きしめられた状態で横になっている。お互い服は着たままだし、どうにかなったわけではないようだが――
「ここは、どこ……?」
「ホテル」
ゼウスの返答を聞きながら、ナディアは寝起きから一気に覚醒し、愕然とした気分に包まれた。
「覚えてない? 食事を終えて店を出ようとした所でメリッサが倒れちゃって、客の中にたまたま医者がいて診てもらったら、ただ寝てるだけだって……」
ナディアは思い出す。いつもは持ち歩いているはずの「魔法の塩」を今日はついうっかり忘れてきてしまい、料理が運ばれてきた段階で気付いたために引くに引けなくて、出された料理を半分ほど食べたことを。
食事中は酔いの症状はそれほどでもなかったし、何とか乗り切れるだろうと思っていたが、食事が終わって椅子から立ち上がり、ゼウスと共に店の出口に向かっていた所から記憶が無くなっている。おそらくそのあたりで昏倒したのだろう。
夕食をどこで食べようかと繁華街を歩いている時、たまには入ったことのない店を試してみようと、二人は異国料理を扱う店に入っていた。
料理に使われていた野菜の量はそれほど多くはなかったが、ナディアがこれまで一度も摂取したことのない野菜が使われていた。急速な眠気に襲われつつも、いつもと違ってしばらく休んだら身体が普段通りに戻っていたのは、摂取した野菜があまり馴染みの無い種類だった為なのかはわからない。
それにしても、女の自分よりも美しいゼウスの顔が近すぎる――
「すごく良く寝ていたけど、体調は大丈夫? 倒れるように寝入っちゃって何度揺すっても呼びかけても起きないとか、何か病気なんじゃないの?」
「いやあの、病気とかそんなのじゃないわよ。最近夜遅くまで本を読んでいることが多かったのと、仕事も忙しかったし、疲れが溜まっていたのかな」
「そうなの? ならいいんだけど……」
ゼウスに対して嘘を重ねていることを心苦しく思う――
ナディアは寝転がっていた状態から上半身を起こした。
「ごめんね、すっかり迷惑かけちゃって。身体はもう大丈夫だから、帰ろうか」
「……」
寝台から出て立ち上がろうとしたナディアの腕を、ゼウスが掴んだ。
(あれ?)
ゼウスに軽く引っ張られたと思ったら寝台に倒されていて、ゼウスが身体の上に乗ってくる。
(あれ?)
こちらを見下ろすゼウスの表情がいつもと違うような気がする。雰囲気がちょっと色っぽくなっていて、ナディアの心臓が速さを増す。
「……メリッサ、抱いてもいい?」