41 不道理
ゼウス視点→ノエル視点
ゼウスが戻ってくると、メリッサは開けたままの扉にもたれるように座り込んで、ぐうぐう寝ていた。
少し迷ってから、メリッサを抱え上げて部屋の中に入り、彼女を寝台に横たえた。
「メリッサ」
何度か呼びかけていると、メリッサがゆるゆると瞼を上げる。
「水とグレープフルーツジュースを貰ってきたから、飲める?」
「ぐれーぷふるーちゅ?」
「そ、そう。二日酔いに良いからって……」
ゼウスはドキドキしながらグレープフルーツのグラスに手を伸ばしたが――――
「み、みじゅ……」
「水?」
メリッサが必死な様子で首を動かして頷く。
水が良いと言われたので、ゼウスはグレープフルーツジュースではなく水の入ったグラスを掴んだ。
グラスを顔に寄せて、ストローの吸口をメリッサの唇の付近に向ける。
メリッサの唇がストローを咥えて水を吸い上げるのを、ゼウスはじっと見入っていた。
「ありがとう」
ストローから口を離すと、メリッサはそう言ってゼウスに笑いかけてから、目を閉じた。
ゼウスは眠ってしまったらしきメリッサの額あたりに手を置いて、いたわるように優しく撫でた。
「俺、今日は仕事休むから。こんな状態の君を放っておけない」
ゼウスがメリッサの寝顔を眺めていると、ふいに彼女の瞼が開いた。
「ゼウス、私は大丈夫だから、仕事に行ってきて」
「え、でも……」
「水を飲んだら少し落ち着いてきたわ。あと少し休んだら私も家に帰るし、あなたは仕事に行ったほうがいいわ」
メリッサの表情からとろんとした感じは消えていて、完全に酔いが覚めたようにも見える。調子が戻ったのなら良いのだが、ただ、良くなったにしてはあまりにも急すぎるような気も――――
「本当に大丈夫? 無理してない?」
「大丈夫よ。心配かけちゃってごめんね」
メリッサは寝台から起き上がって、部屋の入口までゼウスを見送りに来てくれた。
「不審者が入って来ないように、ちゃんと鍵をかけるんだよ」
「うん、わかってる。大丈夫よ」
廊下に出たゼウスはメリッサを振り返った。
「メリッサ、その、こんな時に言うのも何だけど…… 俺と付き合う話、ちゃんと考えていてほしい」
昨夜の夕食時にも何度か問いかけはしたものの、明確な答えは返ってこなかった。
今もメリッサはゼウスに対してニコニコと笑っているだけで、そのことに対しては何も言わない。
「いってらっしゃい。仕事頑張ってね」
「う、うん……」
何事もなかったかのように出勤を促される。やはり風呂に入りたいだなんて変な発言をしてしまった自分は、嫌われてしまったのかもしれない。ゼウスはぎこちない笑みを返して踵を返し掛けたが――――
次に会う明確な約束を取り付けていなかったことに気付く。また一緒に観劇をしようという話にはなっていたが、はっきりとした日時を決める前に邪魔が入ってしまった。
「メリ――」
ゼウスはすぐに振り返って声を掛けようとしたのだが、その前に、バタン! と物凄い速さで扉が動いて勢い良く閉まった。
ただ目の前で扉を閉められただけなのに、なぜだかゼウスは、メリッサにとてつもなく拒絶されたように感じてしまった。
ノックをしてまで再びメリッサと話をして次のデートの約束を取り付ける勇気が、今のゼウスにはなかった。
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扉の内側では、ナディアが扉を閉めた途端、彼女の首がカクリと落ちた。ナディアは目を瞑ったまま、スースーと寝息を立てている。
誰も触れていないのにカチャリと独りでに扉の鍵が閉まった後、彼女の足が床から浮遊し、空中を移動しながら寝台に向かった。寝台に横たえられたナディアの身体の上にそっと布団類が被せられる。
全てはノエルの仕業である。
ナディアは本当は、ゼウスに「ありがとう」と声を掛けた後からはずっと寝ていた。
彼女が目を開けて話しているように見えたのもノエルの幻覚の魔法によるものだし、ナディア本人が話しているかのような声を作り出してゼウスに聞かせたのもそうだし、ゼウスを廊下に出してからの一連の摩訶不思議な現象も全てノエルの手によるものだ。
ノエルは深く深く葛藤しながらも、結局はゼウスの味方をすることができなかった。
兄のこともあるが、二人の恋を応援できかねる判断しか出せなかった自分自身を、自分の不甲斐なさを、呪ってやりたいくらいに悔しく感じている。
ゼウスは、「メリッサ」が獣人であることを知らない。
彼は銃騎士であり、人間で――――
そして彼女は、獣人なのだから。