37 お誘い
ナディア視点→ゼウス視点
あれよあれよと言う間にホテルで休憩する話がまとまってしまい、気付いたらゼウスと一緒にホテルの一室に来ていた。
「とにかく身体を温めようか」
ゼウスは浴室に消えてしまって、浴槽にお湯が張られているらしき音がする。
ソファに座ったナディアはきょろきょろと室内を見回す。
室内は広々としていて一人で使うのがもったいないくらいだ。
テーブルや椅子は意匠が凝っていて一見して高級だとわかるものばかりだし、ナディアが今座っているソファも座り心地が最高だ。天井の照明や壁にかけられた絵画などの調度品に至るまで、この部屋にあるものはどれも品が良い。
彷徨っていたナディアの視線が寝台でピタリと止まる。
(寝台は一つなのに、枕が二つ仲良く並んでいる……)
ふわりと、心地良く感じるようになってしまったゼウスの匂いが濃くなる。
ナディアがその方向に目をやると、浴室へ続く部屋の入口にゼウスが佇んでいた。ゼウスは何か物言いたげな視線を真っ直ぐナディアにぶつけてくる。
二人はしばし無言で見つめ合った。
「風呂、一緒に入る?」
ゼウスの言葉を受けたナディアは、ふふふっ、と笑った。
「やあねもう、そんな冗談みたいなこと言って。こんな状況でそんなことするはずないじゃない」
「そ、そうだよな、ごめん! 変なこと言って……!」
ゼウスはナディアから視線を逸らすと、耳まで真っ赤にして恥じ入っている。
「お湯、もう少しで溜まるから、そしたら止めて、ちゃんとあったかくしてよく休んで! じゃ、じゃあ、俺は隣の部屋にいるから、何かあったら呼んで!」
捲し立てるようにしてそれだけ言うと、ゼウスは逃げるようにして外に出て行ってしまった。
「あ、ゼウス……」
呼び止めようとナディアは立ち上がって声をかけたが、ゼウスはそれには応えず、廊下に続く扉がバタリと閉まる音がした。
ゼウスは知らない。
先程の誘い文句が、ノエルの魔法により、『風呂、一緒に入る?』ではなく、『マラソン、外で一緒に走る?』と変換されてナディアに聞こえていたことに。
******
隣の部屋に入ったゼウスは酷い自己嫌悪の中にいた。
(一緒に入ろうって、何言ってんだ俺……)
頭の中はぐちゃぐちゃだった。
付き合ってほしいとさっき話はした。けど、メリッサは事件の衝撃のせいか、ぼーっとしていて心ここにあらずというか、あまり話を聞いていないような感じだった。
支配人たちがやってきて話は中断してしまい、メリッサからは何も答えはもらっていない。
けれど、友達友達と連呼していた彼女ではあったが、少なくとも自分のことを異性として意識はしてくれたはずだと思っていた。
支配人たちがいらぬ気を効かせたらしく、別々で使うこともできるようにとホテルは二部屋取られていたが、ゼウスはメリッサと一緒に朝まで同じ部屋にいても別に構わなかった。
ここは男としての踏ん張り所なんじゃないかと思って片方の部屋の中にまで一緒に入った。彼女も、寝台を見ながら顔を真っ赤にしていたから、もしかしたらいけるのではと、ちょっと強気な発言をしてみたが、完膚無きまでに玉砕だった。
「冷静になれ!」とゼウスは自分用に浴槽の湯を張っている間、頭からシャワーの冷水を被っていた。
恋人になったわけでもないのに身体から求めるなんて順番が違う。
メリッサは冗談として受け流してくれたが、本心ではどうなのだろう。もしかしたら軽い奴だと思って嫌われてしまったかもしれない。
(さっきのことをちゃんと謝ろう。そして、告白の返事を聞こう)
警務隊が事情聴取をしに来たのはそれから二時間ほど経ってからだった。
メリッサはなぜだか始め被害届を出すことを渋っていたが、ゼウスや警務隊員に説得されて結局出すことになった。
もしかしたら死んでいたかもしれなかったのだから、当たり前の話だろうとゼウスは思った。犯人は極刑に値する。
話が終わったのは夕食を食べるにしては少し遅い時間だった。自分は元よりメリッサもずっと何も口にしていないはずだ。ゼウスはホテルの中にあるレストランで一緒に食事をしようと誘った。
「いや、でも……」とメリッサは歯切れが悪かった。ゼウスはそういえばメリッサがダイエットをしたいから外食は控えていると話していたことを思い出す。
「メリッサはそのままでも素敵だからダイエットなんて必要ないと思うけど、でも気になるなら、重い料理じゃなくてサラダとか簡単なものを食べたらいいと思うよ」
「サラダ……」
そう呟いた彼女は何か言いたげだ。
「あの、私元々食が細いのだけど、さっき色々あったのもあるし、今はあまり食欲がないの」
「そういう時こそ食事は抜かない方がいい。少しくらいでも食べて英気を養わないと」
「でも……」
「じゃあ俺が食事をするのに同席してもらうだけっていうのは駄目かな? 話し相手になってほしいんだ。ここのホテルのレストランに前々から興味があったんだけど、一人で入るのもね」
このままだと別々の部屋に戻ることになるし、もしかしたら家に帰ると言い出すかもしれない。レストランに興味があると言うのは口実であって、ゼウスとしては何としてでもメリッサを食事の席に着かせたかった。
「……ダイエット以外に何か外食できない理由でもあるの?」
黙ってしまったメリッサに、もしかしたらさっきの発言で相当嫌われてしまったのだろうかと、ゼウスは心配になって問いかけた。
メリッサはすぐさま首を横に振る。
「……ううん、大丈夫よ。本当にただ座っているだけになっちゃうかもしれないけど、それでもよければ一緒に行くわ」