36 じれた関係
アテナ(ゼウスの姉)視点
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ノエル(シリウスの弟)視点
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アテナ視点
金髪碧眼の美しい少年が、長い茶色の髪を結った少女の肩を抱きながら、一流ホテルの門をくぐり中へと消えていく――
その様子を二人にばれないように少し離れた場所で眺めながら、騒ぐ女が一人。
「ホ、ホテっ……! ホ、ホテ、ホタタテっ……!!」
噛みながら慌てた様子で二人が消えた方向を指差して何か言っているのは、灰色の髪に青い瞳をした二十歳前後くらいの女だった。
女は、「ホテル」と言いたいらしいが、全然言葉になっておらず、通行人から白い目で見られていた。
「ああ、ホタテ、ですか? 焼くと香ばしい匂いがしてとても美味しいですよね」
連れの男も妙なことを言い始めている。女は男の言葉を受けて首をぶんぶんと横に振った。
「お、おん…… な、ななな、なっ……!」
「菜っ葉、ですか? 苦いのであまり好きではないですね」
「ち・が・う!」
男があまりにも素っ頓狂な事を言い始めるので、女はカッと目を見開いて男に詰め寄る。
「ゼウスが女の子をホテルに連れ込んじゃったわ! どうしたらいいのっ!」
女が男の肩をガクガクと揺さぶりながらあまりにも大声で叫ぶので、通行人の視線がさらに集まってくる。
「ゼウスも男なんですからしょうがないんじゃないですか?」
女は男の発言に、愕然とした様子でその場に膝を突いた。
「…………ゼウスに限って初デートでホテルに直行だなんてふしだらなことはしないと思ってたけど…… うちの弟もやっぱり年頃の男子だったのね……」
打ちひしがれたように呟く女の正体は、姿替えの魔法にかかったゼウスの姉、アテナ・エヴァンズだった。
そして、彼女のそばにいる金髪碧眼に平凡な顔立ちをした二十歳ほどに見える男こそが、アテナと自分自身にも姿替えの魔法をかけた張本人、アテナの現相棒であるノエル・ブラッドレイだ。
「……まあ、年頃の男の子だからって全員そうなるとは限りませんが………… ただ、ゼウスは嫌がる女の子に無理矢理致すなんてことはしないと思いますよ。どうにかなるならきっと合意の上だと思います」
ノエルは誰に対しても丁寧語を使うのだが、それは長兄ジュリアスの影響だった。
ジュリアスは銃騎士隊養成学校に入学して以降、銃騎士隊の上官である父親アークに対してどんな時でも常に敬語で話すようになった。
ジュリアスにとっては父と一線を画そうとする一つのけじめだったのかもしれないが、ノエルはそんな兄を見ているうちに彼の真似事をするようになった。
ただし、ジュリアスが家族の中では父にだけ敬語で話すのに対し、ノエルは家族全員、外の者に対しても会う者全てに敬語を使っていた。
子供のすることだと特に矯正されることもなく放っておかれたが、結果、昨年末に十四歳の成人を迎えたばかりの現在においても、丁寧語のクセが抜けることはなかった。
ノエルの見た目は魔法で二十歳前後に見えているが、本当の年齢は十四歳だ。ノエルは本来、灰色の髪に青い瞳をしていて、兄弟たちと同様にとんでもない美貌を持っている。
モデルである二人はこの国では有名人であるため、どこに行くにも人の注目を浴びてしまう。お忍びで行動したい時にはこうやってよく姿替えの魔法を使っていたが、ただでさえ今回はゼウスのデートを覗いているという後ろめたさがある。
ばれて激怒されないためにも姿替えの魔法は必須だった。
ノエルが魔法使いであることをアテナが知ったのは、以前、共にハンター活動をしている時だった。
魔法が使えることはブラッドレイ家の秘密の一つである。世間にそのことが広まってほしくないため、ノエルはこのことを誰にも話さないようにとアテナに頼み込んだ。アテナは律儀にその秘密を守ってくれていて、唯一の肉親であるゼウスにも話していなかった。
ノエルが手を差し伸べて、アテナを立たせた。
「行きましょう」
「へ? 行くって?」
「もちろん、二人の監視ですよ」
「で、でも、ここからは流石にゼウスに悪いわ……」
「ゼウスが気になるから見に行きたいと言ったのはどこの誰ですか?」
女の子とデートすることになったからと話すゼウスに、アテナは気のない素振りで、「へー、そうなんだー」と返しながらも、実はものすごい気にしていた。それとなく相手の女の子の情報を聞き出し、ノエルと共に彼女の職場にお忍びで出向き、どんな子なのかと確認したりもした。
探偵さながらこそこそと動き回るアテナにノエルは呆れていたが、「ゼウスの結婚相手になるかもしれないんだし、姉としては二人がどうなっていくのかきちんと把握しておかなきゃ!」と主張し強引にノエルに協力させていた。
しかし、もしかしたら弟がこのまま初体験を済ませてしまうかもしれないのに、そこまで探って把握してしまうのは流石に抵抗が――――
「ここまで来たのですから今更引き返すなんて無しでしょう」
「でも……」
(まさかいきなりこんな展開になるなんてお姉ちゃん聞いてない)
「……あの二人、チェックインしてしまいましたよ。 ……ああでも、部屋は別々に取ったようですね」
ノエルは離れた場所からホテルの外観を眺めているだけだが、魔法使いである彼はその能力で離れた場所のことも見通せる。
アテナはホッと息を吐き出した。
「やっぱりホテルに来たのは劇場の人に言われたからなんだわ。ああ良かった。大事件があったからメリッサちゃんを気遣ったのね」
この二人は先程の出来事ももちろん知っている。
「あーびっくりした。安心したらお腹がすいちゃった。さて、家に帰ってご飯でも食べようか」
踵を返しかけたアテナの肩を、ノエルがむんずと掴んで止める。
「何言ってるんですか?」
「ん?」
「我々もチェックインしますよ」
「え?」
戸惑うアテナには構わず、ノエルはアテナの手を掴んで歩き出す。
「ちょ、ちょっと待って! このホテル一泊いくらすると思ってるの? すごく高いのよ?」
ノエルはこのデートの出歯亀行為に最初乗り気ではなかったはずだが、一体どうしたのだろう――――
「私が払いますから、そのくらいの甲斐性はあります。でもそうですね…… アテナがそう言うのなら、二部屋取ろうと思っていたのですが、一部屋にします?」
振り返って言われた言葉にアテナは押し黙った。
二人はまだ付き合っていない。でもアテナとしては、いつそうなっても構わないと思っているくらいにはノエルのことが好きだ。
この間のノエルの十四歳の誕生日、ノエルが成人した日。
仕事を休暇にしていたアテナとノエルは海の見える街まで行って二人きりでデートした。
冬の海の地平線に落ちる夕陽を眺めながらとてもいい雰囲気だった。
アテナはこのままもしかしたらもしかするんじゃないかと期待していた。
しかし、二人でおしゃれなレストランで食事をした後、「そろそろ帰りましょう」と有無を言わさずノエルの瞬間移動の魔法で自宅まで帰ってきてしまった。
ノエルが「実家にも顔を出さなければいけませんので」と言って実家に行ってしまったため、その日は結局何もなかった。
(しかし! これはいよいよ正式な彼氏彼女となる時が来たのかもしれない!)
緊張しつつもときめきを覚えたアテナは、黙ってノエルについて行く――
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急にしおらしくなったアテナと連れ立って歩きながら、ノエルはアテナが頭の中で考えている事とは全く別のことを考えていた。
(まさか、ゼウスのデートの相手があの人だとは……)
少し前にノエルは、「ゼウスが女の子とデートすることになった!」と大騒ぎするアテナと共にその女性のことを探りに行ったことがあった。
相手の職場をこっそり覗いてみると、そこにいたのはまさかまさかの次兄の思い人だった。
驚きつつも、ノエルは冷静に二人の様子を観察した。
ゼウスとしては、兄のように「何が何でも絶対にモノにする!」という所まではいっていないようだったが、気になる存在ではあるようだった。
ナディアの方は特にゼウスに思いがあるという様子でもない。一回デートするくらいならいいのでは、とノエルはそのまま状況を見守ることにした。
「ゼウスのデートについて行く!」と息巻くアテナに、「はしたないですよ」と言いながら半分仕方なく同行していたが、様子を見に来ておいて良かったのかもしれないと思った。
ゼウスが思う分には一方通行だが、どうやらナディアもゼウスに惚れてしまったらしい。
状況が変わってしまった以上、懸念していた一つの命題に向き合わざるを得なくなる。
即ち、兄を応援するべきか、友を応援するべきか――――
ゼウスのデート相手がナディアだと知った時から、ノエルはずっと考え続けているが、未だ答えは出ていない。
何が最善なのかはわからないが、とにかく、二人が今日間違ってでも一線を超えるなんてことは絶対に阻止しなくては。
ノエルはナディアが獣人であることを知っている。抱かれたら最後、その相手が彼女にとっての番になる。
(そんなことをあの兄が知ったら、きっと大変なことになってしまう………………)
ほぼ両思いな二人が付き合い出すのは時間の問題かもしれないが、できれば、二人が付き合い出すのは今日じゃなくて、もっと先延ばしにしてほしい。
もうちょっと考える時間がほしいと思いながら、ノエルはホテルの門をくぐった。
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アテナは受付で従業員とやりとりするノエルを横でドキドキしながら見ていた。
そして――――
ノエルは、部屋を二つ取った。