33 国の歴史
説明回です
三人称
王族は血族結婚を繰り返していた影響なのか子が生まれにくく、元々数を減らしていた。処刑された最後の女王に次いで王位継承権を持っていたのは、最後の女王の叔母であるミカエラ姫だけだった。
しかしミカエラは病弱で車椅子生活をしていて、子が望めない身体だとも言われていた。彼女は王位継承権を放棄して、平穏な人生を過ごすことを選んだ。
公爵家も臣籍降下などにより元は王家の血を継ぐ者が興した家だ。
王家の血を一番濃く引いているのが、バルト公爵家だった。そしてそのバルト公爵家の当主であるラファエル・バルトは時の宰相であり、最後の女王を断頭台に送った張本人だった。
彼は自分の王位を望まなかった。宰相の手により王政は廃止され、一気に民主化が進むかに見えた。
しかし、そこに二つの出来事が重なったことにより、この国の行末が決まってしまう。
一つは、最後の王族であるミカエラの懐妊だ。
ミカエラは三十代後半になっても未婚のままだったが、王位継承権を放棄するにあたり、バルト公爵の勧めで地方のローゼン伯爵家に降嫁した。婚姻し王族籍から抜けることで継承権を放棄させるという意味合いがあった。
ローゼン伯爵クラウス・ローゼンはミカエラよりも一回りほど年下だったが、権力欲のない温和な人物として知られていた。加えて死別した先妻との間に息子がいたので、無理に子供を作る必要もないだろうとの理由でミカエラの嫁ぎ先に選ばれた。
しかし子供が出来ないだろうという医師の診断に反して彼女は妊娠した。最初ミカエラの妊娠は秘されていたが、どこから漏れたのか、痩せ型なのにお腹だけがやけに膨れたミカエラを抱えて馬車に乗り込むローゼン伯爵の写真が新聞に載ってしまったのだ。
王家が続いていれば正当な後継者になるはずだった者の存在が世間に知れ渡ってしまった。
二つ目はバルト公爵の暗殺だ。
民主化の急先鋒だった存在がいなくなったことで、王政復古を願う者たちの発言力が増してしまった。
王の臣下であった貴族たちは、頭上に戴くべき王がいなくなれば役目はなくなり、存在意義を失う。
自分たちの既得権益が失われることを恐れた貴族たちは、何とか貴族制を維持しようと目論んだ。
バルト公爵によって既に王政は廃止されていたが、貴族制の廃止については貴族たちからの猛烈な抵抗に遭い、未だ改革の途中だった。
バルト公爵亡き後、貴族制維持派たちはミカエラの元に通いつめ、即位を宣言して王政を復活させるように求めた。
しかしミカエラは頑なにそれを拒んだ。出産はしたものの、産まれてきた女児はやはり身体が弱く、自分も含めてとても王の仕事なんてできないと思ったからだった。
ミカエラの説得に時間をかけている間にも、共和制推進派たちはバルト公爵の意思を継ぎ民主化を盤石なものにしようと動き続けていた。
追い詰められた貴族制維持派が苦肉の策として絞り出したのが「宗主」だった。
貴族制維持派曰く、宗主とは国王ではなく国王の代理人であると。その役目は不在となった国王の代わりに国の象徴を務めることであり、政治活動の一切はしなくていい、むしろ禁止にしてしまおうと。
政治は我々貴族に全て任せて、宗主はただ国民を慈しみ見守る存在なってほしいと――――いわば、それまでの国王よりも担う負担は減るが、下手をすれば一部の悪徳貴族たちによって国を都合のいいように動かされてしまう懸念もある提案だった。
ミカエラはその話も最初拒んでいたが、貴族たちはこの「宗主」の案をさもミカエラが乗り気であるような話に変えて民衆に流した。
国全体は大きな転換を迎えて揺れており、社会の仕組みが大きく変わることに不安を覚える者も多かった。そんな中で国王だか宗主だかわからないがとにかく馴染みある王家の者が表舞台に戻って来ようとしている――――と、ミカエラの住むローゼン伯爵邸には即位を喜ぶ民衆が大挙して押し寄せてしまった。
ミカエラはその話がデマであることを強く訴えたが、民衆からは宗主でも国王でも何でもいいからとにかく即位してほしいという要望の嵐を受け取るばかりだった。
貴族たちからも何度も何度も説得を受け続けたミカエラは結局折れた。ただし、王政復古ではなく議会政治を主軸とした共和制下においてならその役目を担うと条件を付けて。
国王の代わりとみなされる宗主を戴くという建前で貴族制は存続されることになり、貴族制維持派の要望は通った形になった。
この国に君主はいないが、君主に似た存在を血脈で維持するという構造を採ることになった。
宗主になるには議会の承認を得なければならないが、旧王家との血の濃さで継承順が決まることになった。公爵家は「宗家」とも呼ばれるようになり、血脈の流れから家ごとに順番が付けられた。
ローゼン伯爵家は公爵家に格上げされ、宗家第一位のローゼン公爵家となり、ミカエラは宗主になった。
宗家第二位はバルト公爵家であり、それに次ぐ高位の第三位宗家こそが、ランスロットとシャルロットの生家であるアンバー公爵家だった。