31 罠にはまってみる
ナディア視点→ゼウス視点
歌劇は恋愛もので、身分差の姫と騎士が様々な障害を乗り越えた末に結ばれるというよくある話ではあったが、有名な役者が出演していることや舞台装置が派手であることが見所だった。
クライマックスで、敵方の罠にはまり滝壺に落ちた姫を騎士が飛び込んで助けた末に結ばれるシーンでは、舞台上で本当に水を使った滝を再現していて、かなり迫力があった。
「面白かったわ!」
ナディアは劇を見るのは初めてで、音楽に合わせて人が歌ったり踊ったりするのは心躍る感じがしてなかなかに楽しめた。話の内容も恋愛ものでナディアの好きな系統の話だったし、最終的に姫が騎士と結ばれて大団円だったのも良かった。
姫は途中、所々でチャラチャラした感じの美形魔法使いにちょっかいを出されていて、そちらを選んでしまいそうな雰囲気もあったのだが、魔法使いを選んだら魔法の国に連れ去られて二度と国に戻れなくなるという設定だったので、いくら顔が良くても魔法使いじゃなくて本命の騎士を選んで良かったと思った。本当に良かった。
「そんなに喜んでくれたなら誘った甲斐があったよ。もし良かったら今度は別の劇を一緒に観に行かないか?」
舞台のあるホールを出て人の流れに乗りながら話していると、ゼウスがそんなことを言ってくる。劇は終わってしまったので後は帰るだけだ。敬語はやめたものの、友達と呼べるほど仲良くなれたかは何とも言えない所だったので、また一緒の時を過ごせるのはナディアも望む所だった。
「いいわね、そうしましょう」
ナディアは笑ってゼウスの提案を受け入れた。二人は出口に向かう流れから外れて、劇場内のチケット売り場に向かった。ゼウスは移動中ずっとナディアの手を握っていたが、劇の公演予定の看板の前に二人で立って人の波に押される心配がなくなっても、ゼウスは手を離さず握ったままだった。
これは友情が育まれている証だわねと思ったナディアは、自分からも手を離さずそのままにしておいだ。
「今回は指定された日時だったからお互い仕事を早退しなきゃいけなかったけど、次は休みが被る日にしようか」
「そうね。でも公演はほぼ毎日あるから好きな演目を選べそうよ」
劇場は広く公演用ホールもいくつかある。今回は大ホールでの公演だったが、同じ大きさのホールがあと一つあり少ホールも何ヶ所かあるので、同日に別の演目の舞台も開演している。
「メリッサはどれがいい?」
「この冒険活劇ものっていうのも面白そうだけど、私はやっぱり恋愛ものが好きかな」
「恋愛……」
「ゼウスはどういうお話が好きなの?」
「俺は何でも。メリッサが恋愛ものが好きなら次はこれにしようよ」
ゼウスが看板を見ながら恋物語の項目を指差した時だった。
ナディアは一早く、レモングラスの香りと共に急いでいるような足音がこちらに真っ直ぐ向かって来ることに気付いた。
ゼウスがチケット売り場の窓口に向かおうとナディアの手を引いて歩き出そうとした時、例の少女の呼び止める声がした。
「ゼウス様」
声が響いた途端、ゼウスが顔を強張らせる。ゼウスはまるで鉄面皮のように表情を凍らせたまま彼女に向き直った。
「何かご用ですか? アンバー公爵令嬢」
ゼウスからは彼女への警戒が見て取れる。対する公爵令嬢は扇子で口元を隠しつつ、にこやかな表情だ。
「無事に彼女とお会いできたようで喜ばしいと思いまして、一言ご挨拶に参りましたの。待ちぼうけをされていた時は大変お可哀想で私も心を痛めておりましたのよ。私なら絶対にそのようなことを致しませんのに」
「そうですか」
感情の抑揚を一切排除した無機質な声で答えてから、ゼウスは踵を返しナディアを連れてその場から去ろうとする。
「ゼウス様、お待ちになって。まだお話は終わっておりませんわ」
「話すことなんて何もありません。勤務時間外ですので、捨て置いてください」
「いいえ、いいえ。私、是非ともゼウス様と仲良くされているその女性ともお近付きになりたく思っておりますの。この劇場の関係者に伝手がございまして、これから先程のゼウス様たちもご覧になった舞台の裏側を見学することになっておりますのよ。ゼウス様たちもご一緒に如何ですか?」
「結構です」
口を差し挟む隙がないほどの早口で令嬢が捲し立てるが、話が終わった直後にゼウスはすかさず断りを入れた。ゼウスはそのままナディアの手を引いて歩き出そうとしていたが――――
「私、見てみたいわ」
発言をしたのはナディアだった。
ゼウスは驚いた顔をしてナディアを見ている。
「ええ、そうでございましょう。舞台の裏側を見られる機会なんてそうはございませんもの。ではこちらへいらして下さい」
令嬢は玉のようにコロコロと笑いながら二人を誘うべく歩き出す。
付いていこうとするナディアをゼウスが止めた。
「メリッサ……」
腕を掴まれて振り向くと、ゼウスは緊張を孕んだ顔をしている。
「行かない方がいい。貴族なんて表面上は親切ぶっていても、腹の底では何を考えているのかわからない奴が多いんだ。特に彼女とはあまり関わり合いにならない方がいい」
ナディアはゼウスの危惧する所を察していた。
「大丈夫よ」
ナディアは腕を掴んでいるゼウスの手の上に自身の手を置いて、安心させるように微笑んだ。
「少し見てくるだけよ。ちょっと確かめたいこともあるし」
娼館に売られそうになったことは心配をかけてしまうから言わない方がいいだろう。
「それに、ゼウスがそばにいてくれるからとても心強いわ」
一人でも味方がいてくれた方が安心するという意味で言ったのだが、ゼウスはナディアを真っ直ぐ見つめたまま、なぜか顔を赤らめ始める。
「……メリッサ、俺は、君だけの騎士になりたい」
言われたナディアは虚を衝かれて瞬きをした。
(何だか女の子を口説く時に吐くような台詞に聞こえるけど……)
そう思った所でナディアはハッとした。
(この台詞、さっきの劇で騎士が姫に言っていたやつと同じじゃないの!)
「何よもう、さっきの劇の台詞じゃない。やめてよもう、口説かれてるのかと思ってびっくりしちゃったわ」
ナディアは面白い冗談でも聞いたかのようにいい笑顔を見せている。
「…………そうだな」
ゼウスも笑顔を返したが、それは力のない笑みだった。
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ゼウスは、『口説いてるんだけどな……』と思ったが、鈍すぎて全然気付いてくれないし、それに口説いてると言った所で受け入れてくれるかどうかまるで自信がなかった。
その後返されるだろう拒絶の言葉で傷付きたくなかったし、ゼウスは本当のことは黙っていることにした。
ゼウスは代わりに、こう言った。
「君のことは、俺が必ず守るよ」