23 デート準備
避妊についての話があるのでご注意ください
ゼウスとの約束の日の午後、いつもよりも早い時間帯に学校帰りのエリミナが自宅の馬車に乗って古書店に現れた。エリミナは誘拐事件以降、下校時にも馬車に乗って店に来るようになった。
エリミナは松葉杖に代わって簡易的な杖を使いながら店の中に入ってきた。膝の傷が完全に治るのにはまだ時間がかかるらしい。
エリミナは背後に使用人らしき女性を二人連れていた。
「エリー、学校が早く終わったの?」
「早退してきた!」
「え?」
「だってほら、メイクもヘアセットも全部こっちでやるって話だったでしょ? うちのプロを連れてきたから任せて!」
確かにそう言われてはいたが、約束の時間まではまだあるし、わざわざ学校を早退してくるほどのことではないと思うのだが――
「友達の結婚相手が決まるかもしれない勝負の時に、学校なんか行っている場合じゃないわ!」
「……それはちょっと大袈裟すぎない?」
「ゼウス様は真面目だからきっとお付き合いすることになったら婚約まではすぐよ! 仕事なら私が代わりに入っておくから、メリッサは今日のデートを成功させることだけに集中して! ゼウス様を落とすために身だしなみを万全に整えていきましょう!」
エリミナは自分がデートするわけでもないのに、今回のナディアとゼウスのデートにかなり気合いが入っているようだった。
エリミナにゼウスと一緒に舞台を観に行くことになったと告げた時、彼女は嬉しそうに受け取って家宝にするとまで言った写真集をその手から取り落とした。
『エリー?』
ナディアが床に落ちたアテナ様のサイン入り写真集を拾ってエリミナに差し出しても、彼女は雷にでも打たれたかのように硬直してその場に立ち尽くしたままだった。
『山が……』
『山?』
『山が動いた……』
エリミナ曰く、女を寄せ付けない鉄壁のゼウス様が女性をデートに誘うなんて、天変地異の前触れか、もしくは宝くじに高額当選するほどの幸運なのだと言う。
『ゼウス様は昔、幼馴染の恋人を獣人に殺されて亡くしていて、それっきりその恋人のことをずっと思っていて、女性とは距離を置いて誰とも付き合おうとしなかったの』
『そうなんだ……』
(獣人に殺された……)
『でも考えが変わったんだわ! ゼウス様がメリッサを見初めたのよ! きっとそうに違いないわ!』
『えー、そう……? 一緒に行く人がなかなか見つからないって言ってたし、話の流れでたまたま私を誘っただけだと思うけど?』
『そんなことないわ!』
エリミナはぶんぶんと首を横に降る。
『ゼウス様が一声かければデート希望の女なんてわんさか湧いてくるわよ! ゼウス様がデートの相手に困るなんてことは絶対に無いわ! それに本当にただ単に一緒に行ってくれる人を探していただけなら、男友達とか仲良しの先輩とかを誘えばいいのに、わざわざメリッサを指名してきたのよ! きっとメリッサに気があるからだわ!』
エリミナは力説するが、ナディアはうーんと唸って首を捻った。
ナディアはずっと選ばれない存在だった。男性はナディアを素通りしていつも別の子を選ぶ。
長年染み付いた思考回路によりエリミナの言葉を受け入れ難く感じてしまう。
『とにかくゼウス様にデートに誘われるなんてこんな幸運はそうそうないわよメリッサ! あなた恋人が欲しいって前に言っていたじゃない! ゼウス様の真意はともかくとして、男の人とデートだなんてこれは彼氏ができるかもしれない絶好の機会よ! もしゼウス様が駄目でもお友達になっておけばそこからまた新たな縁が生まれるかもしれないし、私も全面協力するから頑張って!』
『う、うん。そうね……』
相手は銃騎士。敵同士である銃騎士と獣人が恋人になるのは色々と問題があるだろう。ゼウスは異母姉にちょっと面影が似ているので少し苦手に思ってしまっている部分もある。
(ここはゼウスさん狙いではなく、ゼウスさんとはお友達になっておいて、彼の交友関係を狙っていくのがいいのかもしれない)
ナディアの相手は獣人であることを受け入れて秘密を守ってくれるような相手でなければならない。
恋人――――つまり、番選びは慎重にしなければ。
その後、デート用の服をエリミナと共に吟味したりアドバイスを受けたりしたのだが、人間社会と獣人社会の違いのせいか、エリミナのアドバイスにナディアは面食らう所があった。
それは男性とのデート時には必須アイテムである「お守り」についてだった。
お守りとは、不本意に強要された場合にせめて妊娠や病気を回避したりするもので、要は避妊具だった。この国は性については奔放な国でありそういったものの開発も進んでいる。女の子は年頃になると皆持たされるらしい。
エリミナは家庭で、もし暴漢に襲われたら、下手に抵抗して殴られるよりもこれを差し出してできるだけ被害を少なくするようにと教えられたそうだ。
ただ、そう教えられたとしても実際にそのように動けるかはまた別で、エリミナは三馬鹿に渡すのがどうしても嫌で、逃げようとして銃で撃たれてしまったわけだ。
(事実エリーは誘拐されて強姦されかかっているし、人間社会も結構物騒ね)
お守りの話題になった時、「お守りが何かわからない」と言うと驚かれて、その場でエリミナが持っていたお守りをそのまま渡された。
「エリーの分がなくなってしまうからいらない」と言ったのだが、少し頬を染めたエリミナに「私の部屋にまだたくさん置いてあるから大丈夫よ」と言われてしまった。アーヴァインとのことはどこまで突っ込んで聞いて大丈夫なのか時々迷う。
どちらかと言えば、獣人であるナディアには不要なものだった。もし無理矢理に致されたとしても獣人は初めての相手が番になってしまうので、妊娠したとしても喜んでそのまま産むだろうし、番を得た獣人は相手の匂いで妊娠する時期がわかるので、道具に頼らずとも避妊可能だ。
もっとも、自分自身の微細な匂いの変化はわかりにくいので、匂いで避妊可能なのは男側が獣人の場合だけだ。
自分のように人間の男を番にしようとする場合は、将来的には必要になってくるのだろうと思い、ナディアはよく知らない避妊具についての研究も兼ねてお守りを譲り受けることにした。
『観劇終わりは夕食に丁度いい時間帯だから、どこかで食事してそのままゼウス様に夜を誘われることもあり得るわ! 下着も可愛いのを用意しておきましょう!』
ナディアは意気込むエリミナに勝負下着探しの旅にも連れ出されることになった。
実はゼウスに観劇に誘われた時に、「夕食は無しでそのまま解散しましょう」という話に持っていったので、たぶんエリミナが思うような展開にはならないと思うが、我が事のように楽しそうにお店巡りをするエリミナが、誘拐事件前と同じかそれ以上の笑顔を向けてくるので、ナディアは本当のことは言わないでおくことにした。