22 運命
ゼウス視点
ゼウスは書店に足を踏み入れた。
店の中はいかにも書店という感じで木製の棚にたくさんの本が並べられている。古書店だというが新書の取り扱いもあるようだ。入口の近くには雑誌も置かれているが、なぜかその一角には姉のアテナが表紙を飾る雑誌ばかりが置かれていた。
姉が表紙に起用されるようになった数年前のものから最近のものまで雑誌はびっしりと揃えられていて、写真集はもちろんのこと姉関連の書籍でかなりの場所を占められていた。
そばの壁には当然のように姉の全身ポスターがあるし、書籍の周りには「我らが美の女神様! アテナ様降臨!」というちょっと恥ずかしい見出しも女性らしき可愛らしい字体と共に飾られている。
(姉さんのファンは彼女の友人だと言っていたけど、もしかすると彼女もそうなのかな?)
姉の書籍が占拠する場所を通り抜け、ゼウスは客がちらほらといる店内を見回しながら奥に向かう。首都で暮らすようになって数年経つが、この店に来たのは初めてだった。
メリッサは一人、会計台の前で接客をしていた。
「ありがとうございました」
本を購入した客を見送るメリッサと目が合った。
「あ、持って来てくれたんですね。わざわざすみません」
いつも近付いてくる女たちとは違う、媚を売るわけでもなく憑かれたような熱を持っているわけでもない自然な笑顔を向けられて、ゼウスも釣られたように笑顔になった。彼女の表情を見て胸がほわりと温かくなったゼウスは、嬉しさをいつもより増量させた満面の笑みになっている。
ゼウスは目立つ。特に今は仕事帰りで隊服を着ていたので、銃騎士が一人で書店に何の用だろうと客に目で追われていた。近くにいた女性客はゼウスの弾んだような眩しい笑顔に、はうっとなって顔を赤らめているが、メリッサに特段の変化はない。
「家で姉にサインを入れてもらっただけだから、このくらいどうということもないよ。もし何か他にやることがあれば力になるから、何でも言って」
ゼウスが職務以外で女性の頼まれ事を進んで行うことなど奇跡に近い。自分から何かすることはないかと尋ねることも――
もしこの発言をゼウスの信奉者たちが聞いていたら、唖然としていたことだろう。
「大丈夫ですよ。写真集を持って来て頂いただけで充分です。本当にありがとうございました」
メリッサは写真集を受け取ると礼を述べてお辞儀をした。彼女はゼウスの発言を社交辞令と思い軽く受け流したようだ。
メリッサからの依頼は写真集に姉のサインを書いてもらって届けるまで。他に特に何もなければ二人の関係はただの知人になっただけでここで終わりである。終わりであるのだが――――
「あの、その……」
ゼウスは帰ることなく何かを言いたそうにしてまごついていた。
ゼウスは隊服のポケットに手を突っ込んでいた。そこにあるのは、お礼として貰ったはずの人気舞台のペアチケットだった。
最初、ゼウスは姉とノエルの二人に行ってもらうつもりだった。ところが、姉にチケットを渡そうとした所――――
『その舞台ならノエルとこの間見てきたわ。面白かったけどノエルは途中で寝ていたし、二回目はいいわ。私たちはいいから、誰か好きな子でも誘ってゼウスが行ってきたら?』
姉は軽い感じでそう言っていたが、『好きな子』とゼウスは真剣に考えてしまった。何をどう考えても、何度考え直しても、生きている人間ではこの目の前の少女しか浮かんでこなかった。あのパレードの日、ゼウスはこのメリッサと名乗った少女に惹かれていたのだった。
まだ出会ったばかりであり、死んでしまった幼馴染を超えるほどに好きなのかどうかはわからないが、一回デートに誘うくらいならやってみてもいいのではないかと思った。新しい一歩を踏み出してみることは自分には必要なことのように思う。
しかし、デートに誘われることこそあれ、女性を自分から誘うのはほとんど初めてと言っていい。ただ一言「一緒に行ってください」と誘うことがこんなにも勇気の要ることだとは思わなかった。ゼウスは普段誘ってくる女性たちにちょっとだけ敬意すら感じた。彼女たちは鉄の心臓でも持っているのだろうか。
この子はあのパレードの日に自分には全く興味がないと言っていたし、断られる予感しかしない。ゼウスはこれを逃したらもう誘う機会などほとんど無くなるというのに、怖気付いていた。
「すいませーん、配達です」
メリッサが様子のおかしなゼウスに首を傾げていると、店に本の納入業者がやって来てしまった。
「あ、すみません、ちょっと失礼しますね」
メリッサはゼウスに断りを入れてから店の入口に行ってしまった。ゼウスは少しその場に立ち尽くしていたが、自身もメリッサの後を追った。
入口では荷馬車から男が木箱をいくつか下ろしていた。メリッサは木箱の蓋を開けて届いた品物に間違いがないかを確認をしている。中くらいの大きさの木箱だがその数がわりと多い。
メリッサが届いた書籍に間違いがないことを確認すると、男はありがとうございましたとだけ告げてそのまま荷馬車に乗って行ってしまった。木箱は店内への出入りの邪魔にならないように寄せて置かれてはいるが、店の入口付近に大量に残されていた。
「すごい量だね」
「もうすぐ学校が始まるので、関連書籍などを頼んでいたのですが、まとめて来たみたいですね。よいしょ」
メリッサは木箱を二つほど重ねると持ち上げて運び始める。
「俺も手伝うよ」
そう言うと、メリッサは驚いた顔でこちらを振り返った。
「いえ、銃騎士の方のお手を煩わせるようなことではありません。全て私たちで運びますから、お気になさらず」
「見たところ店員は君以外誰もいないみたいだけど? これを女の子が全部運ぶのは大変でしょ?」
ゼウスはそう言いながら木箱を三つほど重ねて持ち上げたが、結構重い。木箱の中は本がみっちりと詰まっているようだった。
「これ一つだけでも結構な重さがあるんじゃない? 二つも重ねて大丈夫?」
「えーと…… 私わりと力持ちなんです。このくらいのものを運ぶのはいつものことなので…… 大丈夫です」
ハキハキとした印象のメリッサではあるが少し言い淀んだ様に言葉を紡ぐ。
「どこに持って行けばいいの?」
「……すみません、ではひとまずあの奥に」
ゼウスはメリッサの後について行く。店の奥の木製の扉の横に彼女が置いた後、続いてその木箱に重ねるように置いた。
「お姉さーん、お会計お願い!」
顔を見合わせた二人が何かを言い出すより早く、会計台の前に並んでいた客から声がかかる。
「はーい、今行きます! ゼウスさん、荷物運びはもう大丈夫ですので。今日は親切にして頂いてありがとうございました」
メリッサはそう言ってぺこりとお辞儀をするとそのまま踵を返した。
会計をしながら彼女は見た。
大丈夫だと言ったのに、ゼウスが入り口に置かれたままの木箱を次々と運んでくれている。ゼウスが言ったようにあの木箱は結構重いのだ。銃騎士とて重労働だろう。こんな時に限って客が次々と並んでしまい、止める間もなく彼が残り全ての木箱を運んでしまった。
ゼウスが最後の一つを扉の横に置いた時、古ぼけた木製の扉がギィっと音を立てて開き、中から痩せて気難しそうな感じの老人が出てきた。老人は眼光鋭い目付きでゼウスを見ている。
「はじめまして。ゼウス・エヴァンズというものです」
ゼウスはこの強面の老人に臆することなくにこやかに話しかけた。この人がおそらくこの店の店主だろう。メリッサの職場の上司ならできるだけ気に入られておきたいという願望もあった。
「ああ、あんたのことなら知ってる。孫が面倒な用事を頼んだようで悪かったな」
「写真集ならメリッサさんに渡しておきました」
「そうか、ありがとう」
老人が少しだけ微笑むと顔の怖さが薄らいだ。彼は木箱を二つほど持ち上げて扉の向こう、おそらく階段下にある地下室に運ぼうとしている。
「手伝いましょうか?」
「ここから先は関係者以外立入禁止だ」
簡潔にそれだけ言われて断られたが、声音には優しさが滲み出ていた。老人はゼウスが木箱運びを手伝っていたことを理解していた様子で、これ以上は大丈夫だという言外の含みがあったような気がした。
「ゼウスさん」
背後から呼ばれて、ゼウスは瞬時に再び満面の笑みを浮かべて振り返った。
「すみません、全部運ばせてしまって」
「いえ、お役に立てたなら良かった」
「重かったですよね、本当にありがとうございます。何かお礼をさせてください。そうだ、今度ごは……」
そこで不自然に言葉が途切れる。
(『ごは……』の後は何だろう? 『今度ご飯にでも』ってこと? もしかして食事のお誘い?)
ゼウスは期待しながらメリッサを見た。
「……私、今ダイエットをしているので外食禁止なんでした。何か他にお礼できるようなことはありますか?」
渡りに船とはこのことだ。
追い風を感じる。
(運命だ。この人はたぶん俺の運命だ)
自身の運命論に後押しされたゼウスは、先程感じた躊躇いなど全て掻き消して、ポケットの中から人気舞台のプレミアチケットを取り出した。
ナディア(メリッサ)は獣人の里にいたので美形にわりと耐性があります。