4 エヴァンズ邸での出来事
ナディアとゼウスがノエルの転移魔法によって移動させられた先は、アテナがモデルで稼いだ資金で建てたエヴァンズ邸だった。
銃騎士たちから逃げている最中、ナディアは『この方が早いかも』とゼウスをお姫様抱っこして全力疾走していたが、処刑場広場の建物に入った瞬間に周りの景色が突如フッと変わり、気付けば室内にいた。
びっくりしたナディアはそのまま壁に激突しそうになったが、直前で目に見えない柔らかい空気の塊ようなものに包まれて、壁には当たらずに怪我をすることはなかった。
『驚かせてしまってすみません。私の転移魔法で二人をアテナの家まで飛ばしました』
ノエルの精神感応の声が聞こえてくる。室内にはノエルの依り代である黒い鳥が飛んでいて、その鳥はナディアとゼウスと共に転移魔法で処刑場から移動してきたらしい。
「あれ? ノエル? と、ゼウスと…… ナディアちゃん……?」
ゼウスの姉アテナの声が聞こえてきて、振り返れば、匂いで妊娠していることがわかるアテナと、それから、客室の寝台に寝かされて目を閉じているマグノリアの姿があった。
アテナは突然現れたナディアと、その腕にお姫様抱っこされている弟ゼウスの姿を見て、驚いているようだった。
そんなアテナの目が黒い鳥に固定される。
「ノエル! またろくな説明もしないでいなくなったわね! 『マグナは寝かせておけば大丈夫です』って言われても、心配だから、今マチルダさんに往診を頼みに行ってもらってるのよ!」
怒られたノエルの黒い鳥は、しゅん、と項垂れた様子だったが、アテナの近くまで飛んでいって肩に止まり、羽を休めた。
「……いいわ。緊急事態だったのね。私も怒りすぎてごめんね」
しばしの間が空いてから、鳥に向かってアテナが落ち着きを取り戻した口調でそう言葉をかけていた。たぶん二人にしかわからない何某かのやり取りがあったのだろう。
「ゼウスとナディアちゃんが現れたのはノエルの魔法?」
『そうです』
今度はノエルは精神感応で部屋にいる全員に言葉を返した。
それからノエルはまた魔法を使い、マグノリアの服の間から、依り代にも変化できる魔法使いの札をススッと動かして取り出した。
札は勝手に動き、マグノリアの頬や腕などの素肌を晒している部分に、ピタッと張り付いた。
「何してるの……?」
『マグナの魔力を回復させています』
アテナの質問にノエルが返す。札はしばらくすると端から塵になって消えていき、消えたそばからノエルが新たな札をマグノリアに貼り付けていく。
札が消えたのは札の魔力がマグノリアの中に移ったからなのだろうと、ナディアは何となく思った。
「姉さん、まずいことになった」
ゼウスはナディアの腕から降りると、ノエルがマグノリアの魔力を回復させている間に、『悪魔の花婿』だと疑いをかけられて、それを晴らさないまま処刑場から逃げてきたことをアテナに説明した。
「変な新聞記者が、俺とナディアの関係は一年前からあるだろうって言ってきたんだ。本当は『悪魔の花婿』だったのに、それを隠してるんじゃないかって。
あの場でナディアが裸にされて身体を調べられそうだったから、逃げてきたんだ。
姉さんごめん、俺はもうたぶん銃騎士ではいられない。ナディアを連れてどこかへ逃げる」
「どこかって、あてはあるの?」
ゼウスは首を振る。
「なら、隠れ家を使って。ゼウスには言ってなかったんだけど、こういうことになった時のために、潜伏できる場所をいくつか用意してあるの」
『行き先は、うちの父には秘密にしている場所でも良いでしょうか? 何が起こるかわかりませんので、念の為です』
国内に二つと、外国に一つ、アークに内緒にしている潜伏先があった。
「……ナディアはどうしたい?」
国内に留まるか、外国に行くべきか、逡巡している様子のゼウスは、ナディアに意見を求めてきた。
「私はどこへでも行くわ。ゼウスのいる場所が、私がいたい場所だから」
「ラブラブね」
『もし何か不都合があれば、後から場所を移動してもいいと思います』
「……」
ゼウスが選んだのは国内だった。ゼウスは理由は言わなかったが、外国へ行って身重の姉と遠く離れてしまうことを、ゼウスなりに懸念したのではないかと思った。
潜伏先が決定し、ゼウスとナディアを探しにここに銃騎士が乗り込んでくるのもまだ時間があるだろうと、ゼウスは逃亡の準備を始めた。
ナディアは身一つでここに来たのであまり準備もなく、マグノリアが眠る部屋で待っていたが、ゼウスは、姉の家にあるゼウス用の部屋に置きっ放しにしていた自分の私服に着替えたり、隠れ家の鍵やら当面生活に必要になるかもしれない食料や日用品など、鳥のノエルを使ってまとめさせた荷物をアテナから渡されていた。
ノエルは魔法で、ゼウスが独身寮に置いていたが後にアークによって銃騎士隊本部の牢屋に召喚された、例のトランクもこの場に出現させた。
『まさか拘束具も共に持っていくのか?!』と驚いたナディアだったが、開けてみると拘束具ではなくて、ナディアが一年前に逃走用に詰め込んだ荷物がそっくりそのまま入っていて、リンドから貰った退職金もそのまま入っていたので、これからの逃亡潜伏生活の資金になるだろうと安心した。
「…………ナディア?」
「あ、マグ。魔力が回復して目が覚めたのね」
客室でトランクの中身を整理していると、魔力切れのために寝台に寝かされていたマグノリアが目を覚ました。
しかし、マグノリアはなぜかナディアの名前を呼んだきり、驚いたような表情でナディアを見つめて沈黙している。
「どうしたの? 大丈夫?」
「ええ…… 私は大丈夫よ。ナディアが生きていて良かったわ」
具合でも悪いのかと思いナディアが小首を傾げて問いかけると、マグノリアはそう返事をして、ナディアをぎゅーっと抱きしめてくれた。
逃亡のための一通りの準備が済むと、マグノリアが目覚めたこともあり、潜伏先へはマグノリアが運んでくれることになった。
ノエルはアテナや、兄シリウスの様子が気掛かりなので首都に残るという。
「姉さん、これ、持ってて」
ゼウスは脱いで畳んだ銃騎士隊の隊服をアテナに差し出した。
「親不孝…… じゃなくて、姉不幸な弟でごめんね。銃騎士養成学校に合格した時、姉さんはあんなに喜んでくれたのにね。
でも俺は、銃騎士であることよりも、ナディアと一緒いることの方が大事なんだ。そのことに気付かせてくれた姉さんとノエルには感謝してる。
こんなことになっちゃって、本当にごめん。姉さんたちにたくさん迷惑かけるっていうのは、わかってるんだけど…………」
ゼウスの言葉の最後の方が尻すぼみになってしまう。『悪魔の花婿』であることを否定もせずに逃げ出してしまうことは、実姉であるアテナやゼウスの義兄になったノエルに、多大なる迷惑をかけることは簡単に予想がつく。酷い誹謗中傷の嵐に晒されてしまうかもしれない。
「私も…… 巻き込んで本当にごめんなさい」
「謝らないで。私自身が既にこっち側にドップリ浸かってるし、それに、ノエルが絶対に私のことを守ってくれるから、大丈夫よ。
私はね、ゼウスとナディアちゃんには思いを貫いてほしいって思うの。
こっちのことは心配しないで。むしろ、逃亡生活を送らなきゃいけないあなたたちの方が大変だと思うわ。見つかったら命はないかもしれない…… 必ず生き延びて、死なないでね」
言いながらアテナは涙ぐみ始めた。
「大丈夫。俺たちは死なないよ。姉さんたちこそ気を付けて……
姉さん、俺…… ノエルと別れろなんて、酷いこと言ってごめん。ノエルはすごくいい奴だよ。優しいし、世界一姉さんを愛してる。姉さんはきっと幸せになれるよ。
ノエル、姉さんをよろしく頼む。
姉さん、どうか身体を大事にして、生まれてくる子供も大事にしてね……」
ゼウスも泣きそうになってアテナに別れの言葉を述べていると、家の呼び鈴が鳴る音が聞こえてきた。
(来た!)
おそらくゼウスとナディアを探しにきた銃騎士隊の面々だろう。その場に緊張が走る。
マグノリアが、ノエルに教えられた潜伏先に繋がる転移用の魔法陣を出現させた。これを使えば目的地まで一っ飛びだ。
「名残惜しいけど、行きましょう。アテナ、久しぶりに会えたのにゆっくりできなかったけど、今度お茶でもしましょう。会えなかった間に溜まってる長い話がたくさんあるのよ」
「うん、楽しみにしてるわ。マグナ、二人をくれぐれもよろしくね」
「もちろんよ。任せて」
親友同士二人もまた、再会を誓い抱擁を交わし合った。
マグノリアはナディアとゼウスを促して魔法陣の中に入らせると、転移魔法を発動させてエヴァンズ邸から離れた。




