3 ゼウスの出奔
R15
ナディア視点→三人称
「エヴァンズ」
連れ立ってやって来た銃騎士のうちの一人が、ナディアの腰に手を回したまま離さないゼウスに声をかけた。
「その人は処刑予定だった獣人王シドの娘ナディアではないのか?」
単刀直入に聞かれてナディアは焦った。昨日は捕まって牢屋に入れられていて、自分の身に危険が迫っている自覚はあったが、今朝からはアンバー公爵家でお姫様のような待遇を受けていて、自身に処刑の危機があったことなどすっかり忘れていた。
(自分から処刑場にやって来てしまうなんて、考えが浅いにもほどがある……)
愛する人と相思相愛になれた幸せから一転、下手をしたら父のようにこの場で首を刎ねられるのかもしれないと、ナディアの顔からは一気に血の毛が失せていた。
そんなナディアの身体を支え、もう片方の手でナディアと手を繋いでいたゼウスの手に、ぎゅっと力が込もった。
必ず守ると言われているように感じて、ナディアはゼウスを頼もしく感じた。
「違います。彼女は長らく行方不明だった俺の恋人のメリッサです。先ほど奇跡的に再会を果せて、その喜びを分かち合っていた所です」
ゼウスは否定で返した。
「メリッサ」の戸籍はまだ生きているはずで、ナディアの身分の証明になるとゼウスは踏んだのだろう。
「メリッサ」であれば人間としてゼウスと一緒になれる。結婚して人間社会で共に生きていくことがゼウスの希望のようだ。
「エヴァンズ、正直に話せ。俺は昨日、獣人ナディアを捕縛する場面に同行していたが、間違いなく、その子は昨日捕まえた獣人のナディアだ」
ナディアはそう告げてきた銃騎士に視線をやった。
(そういえば、レイン・グランフェルが恐ろしい顔で列車の座席に剣を突き立てて私を捕まえた時、目の前のこの人も現場にいた気がする)
確信を持って証言する人物がこの場にいるとなると、「人間のメリッサです」説は通用しない気がした。
「収監中の獣人が逃げ出した上、銃騎士と懇意になっていたなんて大問題だ」
集団の中の別の銃騎士が発言する。
「まあ待て。ナディアの処刑は直前で中止になったんだ。その事情は何となく察せるじゃないか」
発言したのはユリシーズだ。ユリシーズは「ナディアは既にゼウスの獣人奴隷だった」と、全く認可も何も下りていないが、副総隊長ロレンツォに口裏を合わせてもらうように願い出ていた。
しかし話が終わる前に怪しむ銃騎士たちがナディアたちの元へ向かってしまい、話を切り上げたユリシーズは慌てて彼らを追いかけてここまでやって来た。
「銃騎士が獣人奴隷を持てるのは法できちんと定められている。総隊長がお決めになられたことを俺たちでは覆せない」
そこで、ノエルがナディアとゼウスの脳内に精神感応で語りかけてきた。
『ここは「獣人奴隷だった」という流れに乗った方がいいかもしれません。彼らの中には獣人に強い恨みを持つ銃騎士も混ざっています。暴動が起きかねません』
ノエルの声を聞いて、「銃騎士たちによる暴動が起こり騒ぎの中で自分の首が胴体とサヨナラして飛んでいく」または「何本もの剣で串刺しにされたり銃で身体に風穴を空けられまくって惨殺される」という恐ろしすぎる想像を頭の中で浮かべてしまったナディアは、気が遠くなりかけた。
「奴隷……」
ナディアはすぐそばにいるゼウスからの戸惑いの声を聞いた。
ゼウスは、ナディアを奴隷という酷すぎる立場には落としたくないようだった。
ゼウスのその思いを受けたナディアは、繋がれたままのゼウスの手を握り返した。
「大丈夫、奴隷でもいい。ゼウスと一緒にいられるならそれでいい」
ナディアはゼウスにしか聞こえないくらいの小声で呟いた。
二人は見つめ合う。
『いいの?』という心配そうなゼウスの視線を受けて、覚悟を決めたナディアはこくりと頷いた。
ナディアとゼウスは、「じゃあなんで人間だなんて嘘を」と一人が言い出して喧々囂々な雰囲気になりそうな銃騎士たちと、それを抑えているユリシーズに向き直った。
ゼウスが、『彼女は本当は獣人で自分の奴隷です』と言い出そうとした、その時だった。
「ちょっと、よろしいでしょうか」
ざわざわしている銃騎士だらけのその一角に、履き潰した靴とくたびれた外套を身に着け、重たい写真機を小脇に抱えた髭もじゃの男が割って入ってきた。
男はシドが暴れ出しても逃げることなくその場に残り続けていた新聞記者だ。
彼は『暗殺された時の宰相ラファエル・バルトは、銃騎士隊初代総隊長グレゴリー・クレセントになって生き延びている』という説を長年信じて取材している記者でもあった。
「先ほどから、そちらの女性はエヴァンズ氏の元恋人のメリッサ・ヘインズ氏であるとか、獣人王シドの娘ナディアであるとか、お話をされているようですが、同一人物ですよね?
彼女は獣人ナディアであり、一時期、エヴァンズ氏と熱い夜を何度も過ごしていたヘインズ氏でもある。違いますか?」
この新聞記者が言っているのは、正しくその通りなのだが、肯定してしまって良いものかわからず、ナディアは黙ってゼウスを見つめた。
ゼウスも突然現れた新聞記者を警戒しているようで、強張った表情で男を見つめていた。
「一年も前に既に肉体関係を持っておきながら、今更獣人奴隷でしただなんて、そんな理屈は通りませんよ。
銃騎士という特権を持つ者が権利を振りかざし、獣人奴隷ではなかった事実を覆い隠して既に奴隷だったことにするなんて、後付けで黒を白にするような行為、銃騎士として恥ずかしくないんですか?
『獣人奴隷制度』自体がおかしな法律だと私は思っていますが、通ってしまったものは仕方がない。悪法も法です。ですがその悪法をさらに悪用して、我々庶民を騙して馬鹿にするような行為は許されません。
この場ではっきり白黒つけましょうよ。
エヴァンズさん、あなた、『悪魔の花婿』ですよね?」
「なっ……!」
声を出したのはナディアだ。
『悪魔の花婿』――獣人の番になったと認定された男性――は、漏れなく処刑対象だ。
(何なのっ! ゼウスを『悪魔の花婿』と認めさせることで、この人はゼウスを殺したいのっ!?)
ナディアはゼウスと付き合っていた一年前、ゼウスと一つになりたい欲望に耐えて、涙を呑みつつ我慢して頑張ってきた。
色々と際どいことはしてきたが、合体はしていないし、現在まだ法律は辛うじて破っていない。
それなのに、この新聞記者が声高にゼウスの罪をでっち上げて、ゼウスを追い込んで殺そうとしているように思えてしまい、瞬間的に頭に血が登ってしまったナディアは、気付けば咄嗟に叫んでいた。
「私たちはヤッてません! 私はっ! 処女です! まごうことなき! ド処女ですっ! 処女膜ちゃんとありますっ!」
ナディアの叫び声の後、その場にシーンと、異様な沈黙が降りた。
「じゃあ、確認させてもらおうか」
銃騎士たちの集団の中にいた誰かが、そんなことを言った。
ナディアは、『望む所よ!』と声を張り上げようとしたが、それよりも先にゼウスに強い力で腕を掴まれて引っ張られ、ゼウスと共に走り出していた。
「駄目だ! ゼウス! 戻れ!」
後ろからユリシーズの声がする。ナディアも、逃げるのではなくて身の潔白を証明した方が良いのではないかと思ったが、ゼウスは足を止めない。
「エヴァンズ!」
「ゼウス! とにかく話を!」
「待て!」
背後から銃騎士たちが呼び止める声と足音が聞こえてくる。「話を!」と言っている人がいるから、問答無用で罰せられるわけではなく、こちらの言い分も聞いてくれるのではないかとナディアは思った。
「捕まえろっ! ゼウス・エヴァンズは『悪魔の花婿』だっ!」
声につられて振り返ると、新聞記者の男がこちらを指差し、非難の声を上げていた。
(何なのあの人っ!)
「ゼウス! 戻ろう!」
このままじゃ駄目だと思ったナディアは、脚に力を入れて止まろうとしたが――――
「駄目だ! ナディアがあの場で裸に剥かれて、処女かどうか確認されるなんて、俺は絶対に嫌だ!」
「えっ? う、嘘……」
処女確認に応じるつもりだったナディアは、少なくとも誰もいない部屋でお医者さんに確認されるものだとばかり思っていたので、自分の予想との乖離具合に絶句した。
「獣人には人権なんてない! 少なくともあの新聞記者は確認の場に自分も同席しようとするだろうし、証拠写真だって撮るかもしれない! 俺はそんなの絶対に嫌だ!」
ナディアだってそんなのは絶対に嫌である。
ナディアは止まらずに、ゼウスと共にこの場から逃げることを選んだ。
******
二人が処刑場広場を囲む建物の内部に入った所で、追いかける銃騎士たちにばれないよう、眠るシリウスを腕に抱いたままのノエルが、転移魔法を発動させて、ナディアとゼウスをこの場から逃がした。
しかし、まずいことになったかもしれない、と、ノエルもユリシーズと同様に胃痛を感じ始めていた。
〈状態まとめ〉
ヴィクトリア:『過去干渉の魔法』発動で処刑場から消えてます(獣人姫リュージュハピエン参照)
ジュリアス:魔力切れ気絶中
シリウス:強制睡眠中
ノエル:胃痛中
セシル:魔力切れ気絶中
アーク:静観中
レイン:混乱中
「ヴィクトリア! どこに行ってしまったんだ! ヴィクトリアーっ! アーク隊長! ヴィクトリアを探してください! えっ? 無理っ? ん? ゼウスの周囲がおかしいぞ! 何で逃げてる? 何があった! 何っ! ゼウスまで消えただと?! どこだゼウス! ゼウスーっ!」




