20 恋の芽 1
混沌とする最後尾から離れて、ナディアはパレードの進行方向に沿って進む。先程エリミナたちと別れた場所を通り過ぎてしばらく行くと、嗅ぎなれた匂いの人間たちがいるのに気付く。
もう少しでパレードの先頭に辿り着くという場所で、見知った少年少女が蹲まっていた。周りをその従者たちが取り囲んでいる。
何かあったのだろうかとエリミナを背負ったまま膝をついているアーヴァインに慌てて近付いた。アーヴァインは気温の寒さに反比例するかように汗をだらだらと掻いて頬が上気している。
「どうしたの? 具合でも悪いの?」
「あっ、メリッサ」
戸惑ったような顔でエリミナが振り返る。
「それがね、その――」
「大丈夫だっ、もう少しだから!」
エリミナが説明しようとする言葉を遮ってアーヴァインが気合いを入れ直すように声を上げ、立ち上がろうとする。
しかし膝が真っ直ぐに伸び切る直前にアーヴァインは崩折れてしまい、護衛が手を差し伸べるよりも早くナディアが手を出して彼がよろけるのを支えた。少し痛むのか彼は腰に手を当てている。
「ちょっと、大丈夫? 一回エリーを降ろしたら?」
ナディアの提案にアーヴァインは首を振る。
「もうちょっとだから! このくらいの距離を妻を背負って歩けないようじゃ夫なんて務まらない!」
そう言いながらも体力の限界なのか、アーヴァインは蹲ったまま肩で息をしている始末だった。
てっきりもう用事は済ませたのだろうと思っていたが、要するに、未だ先頭には辿り着けず、アーヴァインが途中で力尽きてへばっているようだった。
(無理しないで、アーヴァイン)
ナディアは自分が代わりにエリミナを背負って運ぼうかと思ったが、それだと夫の面目丸潰れなのかもしれない。
それに獣人だと疑われそうな行動はできるだけ慎んだ方がいい。女の子が同年代の少女を苦もなく担いでいたら、あれ? と思う者もいるかもしれない。
(たださえ一回やっちゃってるし)
「アーくん、私降りるよ」
「駄目だっ!」
「アーヴァイン様、力仕事は我々にお任せください」
「自分の婚約者が他の男に担がれている様をただ黙って見ていることなんてできるかぁ! 俺は強い男になるんだ!」
「しかしアーヴァイン様、人には向き不向きがございまして……」
確かにアーヴァインは小柄で線が細く、見た目通りあまり体力的なことが向いているようには思えない。もしかすると同年代の女子よりも力が無いんじゃないだろうか。
アーヴァインは男にしてはあまりにも華奢で可愛らしい顔付きをしているので、女裝させたらよく似合うんだろうなとか変なことまでナディアは考えてしまったこともある。
アーヴァインは上級学校では常に上位に食い込む秀才ぶりを発揮しているのだが、勉学は出来ても運動音痴で、体育の成績だけはいつも底辺を彷徨っていると聞いたことがある。
アーヴァイン自身は運動関係がからっきし駄目なことにコンプレックスがあるらしく、今もエリミナを運ぶのをやめる説得に応じないのは意地になっているせいもあるようだった。
「アーくん……」
背負われたままのエリミナがアーヴァインに声をかけた。
「私のために一生懸命ありがとう。アーくんが頑張ってくれてすごく嬉しいよ。だけど、無理はしないで。アテナ様本人がいないのにゼウス様に頼むだなんてちょっと無理があったかもしれないし、私のわがままに付き合わせてごめんね。今日は人も多いし、もういいの」
アーヴァインが何か言うよりも早く、エリミナがアーヴァインの耳元に形の良い艶々の唇をさらに近付ける。
「それに、腰を悪くするとしばらく出来なくなっちゃうよ」
エリミナは口元を手で覆い隠しながら小声で言ったので、周囲の喧騒もありナディアや護衛たちには何を言ったのか聞こえなかったが、アーヴァインは手で顔を抑えた。
真っ赤になったアーヴァインの手の隙間からかなりの量の赤い滴りが落ち始めていて、彼は鼻血を噴き出しているようだった。
「ア、アーくん大丈夫?!」
エリミナや護衛たちも慌て出し、ハンカチなどでアーヴァインの鼻を抑えている。
(何やってるのよ、アーヴァイン)
アーヴァインの体調急変が理由となり、一行はパレードの観覧は中止してエリミナの自宅に戻ることになった。ぐったりしたアーヴァインは今度は背負う側から立場が変わって護衛に背負われている。エリミナは護衛に運ばれるのを断り松葉杖を突いて自分で歩くと言った。
「お嬢様、サインを貰いに行かれるのでしたら二手に別れますがどうしますか?」
アーヴァインはこのままエリミナの屋敷に行くそうだが、護衛は数人いるのでエリミナだけでもパレードの場に居続けることはできる。
「いいえ、私もアーくんと一緒に帰るわ」
「わかりました」
アーヴァインを背負った護衛が歩き出して、エリミナとナディアもその後に続く。
「本当にサインを貰わなくてよかったの?」
歩きながら、ナディアが隣のエリミナに尋ねる。
「うん。サインよりもアーくんの方が大事だからいいの」
エリミナは少しだけ残念そうにしていたが、はっきりとそう言い切った。
ナディアは少し考えを巡らせるように沈黙した後、エリミナにこう告げた。
「私が代わりに頼んできてあげようか?」