3 魔王の心臓を掴んだ女
ナディアがハッと目を開けた時には、仰向けの状態で寝台の上に寝そべっていた。
ナディアがいるのはブラッドレイ家の、オリオンことシリウスの部屋――そもそもの最初にシリウスの存在を認識して、彼に襲われかけた場所――だった。
自分は処刑場にいたはずなのになぜここにいるのだろうと不思議に思った所で、いきなり、ガツンと頭が殴られたような衝撃と共に、記憶が流れ込んできた。
意識を失う直前、ナディアはゼウスに銃で胸を撃ち抜かれて倒れ、薄れ行く意識の中で自分を愛してくれた二人に対して色々と後悔していた。
ゼウスは狙撃に関してはとんでもなく的確な腕前を持っているので、あの時自分は確かにゼウスに心臓を撃ち抜かれていたのだと思う。
(あのまま死んでいてもおかしくない状況だったけど、死なずに助かったということ?)
元々あったその記憶とは別に、衝撃と共に頭の中に流れ込んできたのは、あわやの所でゼウスの銃には撃たれなかった記憶だ。
ナディアはヴィクトリアの元に向かって走っていた途中で、いきなり横に現れたシリウスに腕を掴まれて身体を引っ張られた。
直後にゼウスの放った銃弾が身体の横を掠めていき、ナディアはそのままシリウスの転移魔法で処刑場から消えたのだ。
撃たれた記憶と撃たれていない記憶がナディアの中に同事に存在していて、一体どちらが本当なのかとナディアは混乱した。
おまけに、シリウスと共に転移魔法で処刑場からどこへ向かったのか、その後、なぜシリウスの部屋の寝台に横になっている流れになったのか、そこら辺の記憶はごっそりと抜け落ちている。
「シーちゃん!」
辻褄の合わなさ具合にナディアが首を捻っていると、階下から女性の叫び声が聞こえてきた。声の主はシリウスの母ロゼだ。
緊迫感を孕んだその声に何か大変なことが起こったように感じたナディアは、自分の身に降りかかっている奇妙な現象について考えるのは一旦放棄して、急ぎロゼの元へ向かった。
ロゼが出産した部屋に入ると、床に倒れているシリウスをロゼが抱き起こしていた。
生まれたばかりの赤子――ジークオルトと名付けられる予定と聞いている――が寝かせられている寝台上には、シオンとレオハルトも横になっている。
ジークオルトはおくるみの中で動いていたので起きているようだが、シオンとレオハルトの二人は意識がない様子だった。
シオンとレオハルトはただ眠っているだけにも見えるが、寝台ではなくて床に倒れていたシリウスの顔面は真っ青で血色がなく、すぐにでも死人の仲間入りをしてしまいそうだった。
「オリ―――― シリウス!」
ナディアは呼び慣れていた彼の名前を叫ぼうとして、すぐに訂正した。
本当の名前で呼んでほしいというのが彼の望みだったからだ。
ナディアもロゼに倣ってシリウスのそばに駆け寄った。ナディアが近付くと、ロゼは腕の中にいたシリウスを丸ごとナディアに明け渡してきた。
「死んじゃ駄目! シリウス! 私まだあなたに返事してない!」
意識を失う前にした後悔が再びナディアの胸に押し寄せてくる。
シリウスが生きてくれることを願ってしがみつくように彼を抱きしめていると、部屋の中に人の気配が増えた。
転移魔法で現れたアークだった。
家の外に張っていた結界は、シリウスが昏睡状態になった為に維持できなくなり、自然と崩れていた。
ナディアはアークに構う余裕がなかったので振り向かなかったが、アークの全身から自分に向かって物凄い殺気が飛んできているのは、背中ごしに感じていた。
「殺しちゃ駄目よアーちゃん!」
ロゼが叫んだのと同時に、アークの火魔法によって部屋の壁が破壊されて黒焦げになった。衝撃音にナディアはようやく顔を上げて振り向いた。
ロゼは出産後でまだ安静にしていた方がいいと思うのに、シリウスを腕に抱くナディアを庇うように、剣呑な表情でこちらを睨んでいるアークとの間に立ちはだかっていた。
たぶんアークは本当はナディアを攻撃したかったのだと思うが、シリウスとロゼがいてそれが叶わず、壁に向かって八つ当たりをしたのだろう。
「なぜ庇う! とんだ疫病神だ! あのまま捨て置けばいいものを! この女を蘇らせたせいでシリウスは死にかけているんだぞ!」
「そんなことないわ! シーちゃんが言っていた通りこの子は女神様だったのよ! 難産で赤ちゃんがなかなか生まれなくて苦しんでいた時に、まるで救世主のように現れて、私たち母子を助けてくれた恩人なんだから!」
ロゼの訴えを聞いたアークはしばしの沈黙の後、険を含んだ表情を急に消し去り、いつもの無表情に戻った。
「なるほど」
そう言った後、アークは怪我をしていない方の腕を動かすと、手のひらをこちらに向けてきた。何をするつもりなのかとナディアは身構えたが、特に何も起こらない。
「俺の魔力のほとんどをシリウスに移した。しばらくは保つ」
言われて改めてシリウスを見れば、顔に血色が戻っていた。最悪な状況からは少し遠退いたようでナディアはホッとした。
「ありがとう」
「え?」
アークの低い美声にお礼を言われてナディアはびっくりした。絶対にアークがナディアに言わなそうな言葉だったからだ。
「お前が出産に介入しなければ妻も子も死んでいただろう。最大限の感謝を送る。 ――――それから、すまなかった」
謝られて、南西列島での出来事とか、昨日の留置所での諸々のことだろうかと思った。
「お前たちの結婚を認める。すぐにシリウスと番になれ。シリウスの命を救うには、たぶんもうそれしかないだろう」
結婚。確かアークはナディアとシリウスの結婚には大反対の立場を貫いていると聞いていたが、ここにきて意見を変えてきた。




