34 出産
陣痛シーンや出産途中の様子がありますので注意
「ママーっ!」
「あっ! レオ! 邪魔になるから外に出てろって言ったのに!」
レオハルトが素早い動きで少年の脇を通り過ぎ、部屋の中の女性――おそらくブラッドレイ兄弟の母親であるロゼ――の元へ向かう。
ロゼがいる寝台のそばにはもう一人、灰色の髪を長く伸ばした五、六歳くらいのやはり美しすぎる少年がいた。髪が長いのとなぜかスカートを履いているので見た目は完全に女の子だが、雄である。
レオハルトを追いかけている少年がブラッドレイ家五男のカインで、髪の長い子が六男のシオンだろうと、ナディアは以前オリオンから聞いていた家族情報からあたりをつけた。
「カイ! お産の状況はどんな感じだ?」
オリオンがカインに尋ねながらどこか慌てたように部屋の中に入っていくので、ナディアも後に続いた。
「何時間か前からもうずっと陣痛で苦しみっ放しだよ。魔法で痛みは取ってるけど、赤ちゃんの方が弱ってる感じがして全然出てこない」
「赤ちゃんにも回復魔法を何度もかけてるけど、良くなってもすぐに元気がなさそうになって……」
カインの後にシオンが言葉を続ける。カインだけではなくてシオンも魔法が使えるようだ。
「駄目…… また来そう……」
兄弟たちが話していると、寝台に仰向けに寝ていたロゼが弱々しい声を上げて、寝台の横に備え付けてあった金属製の手すりを掴む。普通寝台にこんなものは付いていないから、出産用に用意したのだろう。
「もう来るの? さっき陣痛の波が来たばかりなのに……」
「感覚がすごく短くなってるってことね」
シオンの言葉にナディアが口を挟む。
そうこうしているうちに、ロゼが唸り声を上げ始めた。ロゼの掴む金属製の手すりが、折れるのではないかというくらいに軋んだ音を立てている。ロゼは壮絶な叫び声を上げながら痛みに耐えていた。
相当痛そうだ。この感じだと陣痛の末期かもしれない。
ナディアは里で何度もお産の手伝いをしたことがあったので、だいたいの流れは把握していた。
「マ、ママーっ! ママーっ!」
ロゼの尋常ではない叫び声に、そばにいたレオハルトが取り乱した様子で号泣している。
「大丈夫だよ! すぐに痛みを取るから!」
焦った様子のカインが何かの魔法をかけたらしく、ロゼの身体が光に包まれた直後に、叫び声はすぐに収まった。
ロゼの大きく膨らんだお腹を含む下半身には薄掛けが掛かっているが、痛みがなくなった状態でも、腹部が強く収縮している様子が布の上からでもわかった。
「お母さん! 頑張って!」
シオンが手を握りながら励ましている。ロゼも息んでいるようだが、赤ん坊は出てこなかった。
しばらくするとロゼは息も絶え絶えな様子でぐったりとしてしまった。
「こんな感じで、頭がもう出かかってるのは透視の魔法でわかってるんだけど、なかなか出てこなくて、進みが悪いんだ…… えーと、回復しないと……」
カインがそう言ってから手をかざすと、再び淡い光が現れてロゼの身体を包み込んだ。ナディアもオリオンやマグノリアが回復系の魔法を使っている場面は見たことがある。これは光魔法の一種だろう。
光が消えた。ロゼの体力は回復したようだが、以前として呼吸は荒い。光魔法は体力は元に戻せても、急激な変化に身体がついていかずに効果が薄いこともある、とマグノリアから聞いたことがある。
オリオンはカインとまた何事かを話し始めていた。
室内にいるのは家族だけで、医者や産婆の姿はない。獣人の出産は、激しい痛みによって妊婦がものすごい力で暴れることがあるので、きっと正体を隠すために外部の者を同席させられないのだろうと思った。
「あの…… 差し出がましいようですが、私もお産のお手伝いをさせてもらってもいいですか? 何度か出産の手伝いをした経験があるので、お役に立てると思います」
ナディアは少し虚ろな目をしているロゼに話しかけた。
「あなたは…… シーちゃんのお嫁さんね……」
嫁ではない。が、込み入っている時に細々としたことを話すこともないだろうと、ナディアは否定しないでおいた。
「奥さん、少し下を見させてください」
ロゼから了承の返事をもらえたので、ナディアはオリオンに手の浄化の魔法をかけてもらってから、オリオンたちには見えないようにして状態を確認した。
頭はもう出かかっているという話だったが、現状では赤子の頭は見えなかった。
やったことないけど、触診してみるべきだろうかとナディアは思った。獣人女性は、番以外にそこを触られることを極端に嫌がるのだが、オリオンの父はこの場にはいない。痛みが来て訳がわからなくなっている隙にやるしかない。
「来るわ……」
陣痛の波が来ると―― 赤子の頭が見えた。陣痛が来ている間だけ見えるようだ。
お産の進み具合がわかったので、ナディアはやったことのない触診をしなくて済みそうだと少しほっとした。
「母さん!」
カインの声が聞こえて、またロゼの身体を光が包み込むが、出かかっていた赤子の頭は引っ込んでしまった。
(これは…………)
今回の陣痛の波でもお産はたいして進まなかった。
「ねえ…… 次は、痛みがなくなる光魔法を使わないでみてくれる?」
「えっ、でも! すごく痛がってるから、魔法がなかったら死んじゃうよ!」
カインが驚いたように答えている。
「うん、痛いのはわかるんだけど…… 魔法がかかった途端に赤ちゃんの頭が引っ込んじゃったのよ。奥さん、いいですか?」
ナディアは最後はロゼに向かって話しかけていた。
カインによれば、ロゼは以前も痛みを緩和しながら何度も安産を果たしているそうだ。
しかし今回の場合は、魔法を使わずに自然に任せた方が上手く行くのではないかと思った。
「……いいわ。この子も苦しいだろうから、早く生んであげたい…………」
ロゼの了承も取れたので、ナディアは声を張り上げた。
「いい? 次は魔法を使っちゃ駄目よ!」
カインとシオンは不安そうにしていたが、オリオンが「わかった」と信頼を寄せる瞳で了承してくれたので、その影響か残りの二人も頷いてくれた。
そのうちに陣痛の波が来て、ロゼが苦しみ出す。
「母さん!」
「母さん頑張って!」
「お母さん!」
「ママーっ!」
息子たちの声を聞きながらロゼも息む。
頭が出てきた。先程よりは頭の位置がぐぐっと進んでいる。いい感じだ。しかし――――
「マ、ママーっ!」
レオハルトの声と共にロゼの身体が再び光に包まれ―― その結果、頭が元に戻ってしまった。
(誰だ魔法を使ったのは!)
怒りにくわっと目を見開きながら視線をやれば、兄弟たちの目が驚いたようにレオハルト一人に向けられていた。
「レ、レオが! レオが魔法の力を覚醒させた!」
魔法の素質のある者は『覚醒』することで魔法が使えるようになるらしい。素質があっても『覚醒』を一生起こさない者も多いので、魔法が使えるようになるのはほぼ奇跡と言っていい。
苦しむ母親を助けたい一心で『覚醒』という奇跡を起こしたレオハルトに、おおーっと兄弟たちの間でどよめきが起こるが――――
「邪魔ァ! 男共は全員この部屋から出て行きなさいっ!」
び、びぇぇぇん!
堪忍袋の緒が切れてしまったナディアの叫びに、ロゼの息子たち三人は慌てて部屋から出て行った。
たった一人、オリオンを除いて。
「ナディアちゃん格好良い♡ 好き♡」
オリオンの恋心はこの程度では揺るがなかった。
「う、生まれた!」
「良かったぁ!」
「ママーっ!」
扉の外からオリオンの弟三人の歓喜の声がする。
ナディアの腕の中では取り上げたばかりの男児が元気に産声を上げていた。ロゼも泣きながら生まれたばかりの我が子を見つめている。
色々あったが母子共に無事なようで良かった。
「ナディアちゃん、ありがとう…… 俺も弟の出産にはほとんど立ち会えてなかったから、正直あまり勝手がわからなかったんだ。母さんと弟が助かったのは君のおかげだ。ありがとう」
「そんな、大袈裟だわ」
ナディアにしてみれば、知っている知識を総動員させてお産を手助けしたにすぎない。本当に頑張ったのはロゼだと思う。
「わあ、可愛い!」
「弟ーっ!」
扉が開いて外にいた兄弟たちが中に入ってくる。彼らはわらわらと生まれたばかりの赤子に群がってきた。
カインが魔法で赤子の身体を綺麗にしてから、おくるみで巻いて横たわるロゼに抱かせた。
「可愛い…… 生まれてきてくれてありがとう……」
赤子を抱きしめながら感激して涙が止まらない様子のロゼのそばには、やはり笑顔のカインがいて、シオンもレオハルトも嬉しそうにしながらそばに寄り添っている。幸せそうな母子たちの図がそこにあった。
『ナディアちゃん、本当にありがとう』
オリオンが泣きそうな声でナディアに告げてくる。なぜか伝える手段が精神感応だが、続く言葉を聞いて、その内容が他の家族たちには知らせたくなかったからだと理解した。
『実は俺、「未来視」って特殊能力に目覚めたばかりなんだけど、その能力でこの出産が死産になる未来を見たんだ。
途中で母さんの容態が急変して、母さんを助けるためにカインが弟を殺してしまうんだけど、それも間に合わなくて、結局両方死んでしまう未来だった…………
回避できたのは君のおかげだ。本当にありがとう』




