33 宣言
ナディアはオリオンと共にアンバー公爵家の庭を歩いていた。
先程オリオンに手を取られて歩き出した時のまま、ナディアは彼と繋いだ手を何となくそのままにしていた。
繋いだオリオンの手の温かさで、処刑される父のことを思い出して泣いた心が、少し癒されるように感じられたから。
隣を見れば、いつもの少年姿ではなくて、天空の青年神のような本来の神々しき美貌を持つ姿に戻っているオリオンがにこにこと微笑んでいて、とても機嫌が良さそうだった。
彼の全身から幸せな雰囲気が滲み出ていて、まるで春の盛りのような麗らかな空気感を全身で体現している。それが周囲にも広がっていくようだった。
「幸せ♡」
オリオンの呟きにナディアは無言になってしまった。オリオンと行動を共にすることにしたのは生き延びるためであって、彼と番になることを了承したわけではない。オリオンもそれはわかっているはずだが、まるでこの世の天国です、みたいな様子のオリオンを見ていると、申し訳なくなる。
自分への『番の呪い』――正式な番ではないにも関わらず相手を番だと思ってしまうこと――にかかっているオリオンに「待て」をするのは酷な話だと、彼と同じく獣人であるナディアも理解しているつもりだ。
とにかく命の危機を脱したら、早いところ決着をつけて答えを出さなければ、とナディアは思った。
「これからどうするの?」
ナディアは内心で様々なことを考えながら、オリオンへの言葉かけとしては無難な話題を選んだ。
「今どこへ行こうかなって色々考えてるんだけど、ナディアちゃんを殺したがっている奴らからは極力離れた方がいいから、できるだけ遠くがいいかなって思ってる。
とりあえず、ほとぼりが覚めるまではこの国からは出た方が安全かな」
「そう…………」
オリオンの言葉を聞いてナディアが最初に思ったことは、ゼウスとはしばらく会えなくなるな、ということだった。
そんなことを頭の中で考え始めていると、隣のオリオンがぴたりと足を止めた。
どうしたのだろうと見上げれば、オリオンは顔から微笑みを消して真顔になっていた。オリオンは色素の薄い灰色の瞳でナディアをじっと見つめている。
「…………ナディアちゃん、俺ね…… ナディアちゃんが何を考えているのかだいたいわかるよ。ちょっとした表情の変化とか仕草とか、声の調子とかでなんとなく推察できるんだ。伊達に七年も番やってないからね。
君が何を思っているのか、誰を心に住まわせているのか、俺はもうわかっているよ。俺は君の気持ちが手に取るようわかるんだ。君があいつを俺よりも愛していることが…………」
「オリオン……」
「申し訳ないって思わなくていいよ。それでもそばにいたいって言ったのは俺だから。
でも俺、諦めたわけじゃないから。いつかナディアちゃんをこっちに振り向かせて、俺だけを見つめてほしいなって思う。
前みたいに無理矢理どうにかするつもりはないから安心して。今は下手なことやってナディアちゃんに嫌われる方が怖いから。
絶対に正攻法で落としてみせるからね! 俺は必ずナディアちゃんの心を鷲掴みにして最愛の番になってみせる! 覚悟してね!」
そう宣言したオリオンは既に悲壮感を消していて、美しすぎるその顔に女性を百人くらい気絶させそうな、煌びやかすぎる極上の笑みを浮かべていた。
オリオンは元から色気満載男である。美形慣れしているはずのナディアも、口説かれて流石にドギマギしてしまった。
ナディアが何て言葉を返そうかと焦りながら考えていると、ナディアを見ながら満面の笑みになっていたはずのオリオンが、急にハッとしたような顔になった。何もないはずの空間の一点を凝視している。
「ごめんナディアちゃん! 駆け落ちの前に行かなきゃいけない場所ができた!」
様子がおかしいのでどうしたのかと思っていると、突然叫んだオリオンがナディアの手を再度強く掴んできて、そのまま瞬間移動した。
やって来たのはオリオンの実家だった。
ナディアは一度だけ、そう、最初にオリオンに里から連れ出された時に来たことがあったので、わかった。
ナディアたちが立っているのは家の廊下で、すぐそばには扉があり、扉にへばりつくようにして白金髪の幼い子供が泣いていた。
その男の子はすぐにナディアたちの気配に気付いたようで、バッと振り返った。
とんでもない美形が―――― まだ幼児なのにとんでもない美形がそこにいた。
幼児はオリオンと同じ灰色の綺麗すぎる瞳に涙を湛えていて、守ってあげたいような、なんともいえない庇護欲を猛烈に掻き立させてくる。
泣いている所で申し訳ないが、写真を撮って額縁に入れて飾っておきたいくらいの美しさだ。いっそ拝みたい。
「に、兄ちゃん!」
男の子は、びえーん! と号泣したまま近付いてきて手を広げると―――― オリオンではなくて、その隣にいたナディアの胸の中に飛び込んできた。
「えへへ、おっぱい…………」
泣いていたはずなのに、今や幼児はナディアの胸に頬ずりしながら、美しい顔でニタニタ笑っていた。ちょっと将来が心配だが、可愛いすぎるので、「ま、いっか」という気分にナディアはなっていた。
「レオ…… レオハルト……」
ゴゴゴゴゴ…… と地響きでも伴いそうな黒い圧と共に、隣にいるオリオンが怒りを含んだ低い声で幼児の名を呼んだ。幼児の名はレオハルトというようだ。確かオリオンの一番下の弟の名前だったはずだ。
レオハルトはオリオンに首根っこを掴まれて引き剥がされた。
「えーん、おっぱいちゃん!」
「おっぱいちゃんじゃない! ナディアのおっぱいちゃんは俺だけのおっぱいちゃんだ!」
どっちもどっちな会話をしながらオリオンがレオハルトに厳しい目を向けていると、閉じていた扉が開いた。
「シー兄さん!」
現れたのはやはり今度もオリオンの弟のようだ。十歳前後くらいに見える灰色の髪と瞳の、美少女、もとい美少年だ。匂いでわかるので性別を間違えることはない。
しかし少年の身体からは獣人ではなくて人間の匂いがしている。オリオン含めてジュリアスやノエルなどの他の兄弟たちもそうだったが、獣人とばれないように常に気を使い、魔法で匂いを変えているようだった。たぶんこの子も魔法が使えるはずだ。
そういえば、セシルだけは最初に出会った時には匂いを変えずに現れたが、あれはナディアにわからせるために意図的にやったのだろうと思った。
「来てくれて良かった! お産がいまいち上手く行かなくて、どうしようって思ってたんだ!」
少年が出てきた部屋の中に目をやれば、寝台の上に、妊婦と思しき白金髪に碧眼の美しすぎる女性が横になっていた。しかし全力疾走した後のように呼吸が荒く、ぐったりとした様子で少し顔色が悪そうだった。