32 約束
ブラッドレイ家の過去話です
R15、鬼畜要素あり
アーク視点→ジュリアス視点
夜半――――
アークは自宅のリビングにある暖炉の前で一人、椅子に座りながら燃える炎を見ていた。
彼の手中には小さくて透明な容器があった。アークが揺らすと中に入っている液体も揺れる。
これは毒薬だった。体内に入れると苦痛なく安らかに死を迎えることのできる毒薬だ。銃騎士隊二番隊に所属するアークは、この薬を簡単に入手することができた。
夜、アークは第四子を妊娠中の妻と、三人の息子たちに眠りの魔法をかけた後、注射器を使って毒薬を次々に彼らの身体に注入していった。
今頃は毒薬が身体中に回り、苦しむことも悲しむこともなくあの世へと旅立っていることだろう。
殺害に使用した注射器類は、既に暖炉の火の中に投げ入れている。最後に残っていた毒薬入りの容器を火に焼べてしまえば、証拠は全てなくなった。
もっとも、使用した道具類を個別に燃やした所で、最後はこの家自体を燃やしてしまうつもりだったから、結局は何もかもが焼けてしまい、遺体すら灰と化すだろう。
アークがほんの少しの魔力を使っただけで暖炉の火の勢いが増し、火が暖炉の中から飛び出して周囲の壁や床が燃え始める。家中に引火性の燃料を撒いてあるから、すぐにあたり一面が火の海になるだろう。
魔法使いのアークが家を燃やすのに魔法を使わなかったのには理由がある。術者自体が死んでしまうと、魔法の効力が失われて火が消えてしまうからだ。
アークは最後の仕上げとばかりに取り出した拳銃を自らのこめかみに当てた。
一家心中と、全てを炎の中に消してしまうこと。それがアークの計画だった。
家族を殺して自分だけが生き残る選択肢はアークの中には存在していなかった。
心中を企てた理由は、ひとえにアークの心が耐えきれなくなったことだ。
普段から無表情でいることが多く、そのせいもあって鬼畜だとか心臓に毛が生えているなどと言われることの多いアークだが、中身は普通の人間だ、と自分では思っている。
これ以上、裏切りを続けることに限界を感じてしまった。
銃騎士隊の仲間たちが日々獣人との戦いで死んでいく中、自分はその獣人を次々と誕生させて育てている…………
愛を無くしたわけではない。妻と子供たちへの愛情は今でも変わらない。
妻のロゼ――元々の名前はジュリアというが人間として暮らすために名前を変えさせた――に手を出したのは、最初こそは性欲解消のためだった。しかし次第に愛してしまい、気付けばいなくてはならない存在になっていた。
アークは取っ付きにくい印象のせいか銃騎士になってもあまりモテなかった。気になった女性が出来ても、過去の男関係が知りたくなり魔法で探った結果幻滅することの繰り返しで、ロゼと出会うまでは誰とも付き合ったことがなかった。
ロゼはアークがそれまで出会った中で人間も獣人も含めて一番美しい容姿をしていた。おまけに男性経験が一切ない生娘だった。理想的な美少女の登場に、眠っていた欲が動いた。「死にたくなければやらせろ」と脅して無理矢理暴いた。
出会った当初はそれでも所詮は獣人だと思っていたので、飽きたら始末するつもりだった。だから避妊はしていなかった。その結果ロゼは最初の子供――――ジュリアスを身籠ってしまった。
妊娠がわかった時にはもう愛していたから、人間に擬態させて所帯を持った。
子供は一人だけにするつもりだったのに、夫が大好きすぎるロゼにアークは何度も襲われた。それはまるで最初の襲い襲われの関係が逆転したかのようだった。
子ができないような魔法は使っていたつもりだったが、獣人の底無しのような体力に精を搾り取られて気絶してしまえば効果は無くなる。
ロゼとの攻防の末、三年に一度は子を妊娠してしまう状態になっていた。ロゼはまだ若く、この先何人の獣人が生まれてしまうのかと考える度に胃が痛くなった。
結婚当初は獣人を嫁にすることに罪の意識もあったが、そこまで深刻なものでもなかった。そばにいたいという気持ちの方が強かった。ところが、時間が経ってみれば想像以上に心が蝕まれていたことに気付く。
ロゼを愛したことに後悔はないが、この愛は間違っていた――――――
アークは最後に、殺してしまった妻と息子たちに心の中で詫びながら、失意の中で拳銃の引き金を引いた。
カチッ――――
ところが、銃からは乾いた音が聞こえたのみで、弾は発射されなかった。
「父さん……」
燃え盛っていた部屋の炎が突然鎮火した。真っ黒焦げになっていた壁や床も、不思議な力で元に戻っていく。
アークは殺したはずの長男ジュリアスが部屋の入口に立っていることに驚く。
ジュリアスは血の繋がった実の息子ではあるが、平凡顔の自分から生まれたとはとても思えないような、性別不明な美しすぎる魅力を持つ子供だった。
ジュリアスの容姿は既に八歳で最高傑作の位置にいた。ロゼ譲りの白金髪は絹糸のように美しく手触りも最高で、こちらを見つめる紺碧の瞳は悲しみを湛えていても至極の宝石のようである。
天使が舞い降りたかのような顔の造形は何度見ても飽きないし、できることならジュリアスの涼やかな少年の声を子守唄にして死にたいと思う。
ジュリアスの何もかもが愛おしい。ジュリアスの吐き出す息すら身の内に吸い込んで永遠に時を止めたい。
アークはジュリアスを小さくして常に持ち歩きたいという願望も持っていた。
実は一度だけやったことがあるが、本人に嫌がられてそれっきりだった。代わりに何度か五歳になる次男のシリウスを持ち歩いたこともあったが、ロゼとジュリアスに見つかって以降は一切禁止になった。
ならばノエルだ、と拐かそうとしたら、今度はギャン泣きされて全力で逃げられた。ノエルに問答無用で拒絶された時には、アークの目にも薄っすらと光るものがあった。
わかりづらいがアークは息子たちを溺愛していた。
ジュリアスへの重い愛と同じものをアークは家族の一人一人に対して持っている。
(本当は殺したくなかった)
佇むジュリアスを見たアークは一瞬、ジュリアスが亡霊として蘇ったのかと思ったが、そうではなかった。
ジュリアスは握り込んだ拳をアークに向かって突き出していた。ギリ、ギリリ……と金属が軋む音がして、ジュリアスが拳を開いた時には、ひしゃげた銃弾の破片と、砂状になった弾丸の一部がパラパラと床に落ちた。
並の人間なら無理だが、獣人であれば子供でもこのくらいは可能だ。
「銃の中身は抜いたよ……」
拳銃に銃弾が入っていたことは確認済みだった。ジュリアスが魔法を使って直前で銃弾を取り去ったのだろう。
「父さんが俺たちに打った毒も全部無害な成分に変えておいたから、全員生きてる」
ジュリアスはアークによる家族の殺害計画を事前に気付いていたようだった。
ジュリアスの全身からは、深い悲しみと同時に怒りも感じられる。
それでも自分よりもよほど出来た人格を持つジュリアスは、怒りを抑えながらも淡々と言葉を紡いだ。
「父さん、俺が全部変えてみせるよ。獣人と人間がお互いを殺さずに生きていけるような世界を俺が作るよ。だからまだ諦めないでよ。
約束するから。獣人と人間が平和に生きていけるような世界を俺が必ず作るよ。だから、だから………………
だからお願い。俺たちを殺さないで――――」
******
父の自殺を止めたジュリアスは、弟たちと共用である子供部屋まで戻ってきていた。
すぐ下の弟シリウスは起きていた。シリウスはぐっすりと眠っているまだ二歳前のノエルを抱きしめながら、慟哭していた。
眠っているからとそのままにしていたが、既に魔法の使えるシリウスは、父の凶行に気付いてしまったようだった。
「……兄さん、ノエには絶対に気付かれないようにしよう。可哀想だよこんなの。あんまりだ」
ノエルはまだ魔法は使えないが素質はある。魔法が使えるようになれば、そのうちに何かのきっかけで気付いてしまうだろう。
せめて大人になるくらいまでは、今日起きたことはノエルや生まれてくる弟には隠しておこうと、ジュリアスはシリウスと話し合って決めた。
「にいたん……」
話し声で目が覚めてしまったのか、シリウスの腕の中のノエルが身じろぎしながら瞼を開けて、舌足らずな声で兄を呼んだ。
「シーにいたん、なかないで……」
すぐそばにいるシリウスの顔が濡れていることに気付いたノエルが手を伸ばして涙を拭う。
「だいじょうぶだよ。ノエがそばにいるよ」
シリウスは気落ちした状態だったが、それでもシリウスが一つ頷くと、安心したのかノエルは天使のようにふわりと笑ってまた寝てしまった。
「……兄さんにも僕がついてるから。父さんとの約束を守れるように、僕も頑張る」
「ありがとう。
――――俺もずっとシーのそばにいるよ」
今度はシリウスがジュリアスの目尻に滲む涙を拭ってくれたから、ジュリアスもそう返した。
兄弟は深い悲しみを慰め合いながら、互いの絆を確かめ合った。
けれどこの事件をきっかけに、幼いながらも元々アークに少し思う所のあったシリウスとは違って、信じて愛していた父親に殺されかけた衝撃を受け止めきれなかったジュリアスは、確実に心の中に闇を作り出していった。