31 修羅場
ノエル視点→ゼウス視点→ノエル視点→ゼウス視点
「ゼウス、私は人間ではありません。獣人です」
ノエルの告白に、ゼウスは呆気に取られた様子だった。
「どういう意味……?」
「そのままの……意味です。私の父は人間ですが、母が獣人なのです。銃騎士隊の仕事中に父が母に一目惚れしてしまい、魔法も使って疑われないようにしながら、人間として夫婦になりました。ですから私の兄弟全員が――――」
ノエルは最後まで言葉を言うことができなかった。ゼウスがソファに立て掛けていた剣を掴んで抜刀し、いきなり斬り掛かってきたからだ。
ゼウスは、ナディアが獣人だと知って以降は、出会った時にはいつでも殺せるようにと、私服姿でも愛用の剣を持ち歩く癖がついていた。
「ノエル! お前っ! お前ぇぇぇっ!」
ナディアの一件から、安全だと言われている首都にも獣人が潜んでいることがあるのだと知ったゼウスは、ノエルの言葉を信じたようだった。
ゼウスの激高はあまりにも急すぎて、隣のアテナもかなり驚いている。
ノエルはゼウスが斬り掛かろうとした時には盾の魔法を展開させていたから、血飛沫が舞うことにはならなかった。
「裏切り者っ! このっ! 裏切り者がぁぁぁっ!」
しかしゼウスが何度も剣を振りかぶって見えない壁を壊そうと躍起になるものだから、その影響でノエルの前に置かれていたテーブルは破壊された。
「ゼウス! 落ち着いて! ゼウス!」
「姉さん! そいつから離れろ! 俺たちはずっと騙されていたんだ!」
「違うの! 私は知っていたの! 全部わかった上でノエルと結婚したの!」
「何だって! 何でそんなことをっ!」
「愛しているからよ!」
「愛、して…………」
ゼウスの動きが一瞬止まった。
「ゼウスだって本当はナディアちゃんを愛しているのでしょう? 素直になって!」
「そんなこと………… 認められるものかっ! 姉さん! 獣人は俺たちの仇だぞ! 忘れたのか?!」
「忘れてない! 忘れてないわ! 私は一度だってあの時のことを忘れたことはないわ!」
アテナはそう叫んで泣き崩れてしまった。ソファに座り込むアテナをノエルが支える。
「ノエル! 離れろ! 姉さんから手を離せぇぇぇっ!」
ゼウスは見えない壁を斬ろうと、再び剣を叩き付け始める。
「離さないわ! 私はノエルから絶対に離れない!」
「姉さん! 目を覚ませっ!」
「目を覚ますのはゼウスの方だわ! どうしてナディアちゃんを受け入れないの! このままでは処刑されてしまうのよ! ナディアちゃんを引き取って!」
「そんなことできるわけないだろうっ!」
ナディアを受け入れろと言うアテナと、それを拒みノエルと別れるようにと主張するゼウスの間で言い合いが始まる。
「アテナ、あまり興奮するとお腹の子が…………」
ノエルは声を荒げるアテナを落ち着かせようとしたが――――
「子供……っ!」
改めてそのことに気付いたらしきゼウスは、愕然とした表情になっていた。
二人の関係はもう取り返しがつかない。
「ノエル! お前は事の重大さがわかっているのか! 『悪魔の花嫁』だぞ! 見つかれば死罪なんだぞ! どうして姉さんに手を出した! どうして孕ませてしまったんだ!」
「…………愛しているからですよ」
本当は避妊に失敗したからだが、我を忘れたかのように怒りに震える今のゼウスに細かいことを言っても受け入れてはもらえないと思ったノエルは、ゼウスにアテナへの思いを話す。
そもそもいずれは子供も欲しかったから、ノエルはアテナとの間に子供を成したことに一切の後悔はなかった。
「愛で何もかもが許されるわけが無いだろう!」
「許されないことはわかっています。ですが死罪になんて絶対にさせません。アテナも子供も、私が全力で守ります」
魔法を使えば『悪魔の花嫁』であることも、子供が獣人であることも隠せる。危険はゼロではないと思うが、兄弟たちの力も借りれば、アテナを守りきることは可能だとノエルは踏んでいた。
ゼウスもノエルの魔法については承知しているから、ノエルの言わんとしていることは伝わっているはずだ。だが彼は尚もものすごい勢いで、愛剣を見えない壁に叩き付け続けている。
「許さない! 許さない許さない許さない許さない許さない! 俺はすべてを欺くお前たちの愛なんて認めない! 姉さんと別れろノエル! 姉さんを返せっ!」
ゼウスは獣人と人間との愛情を否定し続ける。
「……嫌です」
別れろと何度も繰り返すゼウスにノエルは否定で返した。
「アテナは私の唯一です。絶対に別れません」
******
アテナはノエルの番である。獣人が番を絶対に手離さないことは、ゼウスも熟知していた。
本当は、アテナがノエルを心の底から愛していることを、ゼウスも理解していた。ゼウスがどんなに言い募った所で、二人は別れないだろう。
******
――――うわぁぁぁぁぁぁぁっ!
絶叫しながら号泣し始めたゼウスが持つ剣にはヒビが入り始めている。それでもゼウスが剣を振るうのをやめないので、遂にはゼウスの剣は真っ二つに折れてしまった。
「俺は…… 俺は彼女を…………」
剣の折れたゼウスはその場に崩折れて慟哭し始めた。
「まだ、間に合いますよ…………」
ゼウスの戦意が喪失したと判断したノエルは、盾の魔法を解いてゼウスに声をかけた。
ゼウスを自分たちの側に引き込むことは悪だ。獣人を拒むゼウスの姿勢は銃騎士としては正しい。
けれど愛する人を殺そうとするのは果たして正しいことなのか。
「今でもナディアが一番に愛しているのはゼウスです。兄さんではありません…………
葛藤があるのは当然です。今すぐに私たちのことや、獣人のことをすべて受け入れろとは言いません。けれどこのままでは、明日ナディアは死んでしまいます。
とにかく死を回避させて、難しいことはそれから考えることにしても良いのではないでしょうか?」
ゼウスは何も答えない。それまでの烈火の如き怒りが嘘のように激しく落ち込み、ただ泣くばかりだ。
「ゼウス、私は『悪魔の花嫁』よ。銃騎士隊が抹殺しなければならない相手よね? ゼウスは私を殺せるの?」
「そんなことっ……! できるわけないじゃないかっ…………!」
号泣の隙間からゼウスが声を絞り出す。
「ゼウス、よく考えて。あなたの大切なものを、あなたの手で壊そうとしないで」
殺意を無くしたゼウスとの話し合いは夜更けまで続いた。
最初は頑なな姿勢を崩さなかったゼウスも、根気よく説得を続けることで徐々に軟化していった。最終的にはゼウスの口からナディアを未だに愛していると言葉を引き出すことに成功した。
ゼウスはナディアを助けるためなら獣人奴隷として引き取りたいとも言った。
話し合いが終わった後、夜も遅いことから、シドの監視に戻らなければならないノエルが、ゼウスの意向を銃騎士隊まで持ち帰ることになった。
ノエルはこのことを知った兄シリウスが自分を恨むのだろうなと思いながらも、そうなってもすべてを受け入れようと覚悟を決めた――――――
******
「ゼウス!」
姉の家で一泊した後、出勤前に着替えるために寮に戻ってきていたゼウスは、寮の前の道で停車している馬車の中で待ち構えていたらしきアーヴァインに声をかけられた。
「アーヴィー」
「時間外とかで寮の中に入れてもらえなくてさ、どうすっかなとか思ってたんだけど、会えて良かったよ。出掛けてたんだな」
「昨日は姉さんの家に泊まったんだ」
アーヴァインとはナディア経由で知り合い、今ではすっかり気心の知れた仲である。
明るい性格のアーヴァインとは同じ年だが、彼は二、三歳くらい年下なのではと思えるほどに小柄で華奢な体格をしている。黒髪に大きな黒眼が印象的で、本人に言うと怒るのだがどこか小動物的というか、少し忙しない所があるので小リスに似ていると思う。
「ゼウス、これ知ってるか」
アーヴァインが見せてきたのは、今日の朝刊の一部だ。そこにはシドの娘であるナディアが、本日の処刑においてシドと共に処刑される旨の記事が、彼女の写真と共に載っていた。
「これは古い情報だよ。ナディアのことは俺が引き取ることになったから、処刑にはならない」
「そっか、良かった」
アーヴァインはとてもほっとした表情になった。おそらくアーヴァインは記事を見て、ナディアを引き取るようにと銃騎士であるゼウスに話をしに来たようだった。
「いやー、ゼウスが去年の慰霊期に戻ってきた時にさ、姐さんに使うためって言って拘束具を大量注文してきた時は、この先どうなるのかと思って心配してたけど、丸く収まるようなら良かった良かった」
ゼウスは例の数々の拘束具をアーヴァインの家の商会に発注していた。
「結婚式には呼んでくれよな」
思ってもみなかったことを言われてゼウスは驚いた。
「人間と獣人なんだから結婚式なんて無理だよ」
「確かに届けを出すわけじゃないから正式な結婚じゃないけど、式くらい極秘で挙げたって良くないか?」
「まあ、考えておくよ……」
「どうした? ずっと探していた姐さんと一緒になれるっていうのに、なんか顔暗いぞ?」
会話をしながらも、ゼウスの表情がどこか冴えないことに気付いたアーヴァインが、小首を傾げながら尋ねた。
問われたゼウスは、胸の中の一部にこびりついたように引っかかっている、どこか釈然としない気持ちを、隠さずにアーヴァインに話した。
「……俺はいいんだ。もう覚悟は決めてある。だけど彼女は、本当に俺で良かったのかなって、そう思うんだ…………」