28 賭け
ロレンツォ視点
一部にBL要素があるので苦手な方はご注意を
「リゼ!」
総隊長が失神して崩れ落ちるジュリナリーゼを支えている。すると、ジュリナリーゼに付いていた「影」がどこからともなく現れて、グレゴリーの腕から彼女を引き取った。
「必ず守り抜け。彼女は我々の希望だ。決してシドには奪われるな」
「御意」
本来であれば銃騎士隊と「影」の一族には直接の上下関係はないが、彼らは銃騎士隊総隊長の命に忠実に頷き、最敬礼で返してからその場を後にした。
「影」を担うのは、古くからの歴史を持つ伯爵家とその傍系の一族だ。彼らは建国の際から旧王家と、それから現在は宗主一家と高位の宗主継承権保持者たちを守り続けている。
総隊長は昔「影」を使役する側にいた。ロレンツォはそのことを成人の際に伝えられた。バルト公爵家の中でもそれを知っているのは、現当主である父や次期当主である兄など、ごくごく限られた者たちだけだ。
総隊長と「影」との縁は深く、彼らが総隊長に抱いている忠誠心は今も揺らいでいない様子だった。
「閣下」
現れた時と同様に、ジュリナリーゼを抱えて風のような素早さでいなくなる「影」を眺めていると、ロレンツォは背後からのそんな呼びかけを聞いた。
現在、グレゴリー・クレセント総隊長をそんな風に呼ぶのは一人しかいない。
『ああ、厄介な男が来た』とロレンツォは内心で嘆息した。
「これは一体どうした事態でしょう。獣人王が処刑されると呼ばれて来てみれば、我々はシドの首が刎ねられる瞬間ではなく、閣下の首が刎ねられるまでに至るその過程を見せつけられた、ということですかな?」
この男、あくまでもにこやかだが、ここぞとばかりにグレゴリーを追い詰めようと毒を吐く。こんな緊急時なのだから嫌みを言いに来るのではなく、他の貴族たちと同様にさっさと逃げれば良いのにとロレンツォは思った。
敬愛する総隊長に、遠回しに「死ね」と宣う宗主配クラウスにロレンツォはムッとしたが、彼の言うことにも一理はある。
獣人王とはいえ処刑直前の獣人に拘束を解かれるなど前代未聞。今回のことは銃騎士隊の大失態だ。クラウスに言われずとも、身体的な意味ではなくて役職的な意味でグレゴリーの首が飛ぶ可能性は否定できない。
「此度の不手際、誠に申し訳ございませんでした」
グレゴリーはクラウスに頭を下げた。二人の昔の関係性を知っているロレンツォからすれば、少しモヤモヤした。
「閣下、私はあなたの手腕には期待をしています。他でもないあなたならば、必ずこの困難を乗り越えることでしょう。吉報を待っています。
しかし、あなたを応援したい気持ちもありますが、うちのセシルを傷付けさせたことだけは、どうしても許せません。シドを抑えるにせよ取り逃がすにせよ、あなたは然るべき責任を取るべきだ。その旨ご覚悟なされよ」
セシルは父親のアークに抱かれたまま意識がない様子だったが、胸から流れていたおびただしい血の痕は全て消え、養成学校の黒い制服まで、破れた箇所もなく元通りになっていた。たぶん魔法の力で傷が塞がれて助かったのだと思いたい。
クラウスは言いたいことだけを言い、頭を下げ続けるグレゴリーをその場に残したまま、近衛隊やその他の護衛たちを引き連れて去って言った。
セシルはクラウスに気に入られているが、ロレンツォはあの男の懐に入り込めるセシルの手腕には感嘆している。正直に言えば、自分には無理だ。
ロレンツォは昔、父親からジュリナリーゼと婚約しないかと話をされたことがあったが――結局それは向こうの意向もあり立ち消えになったが――あんな、存在そのものが伏魔殿のような男が義父になるのは嫌だなと、子供ながらに思ったことを覚えている。
「ロレン様」
クラウスが去り、総隊長が頭を元に戻した所で見計らったかのように声をかけてきたのは、ロレンツォの専属副官であるユリシーズ・ラドセンドだ。
ユリシーズは昨年まで一番隊勤務だったが、ロレンツォはユリシーズからとある相談事を持ちかけられたことをきっかけに、彼を副官として引き抜いた。
ちょうどその頃、ロレンツォの妻が初めての子を妊娠し、そのことになぜか乱心した当時のロレンツォの副官が、彼を手籠にしようとした事件があった。
ロレンツォは訓練生時代から時折、その様に碌でもない目に遭うことが多く、そのたびに同期で親友のジュリアスに助けて貰っていた。今ではジュリアスが魔法を使って察知したのだとわかるが、その当時は、毎回彼が駆けつけることを不思議に感じたこともあった。
その時も媚薬を盛られてあわやという所で気付いたジュリアスが助けに来てくれて、未遂に終わった。
現れたジュリアスに、まるで神がかり的な後光が差しているように見えたロレンツォは、ジュリアスは自分になくてはならない存在だと改めて痛感した。
『お慕い申し上げておりますロレン様ァァァッ! 芸術的に美しすぎるあなた様の最高のお尻が遂に俺のものにっ!』
事件からはまだ半年も経っていないので、信頼していた男が急に豹変してきたことは未だに心の傷だった。
雑誌の企画などで一般向けの銃騎士隊抱かれたい男ランキングなどがたまにやっているが、実は銃騎士隊内部だけで出回っている恐ろしい闇のランキングがある。回答者は言わずもがな銃騎士隊員、つまり男性ばかりだ。
抱かれたい男ランキング一位はいつもジュリアスで二位はロレンツォ、それは表で行われるランキングと大差ない。
しかし、闇ランキングにおける抱きたい男ランキングぶっちぎり一位はいつもロレンツォだった。
「あの人の美尻からは薔薇の香りがするに違いない」とか訳のわからないコメントまで載っていた。
ロレンツォはその闇ランキングの存在と結果を初めて知った時、あまりのことに除隊願いを出したくなった。
当然、副官はお役御免にした上、総隊長に頼んで二度と会わなくて済むような僻地の隊へ飛ばしてもらった。仕事のできる男ではあったが、ロレンツォにそっちの道の趣味はなかったので、遠くで幸せになってほしいと願った。
ちょっとした男性不審になっていたロレンツォは、副官としてであれ男をそばに置いておくことに不安を覚えていた。しかし、銃騎士隊副総隊長の仕事は何気に多く、副官に支えてもらわなければ仕事が回らない。それに身重の妻が待つ家に少しでも早く帰りたかった。
副官は必要だが、一体誰を指名すれば身の安全が保たれるのか確信が持てない。疑心暗鬼状態に陥っていたロレンツォの前に、相談事があるとやって来たのがユリシーズだった。
ユリシーズは一期下であり知らぬ仲ではない。それに本部で一番隊の後輩であるゼウスに親愛に満ちた優しげな表情を見せている場面に、何度となく遭遇していた。
(見つけた! ゼウス派の銃騎士を!)
ゼウスは闇ランキング抱きたい男部門においてあのジュリアスを抑えて二位になったことがある。ユリシーズの「推し」はきっとゼウスに違いない。ならば、絶対とは言い切れないが、自分を押し倒そうとする危険性は他の者たちよりも少ないのではないか、とロレンツォは男性不審になり少し変な方向に物事を考えがちになっていた頭の中でそんなことを考えた。
それにユリシーズは結婚しているし、ロレンツォを襲った元副官が独身だったことに比べれば、安心感がある。ロレンツォはユリシーズに賭けることにした。
ユリシーズはどうやら、一番隊長ジョージに次期一番隊長になるように外堀を埋められかけていて、自分は先頭に立つよりも誰かを支える方が向いているのに困る、とも悩んでいる様子だった。
ロレンツォもその気持ちは痛いくらいにわかった。実家が公爵家であるために副総隊長にまで祭り上げられてしまったが、先頭に立つよりも誰かを支えたいし、その方が向いていると思っている。
本当はロレンツォは、ジュリアスの専属副官になりたかった。だから公私共にジュリアスとずっと一緒にいられるフィーを羨ましく思っている。
当初ジョージ隊長には残念がられたが、副に徹したいというユリシーズの意向と、次期一番隊長には他にも当てがあるという話で、最後は快く了承してもらえた。
ユリシーズに相談されたのは次期一番隊長のことではなくて別件だったが、彼はその相談事の内容を覚えていない。気付いたセシルの手により記憶を消されてしまったからだ。
セシル他、ジュリアスやブラッドレイ家の者たちが魔法が使えることは、ロレンツォは銃騎士隊に入隊してしばらくしてから知った。
宗主配クラウスの意向でバルト公爵家の他の者たちは知らない。真面目なロレンツォはたとえ家族にも愛する妻にでさえも、銃騎士隊の機密事項を漏らすことはなかった。
セシルは『過去視』の使い手であり、過去にまつわる魔法――つまり記憶改竄の魔法ならば、他の魔法使いたちに比べると得意らしい。禁断魔法と呼ばれるその魔法を使った場合は命に関わるほどの跳ね返りが来て危ないらしいのだが、セシルがユリシーズの記憶を消すのに払った犠牲は、指の爪一本がマニュキュアを塗ったかのように黒くなることだけだった。
セシルは魔法の力でその黒い爪を普通の見かけに変えることができたから、彼にとってはそこまで問題にはならないようだった。「まだ余地は残ってるからこの魔法まだまだ使えるよ~」とも語っていた。
セシルはロレンツォには記憶改竄の魔法を施さなかった。
余地があるのになぜそうしないのかと問いかけた所、セシルからはこんな答えが帰ってきた。
「ユーリ先輩は、たぶん黙ってられないから。抱え込まれて胃に穴が空くのも可哀想だし、本人の負担減のためには、記憶を消すのが一番いいのかなって思って。
だけど俺、副総隊長には期待してるんだ。こっち側に来てくれるんじゃないかなーって。
脅されてるとか思わなくていいよ。やっぱり味方にはなってくれなさそうだなって思ったら、その時は記憶を消すだけだから。副総隊長は自分の思うように行動したらいいよ。
副総隊長の記憶を消さないのは、俺の賭けなんだ」




