24 たった一度だけ
ナディアはオリオンと共にアンバー公爵邸の敷地の外へ出るべく、広すぎる庭を歩いていた。来た時にはオリオンは魔法で現れたが、一応その存在を隠すために出る時は徒歩だった。
ナディアはヴィネットの言う通り、申し訳ないけど一生そばにいる約束はまだできないとオリオンへの答えを保留にしてもらって、ひとまずはアンバー公爵家から離れるために、彼と行動を共にすることを選んだ。
いつ答えを出すかは決めていない。オリオンに対して誠実でなさすぎて本当に申し訳ないのだが、昼頃に執行予定のナディアの処刑はまだ取り下げられていないようだし、現状、自分が生き延びるためには彼に頼るしかなさそうだった。
あの後、護衛のリーダー格の男がオリオンに「シリウス・ブラッドレイ様ですね?」と尋ねていた。
ナディアをアンバー公爵家に連れてきたのはオリオンの弟セシルだ。セシルは公爵家にナディアを匿うことを依頼しながらも、もしも自分の兄シリウスがナディアを迎えに来た時は、兄にナディアを委ねてほしいと頼んでいたそうだ。
なので、当主のディオンや処刑場へ向かってしまったシャルロットたちが公爵邸に不在である最中、ナディアは護衛たちに止められることもなく、オリオンと屋敷の外へ出られていた。
純白のワンピースはそのまま貰ってしまったが、輝く黄水晶が嵌められたヘッドドレスは、今ナディアの髪に飾られてはいない。
屋敷を去る際に、「公爵様にごめんなさいって伝えて」と言葉を添えて、ヴィネットに返却してもらうように頼んでおいた。ディオンのお嫁さんになるのはどう考えても無理だったので。
「ナディア様、幸せになってください」
「ヴィネットもね」
彼女とは最後にそう言葉を交わして、別れた。
「ナディアちゃん、渡したいものがあるんだ」
屋敷の前で見送る護衛たちが見えなくなった頃、オリオンがそう切り出してきた。
渡されたものは、里に置いてきてしまったはずの、愛用のナックルだった。
「本当はもっと前に里から持ち出していたんだけど、なかなか機会がなくて渡せなかった」
それを受け取りながら、ナディアは胸が詰まった。
『ナディア』
自分のことなど全く歯牙にもかけなかったシドが、子供の頃にたった一度だけナディアを気に掛けたことがあった。
気に掛けたというか、本当にただの気紛れだったのかもしれないが、里に出入りする商人から買い付けた子供用のナックルを、ナディアに渡してきた。
何の説明もなかった。呼び掛けられて振り向くと父がいて、投げられたものを反射的に受け取ったら、それがナックルだった。
シドはナディアがそれを受け取ったのを見ると何も言わずに踵を返して行ってしまったが、ナディアにはそれが父からの贈り物だとわかった。
嬉しかった。それからはまだ鍛錬を積む年齢ではなかったにも関わらず、「私も修行する!」と義兄について回りながら、身体を鍛えて体術の練習に励んだ。
ナディアが同年代の女子の中でもわりと強い方だったのは、その影響もあったと思う。成長に伴いサイズが合わなくなると、何度か加工して愛用し続けていた。
ナックルを使った鍛錬をシドが見てくれるわけでもなく、ただ一方的に送られただけだが、シドが父親らしいことをしてきた唯一の出来事だった。このナックルはナディアにとって、あの人が確かに自分の父親だったのだと思い起こすことのできる、とてもとても大切な品だった。
(あの人は今日、処刑場で首を斬られて殺される)
父のことが脳裏に蘇り、意図せず滲んできてしまう目尻の涙を、オリオンが指の腹で優しく拭ってくれた。
「……ありがとう、オリオン」
「ごめんね、シドの処刑を中止することはできない」
「うん、わかってる。もう大丈夫よ」
オリオンが手を差し出してくる。
「行こう、ナディアちゃん」
ナディアは肯き、オリオンの手を取った。




