22 好きだから殺したい
「じゃあ、公爵様とずっと同棲していたの?」
「同棲…… まあ、そうかもしれませんが、位置付けとしては恋人ではなくて、住み込みの掃除婦でした。
ディオは元が貴族のお坊ちゃまでしたから、芸術的な才能はあっても生活能力は皆無でした。私が夜這いしに家に侵入した時も、中はとてもごちゃごちゃしていましたね。
私はそれが気になって、抱いて頂いたお礼も兼ねて翌日部屋のお掃除をしたのですが、とても感謝されて、お給金を払うからそのまま専属の掃除係になってくれないかと頼まれました。
ハンターはしばらく続けていましたが、少しでも長くディオのお側でお世話や観劇をする時間を取りたかったので、結局辞めてしまいました。
私の他にも料理係の女の子と洗濯係の女の子が出入りしていて、ディオは彼女たちにも身の回りのお世話を依頼していましたが、彼はその全員と身体の関係がありました」
「……ヴィネットは、それで良かったの?」
ヴィネットはそこで少し沈黙した。
「私と旦那様は、今も昔も、恋人ではありません。それに、今は少し違うのですが………… 最初の頃は、ディオが夜に連れ帰った女の子を隣の部屋で抱いている音や声を聞いても、嫉妬のような気持ちはほとんど感じませんでした。
ディオは来るものは拒まず去る者は追わずという主義で、それによくモテましたから、世話係の女の子以外と関係を持つなんてこともしょっちゅうでしたね。裕福な後援者の女性と外で密会することもあったようです。
ディオは公爵家を追放された直後などは男娼をしていたこともあったらしくて、経験は豊富なようでした。
私は生まれ育った環境が特殊でしたので、教義では多くの者と交わることは良いことだと教えられていましたから、ディオが他の女性との性交によって癒やされたり気持ち良くなったり幸福を感じているのなら、それでいいと思っていました。
ディオはシーツ一枚洗濯できない人でしたから、家で情交が行われた翌日は私がいつも汚れ物を取り替えて、洗濯して掃除をしていました。洗濯係の女の子には、そんなものを洗うのは嫌だと言われていつも拒まれてしまうので、私がやるしかありませんでした。
洗濯係の子は汚れ物を見て泣いてしまうような場合もありましたが、あの頃の私は情交の余韻が残る汚れを見ても何とも思えず…… ただ、神のお役に立てることが嬉しかったのです。
お世話係の女の子は愛想を尽かしていなくなることも良くありました。あの頃、常に女の影が付きまとうディオと一緒に住んでお世話ができたのは、私くらいしかいなかったと思います」
ナディアの中でのディオンの株はダダ下がりだった。
(それじゃまるで父様みたいじゃない)
ナディアはシドに似た男を番にするなんて、天地が引っ繰り返ったって絶対に絶対にぜーったいに嫌だと思った。
「今はあの頃とは違う思いが芽生えていて、嫉妬も感じます。
ディオは公爵になる際にそれまでの女関係を精算していきましたが、一部の後援者の方々はあの方と別れることを惜しんで、今でもまだ関係があります。
ディオと結婚できれば宗家第三位アンバー公爵家の女主人となれるのですから、狙う御婦人も多いようです。関係を終わりにするのがなかなか難しいと言っていました。
ナディア様と結婚すると言い出したのも、獣人と関係した男なんて向こうから見限ってくれるのではないかと、もしかしたらそんな目論見もあるのかもしれません」
そんな理由で求婚するのはやめてほしいと思った。
「私じゃなくて別の人と実力行使で結婚しちゃえばいいんじゃないの?」
――――例えば、ヴィネットとか。
そう言葉を添えると、ヴィネットは悲しそうな顔をした。
「それはありません。私も旦那様が貴族に戻る時に一度関係を切られています。他の女の子たちも最初は戸惑っていましたが、一生遊んで暮せるほどの充分すぎる手切れ金を渡されて、最後は納得して別れを受け入れていました。
私も、ずっと一緒にいた神と離れることは身を斬られよりも辛いことでしたが…… 神がそう望んでいる以上は、その通りにするしかなくて………… その時は受け入れるしかありませんでした。
その時にディオとの約束で、『故郷には絶対に戻っちゃ駄目だよ。ヤバいから』と言いつけられて………… 私は、自分の支えであった神との交流の方法を一切遮断された状態になってしまいました」
ナディアはディオンのその指示には納得がいった。
(だって戻ったら、大変なことになるじゃない)
「私は神に、信仰に飢えすぎていました。当時の私は愚かにも、もう自分にはたった一つの方法しか残されていないと思い込んでいました。
自殺未遂をしたんです。死者の国にいる本物の冥王神に会いに行こうとしました」
無宗教のナディアにとっては宗教が絡んだ自殺理由は正直理解し難いと思ってしまうが、ナディアだって死のうとしたことがある。男絡みで死ぬだなんて、ナディア以外の別の者からしたら、笑ってしまうような理由かもしれない。
生きていれば大切にするものはそれぞれ違ってくる。自分の価値観に合わないからといって、おかしいと決めつけるのはよくないと思った。
「でもあなたは今も生きている」
「はい。私の様子が変だと気付いた親友が様子を見に来て、寸前で止めてくれました。
『冥王神なんていないわよ! 馬鹿ーっ!』って言われて思いっきり張り手をぶちかまされて………… そこで目が覚めました」
「では、あなたはもう邪教の信者ではないのね」
「ええ…… ようやく長い洗脳から解放されました。『冥界の門』のネックレスを未だに身に着けているのは、おかしな宗教で身を滅ぼしかけたことを忘れないための、自分への戒めです。
ディオが昔私があげたネックレスを今も着けているのは、私の自殺未遂を知って責任を感じたかららしいです。
『僕たちはこのネックレスを通してずっと繋がっているから、僕がずっと側にいるから死なないで』なんて、結婚する気もないくせに、気障なことを言っていましたね。
お揃いのものを身に着けているのは、私もちょっと嬉しいんですけどね……
あの人は本当に何にもわかってないんです。私がずっと平気な顔をしていたから大丈夫だと思っているんです。今はディオが他の女の人を抱くのは嫌です。ちょん切りたくなります」
「き、切る…」
ナディアは思わず絶句した。想像したら痛そうだった。
「ディオが結婚するつもりがなかったのは、娘のシャルロット様がいるからです。
まだディオが平民だった頃、シャルロット様がお忍びで家を訪ねてくることがありました。そんな時には私は必ずディオにお金を握らされて、外へ出されてしまいました。シャルロット様はディオの女関係には敏感でしたから、傷付けたくなかったのでしょう。
ディオがこの世で一番大切にしている女性はシャルロット様です。間違っても私ではありません。
以前にディオと熱心な後援者の方との結婚話が持ち上がったことがありましたが、シャルロット様が大反対して、『結婚なんて駄目! 絶対に許さない!』とおっしゃっていて、結局、結ばれることはありませんでした。
ディオのいた劇団はそのせいで金銭的打撃を受けてしまって、ディオも苦しい立場には立っていたようですが、それでもディオはどこまでもシャルロット様のことを一番に考えていて、結婚話は断り続けていました。
ですが。最近のシャルロット様は若旦那様と結婚されて少し丸くなった気もしています。『お父さまも幸せになってほしいですわ』とおっしゃることもあるようです。
私はディオの情婦としてシャルロット様には嫌われていて、お世話係からは全て外されているのですが、シャルロット様担当のメイド仲間から聞きました。
シャルロット様からの結婚の許可が出た影響もあって、旦那様はたぶん結婚したくてウズウズしています。ナディア様が旦那様を受け入れてくださるのなら、私は身を引きます」
「…………ヴィネットは、本当にそれでいいの? 公爵様が好きじゃないの?」
ヴィネットは、すっとナディアから視線を逸らすと、遠くを見るような目で窓の外を見て言った。
「好きですよ。好きで好きで好きで、好きすぎて………… いっそ殺したいくらいです」
『――――殺したい』
今ここにいない男の声が脳内に響く。
(好きだから、殺したい………………)
彼はもう終わったと言っていた。ナディアが死んでも構わないと言っていた。しかし、もしかしたら、まだ気持ちが残っているのではないか、なんて…… そんな期待をしてしまう――――
「そう、思ってしまうのですけど、でも、実際は殺すなんてできません。愛していますので。
本当に未練がましいですよね。自殺未遂の後に自分自身を深く見つめ直して―――― 邪教は捨てられてもディオのことは捨てられなくて、追いかけてメイドになりました。
その時は初心に帰るつもりで、ただディオを純粋に追いかけていた頃に戻りたかったんです。近くでそっとそのお姿を見つめ続けていられればそれで良かったんです。
ですが意志が弱すぎて、メイドとして再会した初日に誘われて、気付けばベッドインしていました。ディオの腕の中はとても心地良いのですが、このままではいけないとも思っています。
ディオが誰かと結婚したら、今度こそこの気持ちに終止符が打てる気がします。ディオの門出を見送ったら、潔くここから去って、新しい人生を始めようと思っています」
ヴィネットの話を聞き終えても、ナディアは沈黙したままだった。
たぶん、ヴィネットはもう見切りを付けられている。出来ていないのは、ナディアの方だった。
「長い話をお聞かせしてしまって大変申し訳ありませんでした。お茶を淹れ直しますね」
ヴィネットがナディアのティーセットに手を伸ばそうとした、その時だった。
流石は公爵家に選ばれた護衛。ヴィネットはナディアを背後に庇いつつ、瞬時に武器を構えて迎撃に備えた。
いきなり窓際に黒服の男が現れた。見慣れた黒服だったが、着ているのは茶髪の少年ではなかった。
白金髪に灰色の瞳を持つ、あの日見失ってしまった、美しすぎる青年だった。
「オリオン…………」