21 ハンターの条件
R15あり
死者の蘇生以外にも、ヴィネットの故郷の邪教にはもう一つの大きな教義があった。冥王神は死と再生を司っている。冥王神の力の強まる光のない新月の夜に夜宴を行うと、特別な力を授かった子供が生まれるというものだ。
神子と呼ばれるその特別な子供は、普通の人間とは違う髪や眼の色をしていることが多く、高い身体能力でもって獣人の襲撃から街を守るそうだ。
神子のおかげで故郷の街は獣人による深刻な状態になったことはほとんどなかったらしい。獣人側もその街での「狩り」は成功の見込みが薄いことがわかっているので、襲撃に来ることもあまりなかったそうだ。
しかしその神子を冥王神から授かる夜宴とは、つまり街を挙げた乱交のことで、成人以上で生殖可能な年齢の者は皆参加するのが慣わしだった。
新月の夜になると大人たちは街の中央広場に集まって、夜闇の中で恋人や配偶者も関係なく交わるとのことだった。
そこまで聞いたナディアは手からティーカップを取り落としそうになった。
(すごい宗教だな……)
女が初めての子を身籠ると適当な相手と娶せられて夫婦となるらしい。書類上はそれで何とかなるのかもしれないが、生まれてくる赤子は二人の子供とは限らず、実父が誰かわからない場合がほとんどだ。ヴィネットも自分の本当の父親が誰なのかは知らないらしい。
神子は四、五年に一度生まれるか生まれないかくらいで、たいてい十年に一度は生まれてくる。ヴィネットも神子の一人らしかった。
産めや孕めやという街の雰囲気により、出生率は高いが、淫らな教義に不信感を持ち逃げ出してしまう者も多いため、人口過密になってしまうこともないらしい。
ヴィネットの友人の少女たちもその口だった。夜宴の参加は成人からだが、成人前になると夜宴に備えて見学が可能になる。
その前から早熟な者はこっそり見に行ったり、無理矢理連れ出されて見させられることもあった。
そこで色んな光景を見てしまった彼女たちは、まるで娼婦か性奴隷かと、自分もあんな風になるのは嫌だと感じ、何人かで共謀して成人直前に街から逃げ出すことにした。
ヴィネットもそのメンバーの一人だったが、神子として街中から大切に育てられていたヴィネットは、実は最初はその逃亡計画には反対で、街から出るつもりは微塵もなかったらしい。
確かに夜宴は淫らではあるが、自分たち神子を作り出して街を守るためには必要な儀式だと信じていた。
しかし少女たちの中にはヴィネットの親友もいて、大切な彼女が街に戻るのを説得するために、一緒について行くことにしたのだ。
少女たちにしても、反対されて計画を告げ口されるよりは、街に必要な神子とはいえ、巻き込んで一緒に逃げてしまえという思いが強かったらしい。
それから、街から離れることでヴィネットの神子としての「洗脳」が解ければいいと、特に彼女の親友はそう語っていたそうだ。
「神子がいなければ守られない街なんて滅んでしまえ」と、逃げた少女のうちの一人は言っていたらしい。
首都まで出てきた彼女たちは共同生活を始めたが、一人また一人と仕事を見つけて時には独り立ちしていく。ヴィネットは友人たちの説得を諦めてはいなかったが、無職のままでは皆に迷惑をかけてしまうと思い、興味のあった武器屋の売り子として働くようになった。
ある時、都合が悪くなって行けなくなったと気前の良いお客さんから貰った観劇のチケットが、ヴィネットの運命を変えた。
冥王神がそこにいた。ヴィネットが思い描いた通りの艶やかな黒髪を持つ美丈夫が、下界に降臨して目の前で動いて言葉をしゃべっていた。
目の周りを覆う仮面の下から見える顔立ちは整いすぎていて、顔の全てが見えないからこそ想像を強く掻き立てられる思いに胸が熱くなる。
彼の存在そのものが気品に溢れていて、他の役者は全員霞んでしまい、全く眼中に入らなくなった。
台詞回しの低い美声や、高音まで使いこなす魔人のような歌声に、耳が喜びすぎて溶けてなくなりそうだと思った。
彼は「地獄の王」役という敵役だったが、ヴィネットにとっては彼こそが主役だった。
途中、勇者に仮面を落とされて現れた瞳の色は冥王神とは違って琥珀色だったが、想像以上の美しいご尊顔の全体像を見たヴィネットは、その時に気付いてしまった。
彼は冥王神ではない。冥王神ではない、が――――
彼こそが、自分の追い求めていた自分だけの神様だったのだと、猛烈にそう思ってしまった。
そこからヴィネットの生活はまたガラリと変わった。一緒に暮らす友人に渡す以外のお金と、仕事をしている以外の時間を、全て神――ディオン・ラッシュ――に捧げるようになった。
友人たちの説得が不発に終わったら自分だけでも街に帰ろうかと思ったこともあったが、そんな考えは頭から綺麗さっぱり消えていた。ヴィネットは街を守ることよりも、神との生活を選んだ。ディオンは当時ヴィネットにとって大事だった宗教よりも上の次元にいた。
毎日のように仕事が終わり次第劇場に直行し夜の部を観劇して、台詞を覚えてしまうくらいに何度も何度も同じ劇を繰り返し観た。
一緒に暮らしていた友人たちはドン引きしていたが、神の写る写真入りカードを幾度も購入しては自室の壁や天井に何枚も貼り付けて、神に見守られながら寝起きをする。
そのうちに、仕事をしている時間が神との交流に使えないのを惜しくなったヴィネットは、仕事を辞めてしまった。友人たちのお情けで毎日の食事は確保できたが、このままでは舞台のチケットが買えなくなってしまうのはわかっていた。神との生活にはお金が必要だった。
ヴィネットはハンターに転職しようと考えていた。ハンターならば勤務時間は自由だ。それにまだ故郷の街にいた頃に、ヴィネットは獣人と対峙した経験があった。殺せはしなかったが、追い払うことには成功したので、本気を出せばいけるはずだと思っていた。一匹狩るだけでそこそこの懸賞金がもらえるのだ。
しかし、ハンターになるには一つ問題があった。ハンターになるには処女ではあまりよろしくない。
獣人と接する機会が増えるということは、『悪魔の花嫁』になる危険と隣り合わせだ。自分自身が銃騎士隊に追われる立場にならないためには、初体験を済ませておくのが一番いいのだ。
邪教の忠実なる信徒であったヴィネットは教えを守り抜き、初めての夜宴まではと処女を守っていた。街から離れて以降はそのような相手は神以外思い浮かばなかった。
そこまで話を聞いたナディアはふと、あることに気付く。
「ねえ、ハンターってみんな非処女なの? ハンターになる際には必ず事前に済ませておかなきゃいけないの?」
「いいえ。ハンターになる条件として明確に定められているわけではありません。女性の場合だと、わざと処女のままにしておいて年若い男の獣人をおびき出すような作戦を取ることもあるようですが…… 対策はしておいた方が安全だと私は思います。特に男性の場合だと、まだの場合は娼館などで筆おろししてからハンターになることが多いようです」
ナディアの脳内には、まだ気持ちが消えない愛しい男の姉の姿があった。
(そういえば彼女は――――)
少し思考に浸るナディアをよそに、ヴィネットの話は続く。
「その後私は新月の夜を待って、当時のディオの家に忍び込んで夜這いを仕掛けました。ディオは私に気付くと驚いていましたが、『いつも劇を観に来てくれる子だね』と言ってくれました…… ディオが私に気付いてくれていたとわかってとても嬉しかったです。事情を離すと『僕で良ければ』と受け入れて、優しく抱いてくださいました。
ディオは処女を抱くのは初めてだったそうです。相手はディオ一人だけではありましたが、私の初めての夜は、冥王神から力を得る夢見ていた夜宴そのものでした。私は念願叶った神との交接に天にも登る心地でした。
私はそのまま彼の家に居着いて、ディオの掃除女となりました」