20 『冥界の門』
髪を乾かしてメイクもしてもらって、それからディオンが言っていたヘッドドレスも着けてもらった後、ナディアはテーブルでヴィネットに淹れてもらったお茶を頂いていた。
ヘッドドレスはワンピースと同じ純白のレース地が花を模した形で幾つも連なり、花の中心部には黄水晶が嵌められていて、とても綺麗だった。
なぜかヴィネットがそれをナディアの髪に飾る時に神妙な面持ちをしていたので気になったが、確か貴族はドレスアップの際に相手の髪や瞳の色や、好きな色を装いに取り入れる習慣があることを、直後に思い出した。
ディオンの瞳は娘のシャルロットや末弟のランスロットと同じ琥珀色だ。黄色い色を身に着けるのはマズい気がして、やっぱりヘッドドレスは着けないでおこうかなとヴィネットに伝えたが、彼女は「旦那様の命ですので」と言って聞いてはくれなかった。
ナディアはヴィネットの心理がわからなくなった。女の勘だが、ヴィネットはナディアがディオンの色を身にまとうのを嫌だと思っている。
当の本人が取りたいと言っているのだから、もし気付いたディオンに何か言われたとしても、ナディアの希望に沿っただけだと言えばいいのに、それをしない。
恋人の浮気にはもっと目くじらを立ててていいと思うが、あくまでも主人と使用人という関係性を貫こうとしているようにも見える。
お茶を淹れてもらったので一緒にどうかと誘ったが、固辞されてしまった。けれどヴィネットはナディアの隣から離れようとせず、立ったままで「先程は申し訳ありませんでした」と、たぶん脱衣室で「触らないで!」と声を荒げたことだと思うが、謝ってきた。
「気にしないで。ヴィネットは公爵様の恋人なんでしょう?」
「いいえ。私は旦那様の情婦の一人にすぎません」
そう答えてから、ヴィネットは少し迷ったような表情を見せた後、「私の話を聞いてくださいますか?」と切り出してきた。ナディアに否やはなかった。
「元々私は旦那様の――――ディオの掃除女だったんです」
ヴィネットがアンバー家の使用人になったのはちょうど一年前、ディオンが貴族籍に復帰してアンバー公爵家の当主になったあたりだそうた。
ナディアはヴィネットが使用人歴一年と聞いて驚いた。ヴィネットのメイドとしての振る舞いは完璧で、とても一年しか経験がないとは思えなかったからだ。
ナディアが素直にそう言葉を漏らすと、ヴィネットは少しはにかんだような表情をしながら「少しでもディオのお役に立ちたくて、必死で覚えました」と言って、可愛らしい微笑みを見せた。
なぜこんなにも献身的で愛らしい美女を情婦の一人にしておくのだろうと、ナディアはディオンをちょっと軽蔑した。
ナディアはヴィネットの昔の話から彼女の年齢が二十四歳だと聞いて、それについても驚いた。ヴィネットは童顔のようだった。
ヴィネットは小柄で肌もピチピチしているので、ナディアはてっきり自分と同じくらいの年齢だと思っていたが、年上だった。
ヴィネットはずっと、俳優ディオン・ラッシュの追っかけをしていたらしい。アンバー家はお家騒動の時に使用人を多く入れ替えていて、その時に少しでも長くそばに居続けたくて応募したそうだ。
一時期ハンターをしていたこともあるヴィネットは、その身体能力を買われて、護衛もできるメイドとして合格したらしい。
(ヴィネット、やっぱりハンターだったのね……)
少し動揺したナディアはお茶を啜って心を落ち着けた。ヴィネットがハンターを辞めていて良かったと思った。もし敵同士として出会っていたら、勝てたかどうかは五分五分だ。
ヴィネットは忠誠心が厚いようなので、主の命に背いてナディアを殺すような真似はしないだろう。
ヴィネットは首都の生まれではなく、とある邪教を信じる地下宗教組織が牛耳る街の出身だったそうだ。なぜ邪教かと言うと、その宗教は死の国を司る神である冥王神こそを唯一神として崇め奉っていて、その昔は死者を蘇らせる儀式として、多くの者たちを殺して生贄として捧げていた歴史があったからだ。
時の王により禁教とされて表向きは廃れたことにはなっているが、その実、信者の血脈を持つ者たちにより、一つの街を呑み込む形で、隠れて信仰が受け継がれ維持されていた。
「これは故郷の宗教に伝わる、冥王神が御座します死者の国へと繋がる、『冥界の門』を模した飾りです」
ヴィネットが胸元から取り出して見せてくれたのは、先程脱衣室で見かけた、ディオンの首にぶら下がっていたネックレスと同じものだった。
「ディオは信者ではありませんが、邪教の象徴であるこの『冥界の門』を、私とお揃いで身に着けてくれます。ディオは私が邪教の信者だったと知っても、嫌がらずに受け入れてくれる稀有なお方なんです」
『冥界の門』のネックレスを見つめながら少しだけ嬉しそうに語るヴィネットの頬は、ほんのりと朱に染まっている。
死者の蘇りの際にはその『冥界の門』が開き、死者の魂をこちらに呼び戻すらしい。『冥界の門』の外には門番がいて、邪教の司祭が死ぬとその者が新しい門番となり、代替わりを繰り返しているとも言い伝えられている。
通常『冥界の門』は入ることはできても出ることはできない。一方通行だが、蘇りの儀式の際には、千人の生贄の魂をその門番に示すことによって、一つの魂を冥府から呼び戻す許可が出るらしい。