17 誘拐事件 1
新年のお祭りだからと、パレード待ちする人でごったがえす街路にナディアは連れ出されていた。新年初日は古書店も休みであり、首都で新年を過ごすのは初めてだと言ったら、「新年名物銃騎士隊パレードを一緒に見に行こう!」と張り切るエリミナに連れ出された。
あたりは人、人、人。人間ばっかり。パレードに群がる人垣を見回しても、やっぱり首都に獣人なんてそうそういない。
もしもここでナディアが獣人であることが周囲の人間たちに知れ渡れば、きっと確実にボコボコにされるだろう。
最初に首都に飛ばされた時こそ正体がバレたらどうしようと不安に苛まれたものだったが、今ではそんな不安もどこかへ飛んで行ってしまった。
獣人としての華やかな容姿を持たず、むしろ人間の中では中くらいの平凡な容姿に位置付けられ、どこにでもいそうな冴えない見た目のナディアが実は獣人だなんて勘ぐるものはこれまで誰もいなかった。
(それはそれで悲しいけど)
「ああっ! ゼウス様が! ゼウス様が行ってしまわれた! このままじゃアテナ様のサインをゼウス様に頼めない!」
パレードの見物人でひしめく人々の中、隣で焦ったような声を出しているのは松葉杖姿のエリミナだった。この場にアテナ様本人がいないのに姉のサインを弟に頼んでどうするのだろうと思ったが、アテナ様の写真集をゼウス様に預けて自宅でサインをして来てはもらえないかと頼むつもりだったらしい。
お礼に父親経由で入手した超人気舞台のプレミアチケットを渡すつもりで。
沿道には警務隊による規制線が引かれているが、時折その隙間から飛び出して銃騎士の元まで走り、握手やサインをしてもらったり、プレゼントを渡していたり、わざわざ写真機を持ち出して共に写真を撮っている者たちもいる。
エリミナは人垣の合間を縫ってパレードの先頭を追おうとするが、人が多すぎて進むどころか逆に押されよろけてしまう。
片脚を怪我しているせいで踏ん張れずに倒れそうになったエリミナを、ナディアが手を出すよりも先に黒髪の少年が支えた。
男だがどちらかといえば少動物のような可愛らしい顔付きをしたその少年こそが、エリミナの婚約者である『アーくん』ことアーヴァイン・サングスターだった。エリミナよりも年は三つ上だが体格は小柄で華奢な体付きをしている。
アーヴァインはエリミナの父方の従兄で、現在この首都の名門上級学校に通う学生だ。頭の良さをエリミナの父親に買われ、数いる従兄弟の中からエリミナの婚約者として選ばれ商会の跡継ぎにも指名されている。
「大丈夫か?」
アーヴァインがエリミナの肩を両手で抑えながら心配そうな声を出している。
「ありがとう、アーくん」
エリミナはアーヴァインの顔を見ながらほっとしたような表情になる。二人が並ぶと絵に描いたような美少年美少女カップルだ。
すぐに控えていた護衛も人垣を掻き分けて助けに入り、足を怪我しているエリミナはアーヴァインに支えられた状態で人波から連れ出された。ナディアも彼らの後を付いて行く。
今日はナディアとエリミナとアーヴァインの三人でパレードを見学に来たのだが、出来るだけ三人でのお出かけを邪魔しないようにしつつエリミナの護衛として数人の屈強な男たちも付いて来ていた。
以前は特に護衛など付いていなかったのだが、少し前にエリミナが誘拐される事件が起こり、以降エリミナの外出時には護衛が付くようになった。脚の怪我もその時に負ったもので、まだ完全には治っていない。
その事件に巻き込まれたアーヴァインも犯人たちから暴行を受けていて、エリミナのように歩行に支障が出るほどの怪我はしていないが、頬にはまだ湿布が貼られている。
エリミナを攫ったのはエリミナの父方の別の従兄だ。エリミナの母親は一人っ子だが父親には兄弟が五人ほどいるので、従兄弟も多いそうだ。
そのエリミナを攫った従兄たちは自分たちが商会の跡継ぎに指名されなかったことが不満だったらしく、エリミナを手籠にして自分たちの誰かと結婚するように仕向けて商会の跡継ぎの座を狙うつもりだったらしい。
***
エリミナは毎日古書店に来るわけではないが、事件が起こる前日に『明日も店に来られそうよ』と言っていた。
しかしその日、学校が終わるいつもの時間帯になってもエリミナは現れなかった。
ナディアは少し変だなとは思ったが、急に予定が変わったのだろうと考えた。けれど陽も暮れた頃に屋敷からの迎えの馬車が来て、そこでエリミナの所在が不明になっていることが発覚した。
ナディアも使用人と共にエリミナを探しに走った。学校に行き、門付近にいた守衛に確認すると、いつもの定刻にエリミナが学校の門を通って一人で学外に出ていたと告げられた。
学校から古書店はかなり近い。エリミナは学校帰りに古書店に寄る際は自宅の馬車は使わずに徒歩で店までやって来る。学校を出てから店に来るまでの間にエリミナに何かがあったのだ。
ナディアは学校の門付近からのエリミナの匂いを追うことにした。通りは馬車や人間など雑多なものが行き来していて、エリミナが門を通ったのも数時間前だ。獣人は嗅覚が鋭いとはいえ、条件が悪いと匂いも嗅ぎ取りにくい。
ナディアはかなり集中した。
脳内に通学鞄を背負ったエリミナの姿が浮かび上がる。ナディアはエリミナが通った道を自分も歩いて行く。
角を曲がり、大通りから逸れていく。近道をするためか人気のない小路に入った所で、派手な屋根飾りを付けた二頭立ての馬車がやって来て、街路から目隠しをするように小路の入口で止まった。
すると馬車の中から下卑た笑みを浮かべた二十歳前後くらいの黒髪の男が降りてきた。気付いたエリミナが男から逃げようと走るが、今度は小路の反対側から男に似た容姿のやはり下品な笑みを浮かべた十代後半ほどの少年が現れて、挟み撃ちにされてしまった。
彼らはエリミナを捕まえると、彼女の口元に薬品が漂う布を押し当てた。そのままぐったりしてしまったエリミナを彼らは二人がかりで抱えて馬車に押し込む。三人が馬車に乗り込むと御者台にいた十代半ばの黒髪の少年は馬車を走らせ始めた――
(大変! エリミナが「三馬鹿」に攫われた!)
三馬鹿とはナディアも知っているエリミナの従兄たちだが、彼らと直接話したことはない。
エリミナと仕事をしていると、店の前をウロウロする黒髪の大中小の背丈の男たちがいることがあったが、すぐにリンドがやって来て彼らを店の前から追い払っていた。
彼らはエリミナの従兄だが、素行が悪く、リンドの店には出入り禁止にされていた。
リンドは彼らを三馬鹿と呼んでいて、エリミナの覚えも悪いようだった。
ナディアは近くにいた使用人に、エリミナが黒髪の三人組に派手な馬車に押し込められて連れ去られたのを見た人がいると告げ、「見た人は急いでいるからと行ってしまってどこの誰かもわからないけど、とにかく誘拐されたみたい」と伝えた。
嗅覚で知覚したなんて言ったら獣人であることがバレてしまうので、本当のことは言えない。
使用人も三馬鹿のことは知ってたようで、「すぐに旦那様に伝えます!」と馬車に乗って去って行った。
ナディアはすぐに、エリミナを連れ去った馬車の匂いを、自分の脚力で追い始めた。入浴の習慣のある人間と違い、馬は体臭も強いので匂いは追いやすかった。
ナディアは馬車を追いながら、中に乗る男三人から特徴的な植物の匂いを嗅ぎ取った。
それは三馬鹿が店の前に来ていた時にも嗅ぎ取っていた匂いで、たぶん違法なもののようだ。三人は手を出してはいけないものに手を出しているようだった。
嗅覚で探る限り、馬車は首都郊外の、周りに田園の広がるやや寂れた街に入って行った。古ぼけて空き家になっているらしき一軒家の前に、件の派手な馬車が停まる。
家の中からエリミナと、それからアーヴァインの血の匂いがした。
ナディアは鍵もかかっていないその家の中に入った。