17 分離
冒頭からはジュリアス視点
「…………俺、もう家族やめる」
「シー兄さん!」
「シー兄、何言ってんだよ!」
シリウスの言葉に、ノエルとセシルの弟二人が慌て出す。
「シー、そんなこと言わないでくれ!」
何より、家族から離れるという発言をした弟に、ジュリアス自身が酷く動揺していた。ジュリアスは踵を返して部屋から出ていこうとするシリウスの腕を掴んで呼び止めた。必死だった。
ジュリアスにとってシリウスは自分の魂の片割れにも等しい、対となる存在だった。他の弟たちも大事だが、シリウスはジュリアスにとっては特別すぎる弟だ。喜びも悲しみも、辛い時はいつだって二人で支え合ってきた。シリウスがいなければ、ジュリアスはあの時立っていられなかった。
「ナディアのことは何とかするから! 俺が駄目なら、レンに頼んでみるから!」
銃騎士とは違い、貴族としてであれば獣人奴隷を持つのに総隊長の許可はいらない。
同期のロレンツォ・バルトはバルト公爵家の次男だ。ジュリアスの親友でもあり、お願いすれば多少の無茶は聞いてくれる。
けれど、一度離れてしまったシリウスの心は戻らなかった。シリウスは首を振る。
「俺はもう兄さんを信じられない。いや、もう家族じゃないから兄さんじゃない……
俺はオリオンでもシリウス・ブラッドレイでもない、ただのシリウスだ。家名は捨てるよ。
俺は金輪際ブラッドレイ家には関わりたくない。もう無理だ。俺はもう俺の意志でしか動きたくない。悪いけど、今回の作戦からも抜けさせてもらう」
シリウスはジュリアスの腕を振り払った。
「シー……」
「兄さんごめん………… 俺をもう解放してよ」
その言葉にジュリアスの身体に衝撃が走った。
『兄さんは表で頑張ってよ! 俺が裏から支えるからさ!』
ジュリアスが銃騎士として表立って活動し、シリウスが諜報活動に特化した任を行い裏から支えていくことは、二人で話し合って決めたことだった。
けれど実態は、ジュリアスがとてつもなく目立って周囲から広く認められていくのに対し、シリウスだって多くの人間たちの命を救っているのにも関わらず、シリウスの本来の存在はずっと希薄なままで、家族以外の者たちからは褒められることも感謝されることもほとんどなかった。
二人はあまりにも対局すぎる位置にいた。
シリウスの可能性を封じて影に徹しさせてしまった罪悪感のようなものをジュリアスはずっと抱えていた。解放してほしいと、それを真正面から本人に言われてしまっては、シリウスを引き止めることなんてジュリアスにはできなかった。
「待て」
しかしそれを引き止める男が一人。
「諦めるのか? 放り投げるのか? シドを葬ることがお前たちの目標の足掛かりとなる第一歩ではなかったのか? お前たちが成してきたものを、犠牲にしてきたものを、こんなことで反故にするつもりなのか? お前は、本当にそれでいいのか?」
「……………………うるせえよクソ親父」
シリウスは一瞬立ち止まったけれど、振り返らずにそれだけ言って、部屋から出て行った。
「兄さん!」
「シー兄!」
弟二人がシリウスを追いかけようとするのを、ジュリアスが止める。
「……このまま行かせてやってくれないか。シーの自由にさせてやってほしい」
「でも、シー兄一人で何かあったらどうするの?」
セシルは泣き出してしまった。
「…………シー兄さんも、今は頭に血が上っているだけで、少し時間が経てば冷静になって戻って来るかもしれません。信じて待ちましょう」
ノエルがセシルの頭を撫でながら慰めている。
「だがジュリアス、シドのことはどうするつもりだ? あの化け物の動きを安定的に封じるためには、五人必要だ。四人でも抑えられなくはないが、不足の事態が起これば破られる可能性も高い」
この人はこんな時でも冷静に事態を分析している。あまりにもブレなさすぎてある意味この人らしいなと思ってしまう。
「言っておくがカインを呼ぶのは不可だ」
アークが名前を出したのはセシルのすぐ下の弟のカインだ。
実はシドの処刑執行当日であるこんな日の明け方から、妊娠中の母が産気付いてしまって、カインは下の弟二人と共に自宅で母に付き添っている。
訳あって、母の出産は医師や助産師を同席させることができない。母はこれまでの七回のお産は医療行為を頼らずに、全て自宅で出産している。
安産であればいいが、何かあった時のためにカインには母のそばについていてもらわなければならない。父の言う通り、人数の不足を補うためにカインを呼び出すことは不可だった。
カインのすぐ下の弟シオンも、一応魔法は使えるようになってはいるが、初歩的なものばかりであり、それにまだ六歳だ。母を任せても的確な判断は下せないだろうし、まして作戦に参加させるなんて、危険すぎて却下だ。
父や兄たちがシドに張り付いていなければならない中で、母の出産については九歳のカインに委ねるしかない状況だった。
ブラッドレイ家も色々とギリギリだった。
もしもシド捕獲作戦を実行するのが五年後であったならば―― カインの成人後であったならば、もう少し余裕を持って作戦を実行できたかもしれないが―――― しかし、今更そんなことを考えても仕方のないことだった。
本当は、精神年齢が高めとはいえ、未成年のセシルも今回の作戦に参加させたくはなかった。
次期宗主配という大事な立場ではあるし、何よりジュリナリーゼを悲しませたくはない。
本来ならばセシルはこの作戦の外に置くべきだった。
しかし、セシルは自分の役割をよくわかっていた。
銃騎士養成学校に入校した時から覚悟はできているからと、セシルは死ぬ可能性が皆無ではないこの捕獲作戦への参加を希望した。
セシルがいてくれた方が作戦の成功率が上がるのはわかりきっていた。本人の意向を汲むという形で――そういう風に持っていってくれたのはセシルだが――セシルは作戦に関わる五人目の魔法使いになった。
セシルは他者の幸せのためなら自己犠牲を厭わない部分があり、作戦中は特に注意が必要だった。ジュリナリーゼのことを思うと、セシルは必ず生きて彼女の元へ帰さなけらばならなかった。
(セシとリィ……………… 二人はとんでもない宿命を背負っている)
彼らの結末が不幸であってはいけない。シリウスが抜けたとしても、自分たちの当初の目標は絶対に成功させてやる。
もし自分たちの代で果たせなかったとしても、子供たちに託すことはできる。
母の出産については、シドの処刑さえ終わってしまえば、愛妻家のアークが一番に駆け付けて、どんな場面であっても母を救ってくれるだろう。
全てはシドの処刑が済むまでだ。それまでは、六人目の魔法使いを呼び寄せる選択肢などない。
「…………わかっていますよ。カイは呼びません。シーがいない分は、この命に代えてでも、絶対に俺が何とかします」
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『シー兄、ごめんね。ナディアお義姉さんのこと黙っててごめん。父さんのこともどうか許してほしい。
ナディアお義姉さんは、本部の留置場はもういないよ。今はアンバー公爵家に頼んで匿ってもらってるから、無事だよ。
シー兄、大好きだよ。俺たちずっと待ってるからね』