16 もう家族やめる
ジュリアス視点
「俺のナディアを捕まえて、処刑場で殺すつもりだったのか! 俺に内緒で! 俺が気付かないとでも思ったのか!」
シリウスはアークに掴み掛からんほどの勢いだった。ジュリアスは衝突を防ぐために二人の間に割って入った。
「シー、落ち着いて」
止めに入ると、シリウスは今度はジュリアスを睨んだ。
「兄さんも兄さんだ! どうせナディアが捕まったことを知っていたんだろ! どうして俺に知らせてくれなかったんだ! どうして隠すんだ! 兄さんの俺への信頼なんてその程度だったのか!」
「シー、違う、お前を悲しませたくなかったんだ。一番良い方法を模索していただけだ。
俺が気付いた時にはもうナディアの捕縛は上に報告されてしまっていた。銃騎士隊が捕えた獣人を逃したなんてことにはできないから、彼女には獣人奴隷になるか処刑かの二択しかなかった。だけど処刑になんてさせない。絶対に回避するから」
それからジュリアスは精神感応で、シリウスにだけこう告げた。
『今、俺の獣人奴隷になれるように手続きを進めている。お前の大切な人を殺させはしない。必ず助ける。
シドの処刑が終わったら、俺はフィーと結婚してキャンベル伯領へ移るから、お前も治療が上手く行って外国から戻ってきたことにして、俺たちと共に本来の姿でナディアと暮らしたらいい。
ナディアが奴隷であることは不服だとは思うが、それは折を見て死んだことにでもして、二人だけで新しく暮らしてもいい』
ジュリアスはシドの処刑という山場が終わったら、婚約者のフィオナ・キャンベル伯爵令嬢と結婚するつもりだった。
新居はフィオナの故郷に構えるつもりだったから、首都から遠く離れた場所で、ほとぼりが冷めるまでナディアを匿うことは可能だと思った。
シリウスは正式な銃騎士隊員ではないから、獣人奴隷を有する資格を持っていない。書類上だけではあるが、シリウスの代わりにジュリアスがナディアの奴隷主人になるのが一番良い方法だと思った。
兄の心を知り、シリウスの瞳に若干の安堵の気配が浮かんだが、しかし、そんなジュリアスのナディア救出案をぶち壊す低い美声が響き渡った。
「言っておくが、ナディアをジュリアスの獣人奴隷にする案なら通らないぞ。ジュリアスの獣人奴隷所持の許可願いは却下するようにと、総隊長に一生のお願いだと言って頼んでおいた」
ジュリアスは振り返ってアークを見つめながら眉根を寄せた。
銃騎士は獣人奴隷を持つことができるが、「銃騎士隊総隊長の許可があれば」という但し書きが付く。
そこは懸念しておくべきだったかもしれないが、アークに考えを読まれた上で先回りされていた。
ジュリアスは父に妨害されても諦めるつもりはなかった。一つの方法は潰されてしまったが、別の方法がないわけではない。
しかし、一生のお願いだなんて、まさかこの父が人のお情けに縋るような真似をするとは――――
「今更ジュリアスが総隊長に一生のお願いだと言った所で無駄だろうな。俺と、ジュリナリーゼ様との婚約話を蹴ったお前と、総隊長は一体どちらのお願いを聞くだろうな? お前が獣人奴隷が欲しいだなんて、きっと総隊長は絶対に許さないぞ」
ジュリアスは理由があってジュリナリーゼとは結婚できなかったのだが、ジュリナリーゼを幼い頃から目に入れても痛くない程に慈しんでいたグレゴリー・クレセント総隊長は、ジュリアスのその決断をしばらく根に持っていて、私情で圧力を掛けかねないほどには怒っていた。
確かに、総隊長はこの案件ではジュリアスではなくてアークの味方に付くだろう。
「どうあっても、ナディアを殺すつもりか……っ!」
シリウスが怒りで身体を震わせながら吠えた。シリウスの周囲の空気がバチバチと帯電し始めている。
「俺だって鬼じゃない。生き残る道は示してやったのにジュリアスが邪魔をしたんだ。エヴァンズが拒むのは仕方がないにしても、駄目ならレインに抱かせるつもりだったが阻止された」
「父さん!」
ジュリアスはアークを窘めるように咄嗟に声を荒げていた。勤務中なのに父と呼んでしまうくらいには驚いたのだ。
不必要にシリウスの気持ちを逆撫でしてどうしたいのか――――
ジュリアスはシリウスの心が傷付くことを恐れたが、その反面、アークの気持ちの揺れも感じ取っていた。
アークは魔法無しの生身では勝てないシリウスに向かって、今だって父親でなければ一瞬で雷を落とされて殺されていたかもしれないのに、無表情なままで自分の苛立ちを息子にぶつけていた。
アークにとっては不本意だったのだろうノエルの結婚があった影響もありそうだが、アークは自分が反対し続けた相手を選ぼうとしているシリウスが許せないのだ。
シリウスへの愛情はあるはずなのに、息子を追い詰めて苦しめたい気持ちも強いのかもしれない。
「ハァ?」
シリウスは、怒りを通り越してもはや笑いすら含んだ低く冷たい声でそう言い返していた。
「レインは俺の親友だぞ………… 何ゲスなこと考えてんだよこのクソ親父…………」
「ならばこそだ。親友と寝た女なんて尚更無理だろう?」
シリウスの瞳にアークへの殺意が一瞬だけ宿った。
「――――二人ともやめてください! 父さんは言い過ぎとやり過ぎですし、シー兄さんだって今はシドの処刑前で大事な時なんですから、今だけは怒りを沈めて協力し合ってください!」
「そうだよ、家族なのに仲違いしないでよ……」
すぐにでも殺戮が始まりそうな険悪な雰囲気に、見かねたノエルが言い合いを止めるように声をかけた。
それから、ノエルに追従するようにセシルも声を出したが、その声はいつもは余裕のあるセシルにしては珍しく、しょげ返っていた。
「…………無理だろ、こんなクソ相手にどう協力しろってんだよ」
「お前こそ、親に向かって何て口の聞き方をしているんだ」
冷静に状況を見ようとしていたジュリアスは、シリウスの堪忍袋の緒が切れる音を聞いた気がした。
「何が親だ! 俺たちを殺そうとしたくせに!」
シリウスの怒声が響き渡り、ジュリアスは――――――――魔法を使っていた。
しんと静まり返る部屋の空気は張り詰めていた。
シリウスはジュリアスだけを見つめていたが、その瞳に宿しているのは、父にではなくて自分に対する悲しみだとジュリアスは気付いた。
シリウスはアークを害さなかった。魔法すら出さずにただ怒りを見せただけだったが、ジュリアスはアークを守るために、父の身体の周囲に盾の魔法を展開させていた。
ジュリアスとしては、シリウスがどんな攻撃を仕掛けてきても絶対にアークを守るために安全策を取ったつもりだったが、結果としてシリウスの心を傷付けてしまったと気付いた。
信じていなかったわけじゃない。でも懸念があった。シリウスはいつかアークを殺そうとするのではないかと。
シリウスは昔は――「あの事」が起こる前から――アークをどこか避けていた。恐れていたと言った方がいいかもしれないが、あまり懐かなかった。
しかしだからといって逆らうわけでもない。シリウスとアークの関係性を例えるならば、親子というよりも、独占欲の強い主人と縛り付けられた下僕のようでもあった。
特に幼い頃のシリウスはアークに従順で、「シリウスはアークの愛玩動物みたいね」と母から言われたこともあった。
それが変わったのが、恋敵のゼウスを本気で殺そうとした一年前の事件からだ。シリウスは生まれて初めて父に逆らった。雷魔法でアークに火傷を負わせたのだ。
アークとシリウスの関係性が変わってしまった。シリウスは、必要とあればアークを殺すだろう。
その懸念から、ジュリアスはシリウスが怒りを爆発させて怒鳴る寸前に、アークの周囲に魔法を張り巡らせたのだが、それはジュリアスの意図とは違った形の印象をシリウスに与えることになってしまった。
シリウスを信頼せず、シリウスよりもアークを大切にして守ったような印象を――――
「…………もういいよ」
シリウスは、とても弱々しい声を出した。
恋敵相手とは違う。シリウスは激怒しても、自分の父親を殺すつもりなんて本当はなかったのだ。攻撃魔法が出そうになるのを何とか抑えていた。
けれど、一番の心の拠り所であり、一番信じていた兄は、自分のことを信じてくれなかったと――――シリウスは、そう感じてしまった。
「…………俺、もう家族やめる」




