14 第三の求婚者?
一通り護衛の紹介が終わったところで、その嵐はやって来た。
「見が覚めたのだね! 我が愛しの――――」
ノックもなくいきなり扉が開く。手に黄色い薔薇の花束を持った少し長めの黒髪の色男が、何かを叫びながら部屋に入って来ようとしたが―――― すぐにパァン! という鋭すぎる音が響いて扉が閉じられて、男の言葉は途中で遮られた。
見れば、ヴィネットが背中から取り出したらしき鞭をしならせて扉を打ち、男の侵入を阻んだらしかった。すぐに扉に駆け寄ったヴィネットは両手で扉を押さえて開くのを阻止している。
「ヴィネちゃん!? 開けてよ! 僕を仲間外れにしないでよ!」
ドンドンドン、と男が扉を叩きながら扉を開けるように訴えている。
「旦那様はこの部屋には立入禁止です。お戻りください」
(旦那様、ということは……)
一瞬だけ姿が見えた今の黒髪の男性は、一年ほど前のアンバー公爵家のお家騒動により当代当主となった、ディオン・ラッシュ改め、ディオン・アンバーのようだった。
元公爵家嫡男ディオンは放逐されていてそれまで平民だったが、当主になる際に貴族籍に戻り名前も元のアンバー姓に戻った。
しかし彼は公爵となっても役者を引退することはなく、ディオン・ラッシュの芸名のままで舞台俳優の仕事も続けている。
「僕の花嫁に会いに来たんだ! 庭園の朝一の美しい花束と、僕の朝一のキスをお届けに!」
「お戻りください」
そう返したヴィネットの言葉は淡々としているし、表情にも特段の変化はないが、扉を押さえる腕には力が籠もっていて、全力でディオンがこの部屋に入るのを阻止しているように見える。
実はナディアは先程ディオンが扉を開けてこの部屋に一瞬入りかけた際に、彼の匂いを捉えて気が付いてしまった。
(ヴィネットさんと公爵様には身体の関係がある…… それも結構頻回な感じの…………)
ナディアは、ディオンが花束とキスを届けたい花嫁とはつまりヴィネットのことで、でもヴィネットがそれを恥ずかしがって拒もうとしているのかな? と思った。
「ははーん、さては…… ヴィネちゃんったら、また嫉妬しちゃったのかな?」
「違います」
ヴィネットは弾かれたように扉から手を話すと、今度こそ現れてしまった、朝なのに色気満載な水も滴るいい男系のディオンから距離を取り、壁際まで下がった。
「入れてくれてありがとうヴィネちゃん。この埋め合わせはまた今度」
ディオンはそう言ってヴィネットに投げキッスをしていたが、急速に存在感を消し、まるで自分は壁の花ですとでも言わんばかりのヴィネットは無言だった。
(何でこっちに来るのこの人……?)
ナディアはディオンがヴィネットの方へ行くと思っていたが、なぜか彼はニッコニコな笑顔を浮かべてナディアの方へ歩み寄ってくる。
そばに寄られて跪かれると、彼の纏うレモングラスの香水の匂いが濃くなった。
「受け取って、僕の最愛!」
「???」
勢いで差し出された薔薇の花束を、勢いに呑まれるがままナディアは受け取ってしまった。
「ありがとう! 僕の求婚を受けてくれるのだね!」
「ん?」
首を傾げるナディアの手の甲を取りディオンは口付けた。さらにディオンは立ち上がると抱き付こうとしてきたので、ナディアは持ち前の獣人の瞬発力でもって逃げた。
ここにいるのはナディアの正体を知る者たちばかりなので、身体能力を隠さなくてもいい。
ディオンの腕が宙を切る。
「すみませんけど、求婚とか結婚は間に合っていますので、そういう意味でしたらこのお花はお返しします」
「ああ、何て素早い身のこなしなんだ…… 獣人…… やはり素晴らしい……」
花束を返そうとして差し出すナディアの言葉には応えず、ディオンはうっとりとした目付きでこちらを見ながら何かを呟いている。
肌感覚でこの男にはあまり近付きたくないと直感したナディアは、強引に花束をディオン押し付けると、彼から離れてユトの背後に回った。
「ユト君は既婚者だよ? 僕ならば独身だからね、夫婦になるのに何の問題もないだろう」
「いえ、ありまくりです」
「どこが?」
「どこが、って……」
色々問題だ。ディオンはモテ男のようで、彼の身体からはヴィネット以外の女性の匂いも複数漂ってくる。別の女と関係した男は番対象外だ。
それに、ディオンはシャルロットの実父である。かつての恋敵が義母になるとか、シャルロットにとっては何その地獄絵図だろう。
ナディアは、シャルロットがナディアに会いたくない理由は旦那様である、と言ったユトの発言をようやく理解できた。お情けで屋敷に置いて頂いているのに、シャルロットの気分を害するのはナディアにとっても得策ではない。
そもそも、獣人と人間が結婚できるわけがないのだ。この人は色々と常識をすっ飛ばしてる気がする。
「昨夜君が現れた時にね、閃いたんだ。『獣人の公爵夫人』だなんて、新しい世界の在り方を切り開く素晴らしい選択肢だと!」
ナディアはディオンの発言にキョトンとしてしまった後に、考える。
(……獣人の公爵夫人……………………………
…………………………………………ないわね。
この人、頭がイカれてるわ)
「僕が恋多き男だということは気にしなくていい! セシル殿の力をもってすれば万事解決さ! セシル殿も僕の考えを支持してくれたしね!『獣人と人間が平和的に仲良くなれるのなら、僕も最大限協力します』と言ってくれたのだよ!」
(セシルなぜそんなことを…………
ブラッドレイ家…… やはり敵かもしれない…………)
セシルの力というのは権力というより魔法の力のことだろう。ディオンを童貞にするとかそういう感じの魔法でもあるのかなと思った。
「コソコソとうちに匿うとかそんなことをする必要はないんだ。貴族は獣人奴隷を持てるのだから、僕の愛の奴隷になってしまえばいい。書類上は主人と奴隷でも、その実態は僕の妻さ! 事実婚にすればいいのさっ!」
「すみませんお断りです」
「そんな冷たくあしらわないでほしい! 僕の硝子の心臓が砕け散ってしまう! 今すぐにじゃなくていいから、答えは急がずにじっくりと考えていただきたい! 僕は本気だ!」
その後もお断りの弁を述べてもディオンはしつこく食い下がってくる。ユトに視線で助けを求めれば、「旦那様は先鋭的なお考えの持ち主ですから……」と述べるのみで諌めてはくれない。主家の最高権力者には逆らえないということだろうか…………
「僕は獣人とは共生の道を模索するべきだと信じている!」
公爵も公爵で熱い。獣人を認めてくれるような人間の存在はありがたいと思うが、しかし、相手が相手である…………
ナディアはディオンに説得され続けながら、先程より壁際から一歩も動かないヴィネットにちらりと視線をやった。ヴィネットもディオンの言動を特に止めることもなく、あまり顔色を変えずにやりとりを見ているが―― しかし、彼女の利き手の拳はずっと、メイド服のスカートを強く握り締め続けている。
ヴィネットは身体を許しているくらいだからたぶんディオンに好意がある。そんな相手が自分以外の女性に結婚してほしいとしつこく言い寄っているのを見させられるのは一体どんな気持ちだろう――――を
ヴィネットはナディアのお世話係であり、この館の中では一番接する機会が多くなるはずだ。それなのに、そんな相手の恋敵になってしまった。
アンバー公爵邸での潜伏生活は前途多難に思えた。




