11 邪魔者
R15
「ゼウス…… どうして…… 」
ナディアは泣いていた。身体が苦しいのもあるが、それ以上にゼウスに受け入れてもらえなかったことが辛い。
「愛しているのよ…… すぐにあなたの所へ行かなかったことは謝るから…… お願い…… 私、あなたと元に戻りたい…………」
「…………無理だ。俺たちは終わったんだよ」
それまでナディアから視線を逸していたゼウスがこちらを見て言葉を紡ぐが、涙声で心情を吐露してもゼウスの答えは変わらなかった。
ナディアの泣き声が強くなり号泣になる。
あの時、浜辺でマグノリアに問われた際の選択を本当に後悔した。どうして逃げてしまったのか。どうして諦めて別れてしまったのか。その後だって彼の元へ行くことはできたのに、どうして最後までゼウスを信じることができなかったのか――――
(もう、ゼウスの愛は取り戻せないのかな…………)
泣いていても、身体の奥底から迫り上がってくるものがある。ゼウスは拘束中で動けない。自分で何とかするしかなかった。
媚薬によって高まる熱に身体を蝕まれてとても苦しいけど、永遠には続かない。どこかで効果は切れる。
もしくは二時間たったらあの二人――――レインとアークが様子を見に来るはずだ。
(あの人たちがやって来てゼウスに抱かれていないことを確認されたら、レイン・グランフェルに犯されるの?)
もしもそういう流れになりそうだったら、レインに抱かれる前に舌でも噛んで死んでしまおうと思った――――
悲しく沈んでしまいそうな思考とは裏腹に身体は熱い。ナディアは悲しい思いに囚われて泣きながらも、自分で対応する。
薬の影響で身体が重く、横になっている方が楽だったので、寝台の上に身体を投げ出す。
(もう嫌。忘れたい。全部全部忘れたい)
熱が一時的に収まると、虚しさに包まれた。
ナディアは徒労感を味わいつつも息を整えて、また次に対応しようとした。何とか心を持ち直して落ち着かせたい。しかし冷静になろうとすると、やはり自分以外の存在が気になってしまう。
ゼウスはナディア以上に激しい呼吸を繰り返していて、暗くて熱の籠もった射殺すような視線でこちらを見ていた。先程の落ち着きはもはや過去の話で、ナディアを見る目からは理性が失われかけていた。
ゼウスの方がきっと辛いのだろうと思う。ナディアを拒否してそうなることを選んだのは彼自身だが、ナディアはゼウスを哀れに思った。愛する男が苦しんでいるのならば、何とかしてやりたいと思ってしまう。
ナディアは寝台からよろよろと身体を起こすと、重い体を動かしてゼウスの前に行った。ゼウスの身体からは発せられる匂いが強くて、それに引き付けられていたというのもある。
ナディアはゼウスの腰回りの鎖を掴んで動かそうとしたがびくともしない。もしも薬を打たれていなかったとしても、獣人用の鎖を粉砕するのはナディアでは無理だ。
身体の奥から再び強い衝動が生まれてしまいナディアを苛み始めていた。思考力はほぼサル並に近い。ナディアは――――
ゼウスは今度はナディアを拒否しなかった。
「メリ………… ナディア…… 愛してる……」
囁くような声はナディアの声で掻き消されてしまう。
ナディアの背後に、ふっと人影が増えた。
ナディアは人の匂いが増えたことは嗅覚で何となく気付いたが、思考が溶けていてそれどころではなかった。
背後の人物は彼らの光景を見て息を呑むと、自らの隊服の上着を脱いでナディアの身体に被せた後、彼女を背後から抱きしめるようにしてゼウスから引き剥がした。
「えっ? あ、あれ?? ゼウス……」
突然ゼウスから離れてナディアは当惑した。誰かに身体を拘束されているように感じて背後を振り返ったナディアは――――ぎょっとしてしまった。
そこにいたのはオリオンの兄ジュリアスだったのだが、ナディアにはジュリアスの姿が、一瞬オリオンの本来の姿に見えてしまった。
彼ら兄弟は瞳の色こそ違うが、髪色は一緒だし顔立ちだって似ている。
頭が霞がかったようになりながらもゼウスとしていたことの自覚が一応あったナディアは、急速に罪の意識のようなものを感じてしまって、少しだけ正気に戻った。
「君はシリウスと結婚する身だ。お願いだからこれ以上シリウスが悲しむことはしないでくれ」
悲しそうな顔をしたジュリアスに懇願される。
「返せ!」
怒鳴り声が響いてナディアは声のした方向を向いた。さっきまで自分と一緒に溶けていたはずの愛する人は、人殺しでもしそうな激しい目付きでこちらを睨んでいる。
「返せ! その子は俺のものだ! シリウスじゃない! 俺と結婚するはずだったのに! シリウスが、シリウスたちが俺から奪ったんだ! 返せっ!」
言葉の途中からゼウスは泣き始めた。錯乱しているらしきゼウスは、ジュリアスをオリオンだと思っているようだった――――
「…………エヴァンズ、すまなかったな」
ジュリアスはゼウスの怒りを受けて、それに反論するのではなくて謝った。
ゼウスはその態度と声で人が違うと気付いたのか、ハッとしたような表情でジュリアスを見つめた後に、項垂れて下を向く。
「酷いやり方で君たちを引き裂いてしまった。君たちにしたことは許されることではないと思う。許さなくていい。本当にすまなかった」
二人が別れるきっかけになったあの事件を引き起こしたのは、ジュリアスではなくてその父アークだが、ジュリアスは謝罪を口にする。
「違うわ…… 私が悪いの」
ジュリアスが謝ることはないだろうと思ったナディアは、気付けば口を差し挟んでいた。
ジュリアスもゼウスと別れさせようとはしていたが、結局選ばなかったのはナディアだ。そう思ったからこその発言だったが――――
「庇うのか…… 俺じゃなくてやっぱりシリウスが好きなのか……」
ナディアは咄嗟に返答に急した。ゼウスと離れていたこの一年の間に、オリオンのことを考えない瞬間がないわけではなかったから――――
ナディアが、「違う……」と掠れた声でそれだけを呟いた時、バタン! と通路の向こうの扉が勢い良く開く音がした。
「ジュリアス!」
声の主はレインだった。慌てたように駆けてくる足音が響く。
「ゼウス……」
レインは牢屋の前まで辿り着くなり、鎖でぐるぐる巻きになっているゼウスの姿を見て、息を呑んだ。