3 所有の証
R15
ナディアは浴室から出て用意されていた寝台に寝そべりながら、入浴中よりもさらに気落ちしていた。
ナディアの入浴後にゼウスの態度がかなりよそよそしくなったからだ。不自然なほどにこちらを見ないし、避けられているのが丸わかりだった。ナディアも気後れしてしまい、こちらから話しかけることもしなかった。
ゼウスからは、「先に寝室で寝ていて」と言われたのみで、ナディアも「わかった」と返事はしたが、会話はそれだけで終わった。
留置場から家に来るまでの間、ゼウスはもう少し優しかった気がしたのだが、それはナディアの身体を気遣ってくれただけである。
やはり、ゼウスが自分のそばにいることにしたのは「責任」からであって、ナディアの番としてこれから一生『悪魔の花婿』という枷を背負い続けることは、彼にとっては理不尽で不本意なことなのだろうと思う。
「責任」だとしても、愛しい番がそばにいてくれること自体は嬉しい。だけど、ナディアがゼウスを思っているのと同じようには、彼は自分を愛さないだろうと思ってしまって、寂しく感じた。
獣人に忌避感が見え隠れするゼウスは、いつかナディアではなくて人間の女の子を選んで結婚するかもしれないと思った。そのことは覚悟しておかなくては。
もう自分は奴隷だ。ゼウスがナディアを奴隷にすることを了承したからこそ、自分は生きていられる。ゼウスの態度が冷たかろうと、自分は彼を受け入れ続けるしか道はない。
それにナディア自身が、もうゼウスなしでは生きていけなくなった。監禁されたような状態で、枷を嵌められて自由もなく奴隷扱いでも、彼から逃げようなんて結論にはならない。たとえこの先何があろうと、自分はこれからはゼウスとずっと一緒にいたい。
もしもゼウスが結婚することになったとしたら、彼の選択のすべてを受け入れて、鼻を焼こうとナディアは思った。
そんなことを考えながら半分寝かけていたナディアは、ぎしりと寝台の軋む音と人の気配に目を開けた。
見ればゼウスが、横になっているナディアの隣に潜り込んでいた。寝台は二人用なので狭くて寝られないということはないが、てっきり寝所は別々になるものだと思っていたので、ナディアは眠気が吹っ飛んだ。
「あれ……? 一緒に寝るの?」
「嫌なの? 俺から逃げる気なの?」
いきなり話が飛躍しすぎて戸惑う。ゼウスはきつく眉根を寄せていて、急に気分を害したような表情になっているのにもたじろいだ。
「に、逃げるわけないじゃない」
「そう? また俺から離れることを考えているのかと思った」
また、というのは―――― たぶん、一年前にゼウスの前から消えて、その後も行方を晦ませ続けていたことだ。
「あの時は、私にも事情があって……」
「それでシリウスと一緒に雲隠れか?」
『シリウス』の名前を聞いても、もうナディアの心にさざ波は立たなかった。ナディアはゼウスだけを見つめている。
ゼウスの声からも瞳の奥からも苛立ちが感じられて、彼がとても怒っていることがわかる。
「ごめんなさい…………」
ナディアは謝った。うろ覚えなのだが、南西列島から連れ出された後に、番にはならなかったがオリオンと様々あったことは事実だ。
ナディアはゼウスに自分の本当の名前や、人間と偽り続けていたことへの事情説明も何もせずに、彼の前からいなくなった。自分がゼウスにしたことは、とてつもなく不誠実だった。
「あいつとの間に何があったのか、今は聞きたくない。俺、本当に何するかわからないからね」
ゼウスがきつく睨んでくる。ナディアは小さくなって謝ることしかできない。
「ごめんなさい、私――――」
ゼウスが言葉の途中で突然抱きしめてきたので、ナディアはびっくりしてしまって固まった。
ゼウスがそんなことをしてくるとは思わなかったからだ。
「もういい。最後に俺の所に戻って来てくれたから。たとえ媚薬のせいでも、俺を選んでくれたから」
媚薬のせい―――― もしかすると、自分たちはお互いに同じことを考えていたのではないか。
というか――――
「…………ゼウス、私のことが好きなの?」
今の言葉は、自分に愛情を持っていなければ決して出てこない台詞だと思ったからそう尋ねたのだが―――― ナディアは、すぐにそれが失言だったことに気付いた。
表情を無くしたゼウスの全身をどす黒い気が漂い始めて、ナディアの背中を悪寒が走った。
(どうしよう! 暗黒の国の王子様みたくなってる!)
「『愛してる』って言ったじゃないか。俺の愛を信じてなかったのか?」
殺人でも犯しそうな雰囲気のゼウスに詰め寄られて、ナディアは狼狽えた。
「だ、だって、薬のせい…… いや、あのっ、アレの後も会話をしてくれなかったし、お風呂上がりの時も避けられてるみたいで、何だかちょっと冷たかったから、私のことは迷惑に思ってるのかなって…………」
「正直に言えば、ナディアが獣人である事実を全て飲み込めたわけじゃない。葛藤はあるから」
ナディアは胸が苦しくなった。やはりゼウスの中には、獣人への憎しみが確かにある。
だけど、ゼウスは本心を包み隠さず正直に打ち明けてくれた。
自分たちは獣人と人間であり、その違いはどうしようもなく二人の間に横たわっている。
この先二人で過ごす中で幾多の試練が待ち構えているかもしれないが、自分に心の内を見せてくれるこの人とならば、これから先もずっと一緒にやっていけるのではないかと、ナディアは何となくそう思った。
「ゼウスはとても誠実ね」
「いや、誠実なんかじゃないよ。まだ獣人奴隷を持つ許可は正式には出ていないはずだから、安全のために君をどこにも出さないのは仕方がないにしても、ナディアを完全に俺のものにしたくて、枷まで付けてる」
「…………それはその…… とりあえず枷は外したらいいんじゃないの?」
「それはできない。この枷は君が俺のものだっていう『所有の証』だから」
こちらに執着してくるような言葉だが、ボン、とナディアの顔が赤くなった。
自分は思いの外ゼウスに愛されていたようだ。
「風呂上がりによそよそしかったのは、ナディアがあまりにも綺麗で、襲ってしまいそうだったからだよ。避けていただけだ」
綺麗なんて言われて、ナディアはちょっと舞い上がった。
「何度も無理をさせてしまったから、次に抱くのは体調が回復してからにしようと思っていたんだけど、わからせた方がいいみたいだね?」
「ん?」
「お風呂だって本当は一緒に入りたかったんだ。ナディアのためと思って我慢してたんだけど、俺はもう我慢しない。終わったら一緒に入ろうね」
そう言ってゼウスがナディアに口付けてきた。
「あ、の…… ゼウス……」
ナディアの戸惑いなどゼウスは意に返さない。我慢をやめたゼウスが本領を発揮してきた。
(さっきまでゼウスに愛されないんじゃないかと不安で胸が一杯だったんだけど…………)
あれぇ?